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RKBドキュメンタリー映画祭 ペア招待「MR.BIG 3・11から10年 ~被災地とともに歩んだ外国人バンド~」

RKBドキュメンタリー映画祭

RKB毎日放送は、創立70周年を記念して、3月24日から4日間にわたり、TBSテレビと共同で、計25作品のテレビドキュメンタリーを西南学院大学で無料上映します。キー局のTBSテレビが、系列ローカル局と合同で映画祭を開催するのは初めてのことです。一部の作品は上映後1週間、オンライン配信〔有料〕で視聴可能です。
MR.BIG 3・11から10年 ~被災地とともに歩んだ外国人バンド~
上映日:3月27日(日) 12:00
 

映画概要

川西全(かわにし・ぜん) 1978年、神奈川生まれ。2002年TBS入社。スポーツ局に配属され「Dynamite!」「K-1 WORLD MAX」等格闘技番組の制作にADとして携わる。
その後報道局に異動し、主に政治部記者として総理や官房長官、自民党などを担当。「イブニング5」「NEWS23クロス」などの報道番組ディレクターとしてWBC(ワールドベースボールクラシック)現地レポートや今回のMR.BIGを含む海外の音楽アーティストインタビューなど幅広いジャンルの取材も経験。
2016年からはNY支局特派員となり3年半にわたってトランプ政権誕生の瞬間やその後のアメリカ国内の混乱などを伝える。現在は報道局政治部デスク。

監督メッセージ

被災地から消えた娯楽―― 東日本大震災直後の2011年4月。被災地から日常が失われる中、「東北の人々を自分たちの音楽で元気づけたい」として、外国人としていち早く被災地・盛岡でコンサートを行ったアーティストがいた。アメリカ出身のロックバンド「MR.BIG」だ。コンサートのみならず、被災者のために新曲を収録し、チャリティーソングとして発売したり、コンサート会場でメンバー自ら募金活動を行うという真摯な姿勢は、多くの被災者を勇気付け、希望を与えた。

それから3年。再びバンドは来日するが、ドラマーのパットが難病であるパーキンソン病を発症し、通常の演奏活動ができなくなったことが判明する。苦境に陥ったバンドを救ったのは、「恩返しをしたい」と話していた被災地・仙台のファンだった。
ヴォーカルのエリックがソロツアーを行った2015年にはパットも帯同し、被災地・石巻のライブハウスでショウを行うなど元気な姿を見せていたが、2018年にパットは死去。結成30年という節目を前にバンドは空中分解状態となってしまった。

結局、バンドは解散を決めるが、ひとつだけ心残りがあるという。そう、深く関係を築いた日本のファンの前でもう一度ショウを行うこと・・
震災や難病という困難に翻弄されながらも互いの絆を深めていくバンドと日本のファンたち。その一部始終をカメラは追い続けた。
現在30~40代の多くのHR/HM(ハードロック・ヘヴィメタル)ファンの方がそうであるように、私にとってHR/HMの世界と出会うきっかけとなったのがMR.BIGでした。当時中学3年生で、周りの友人は皆彼らのアルバム「Lean Into It」「Bump Ahead」を聴いていました。私も買ってもらったばかりのアコースティックギターで必死に代表曲である“To Be With You”や“Wild World”を練習したのを覚えています。

そんな私がファンとしてではなく、取材対象としてMR.BIGに接するようになったのは、あの2011年の東日本大震災がきっかけでした。当時、夜の報道番組「ニュース23クロス」のディレクターだった私は、震災発生直後から宮城、福島と被災地を渡り歩きました。
特に震災から2日後の仙台の歓楽街で感じたのは「音のない街」ということ。日々、音であふれる我々の暮らしが、日常を奪われた瞬間いかにモノトーンなものになるか。
それを実感させられたのです。

そんな中で聞いた、MR.BIGが震災からわずか1ヶ月で被災地・盛岡にやってくるというニュース。外国人アーティストとしては初めての被災地でのショウ。果たして彼らは受け入れられるのか。どんな人たちがやってくるのか。そして、メンバーはどういう思いでやってくるのか。私はどうしても取材したいと思い、盛岡行きを決意しました。当時、仙台公演は会場が使用できず、早い段階で中止が決まりましたが、盛岡も直前で会場が変更となるなど予断を許しませんでした。そんなドタバタを乗り越え、実現したショウ。
盛り上がるファンの様子を見ながら、ずっと震災と向き合ってきた東北地方で、この建物の中の空間だけが別次元に存在している、という感覚にとらわれました。その場にいた1500人が同じ思いを共有し、終演後には口々に幸福感を語っていました。まさにMR.BIGの、そして盛岡の人々の記憶に永遠に残るだろう歴史的な一夜だったと思います。

その後もバンドは2度来日し、2011年にはキャンセルせざるを得なかった仙台公演も成功させましたが、ドラマーのパットさんは難病パーキンソン病にかかり、2018年に亡くなりました。このバンドがたどった数奇な運命を見るにつけ、彼らの歴史と日本のファンが果たした役割について記録しておく必要があると考えました。この作品を通じて、彼らの音楽に対する好き嫌いは別にしても、彼らの被災地や日本に対する真摯な思い、それに対して日本のファンが送り返したメッセージを感じ取っていただければ幸いです。

監督プロフィール

制作年、制作スタッフ

川西全(かわにし・ぜん) 1978年、神奈川生まれ。2002年TBS入社。スポーツ局に配属され「Dynamite!」「K-1 WORLD MAX」等格闘技番組の制作にADとして携わる。
その後報道局に異動し、主に政治部記者として総理や官房長官、自民党などを担当。「イブニング5」「NEWS23クロス」などの報道番組ディレクターとしてWBC(ワールドベースボールクラシック)現地レポートや今回のMR.BIGを含む海外の音楽アーティストインタビューなど幅広いジャンルの取材も経験。
2016年からはNY支局特派員となり3年半にわたってトランプ政権誕生の瞬間やその後のアメリカ国内の混乱などを伝える。現在は報道局政治部デスク。

監督メッセージ

2021年/ステレオ/64分 ?TBSテレビ
現在30~40代の多くのHR/HM(ハードロック・ヘヴィメタル)ファンの方がそうであるように、私にとってHR/HMの世界と出会うきっかけとなったのがMR.BIGでした。当時中学3年生で、周りの友人は皆彼らのアルバム「Lean Into It」「Bump Ahead」を聴いていました。私も買ってもらったばかりのアコースティックギターで必死に代表曲である“To Be With You”や“Wild World”を練習したのを覚えています。

そんな私がファンとしてではなく、取材対象としてMR.BIGに接するようになったのは、あの2011年の東日本大震災がきっかけでした。当時、夜の報道番組「ニュース23クロス」のディレクターだった私は、震災発生直後から宮城、福島と被災地を渡り歩きました。
特に震災から2日後の仙台の歓楽街で感じたのは「音のない街」ということ。日々、音であふれる我々の暮らしが、日常を奪われた瞬間いかにモノトーンなものになるか。
それを実感させられたのです。

そんな中で聞いた、MR.BIGが震災からわずか1ヶ月で被災地・盛岡にやってくるというニュース。外国人アーティストとしては初めての被災地でのショウ。果たして彼らは受け入れられるのか。どんな人たちがやってくるのか。そして、メンバーはどういう思いでやってくるのか。私はどうしても取材したいと思い、盛岡行きを決意しました。当時、仙台公演は会場が使用できず、早い段階で中止が決まりましたが、盛岡も直前で会場が変更となるなど予断を許しませんでした。そんなドタバタを乗り越え、実現したショウ。
盛り上がるファンの様子を見ながら、ずっと震災と向き合ってきた東北地方で、この建物の中の空間だけが別次元に存在している、という感覚にとらわれました。その場にいた1500人が同じ思いを共有し、終演後には口々に幸福感を語っていました。まさにMR.BIGの、そして盛岡の人々の記憶に永遠に残るだろう歴史的な一夜だったと思います。

その後もバンドは2度来日し、2011年にはキャンセルせざるを得なかった仙台公演も成功させましたが、ドラマーのパットさんは難病パーキンソン病にかかり、2018年に亡くなりました。このバンドがたどった数奇な運命を見るにつけ、彼らの歴史と日本のファンが果たした役割について記録しておく必要があると考えました。この作品を通じて、彼らの音楽に対する好き嫌いは別にしても、彼らの被災地や日本に対する真摯な思い、それに対して日本のファンが送り返したメッセージを感じ取っていただければ幸いです。
監督
川西全
取材
永田大
撮影
藤本孝志
編集
小川友広
協力
WOWOWエンタテインメント ウドー音楽事務所

制作年、制作スタッフ

2021年/ステレオ/64分 ?TBSテレビ
監督
川西全
取材
永田大
撮影
藤本孝志
編集
小川友広
協力
WOWOWエンタテインメント ウドー音楽事務所

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