第639回番組審議委員会を9月17日(火)午後2時から、RKB毎日放送本社会議室で開催した。
<出席者>
審議委員
神本 秀爾、都築 明寿香、安部 進一郎、平川 俊介、井上 和久、中村 弘峰、堀江 広重、松藤 幸之輔
放送事業者
井上社長以下22名
<議題>
①番組審議
ラジオ番組「SCRATCH 差別と平成」
2019年6月10日 21:49~放送
②業務報告
<議事の概要>
相模原市の障害者施設で46人を殺傷した事件を契機に現代社会の底流に見え隠れする差別の姿を探った番組
委員からは
・本質的なところまで深掘りして、力強い取材力と、何年もかかり丹念に取材している丹念さ、労力のかけ方に感銘を受けた。
・生産性の圧力が事件の原因だというテーマが柱だが、構成の中でマイノリティへの差別もあり違和感があった。
・非の打ち所がない傑作ですばらしいのひと言。
・紛れもないアート作品で、世に問うという点において真摯で、丁寧で、完璧に聞くものの心の中に届いた。
・事件のネガティブなメッセージ性がより増幅した形で世に出ていることに対してメディアとして淡々と言論の力で決着をつけようとした番組だ。
・「SCRATCH」というタイトルがずっと一本通っており、「被告に対してもスクラッチしない」という制作者の徹底した考えがすばらしい。
・現代人にある心の奥底ある闇、差別に対して、制作者の今一度考えるべきだという問いかけが強く伝わってきた。
・この番組が提起しているのは、日本だけではなく、また現代だけの問題ではなく、人間の本質に関わる問題である。
・制作者は自分の家族を取り上げ、さらに植松被告と直接話をするなど扱いにくい問題に対して真正面から向き合い、様々な角度から深掘りがされており、大変良くできた番組だ。
・事件を制作者が自分の事のように引き受けたという点がこの番組の最大の強み。
・結論を押しつけるのではなく、その手前に立ち止まりながら、新しい問いを湧かせていくというスタンスは真摯で評価でき、この番組自体が制作者の「存在証明」と捉えられる。
・自問自答や自分語りが繰り返されることにより、当事者性が強くないリスナーも少しずつその感覚を追体験できて、啓蒙的な意義もあった。
・平成末、ヘイトは簡単に可視化され、思わぬ形でそういったヘイトに出会ってしまう機会が増えて、また意図せずに、私たちもそのヘイトに加担してしまうようになっている。番組全体のテイストとして、私たちに当事者意識がないとしても、既に加害者であり被害者である可能性があると示唆しているところは大事な事だ。
・誰の心の中にある植松被告の存在を突きつける番組だと捉えた。
・制作者の個人的な動機に位置するところが大きく、自分の家族への敵意と恐怖心を乗り越えて面談を重ねた力作である。
・独自の一人称で、素材を充分に積み上げてファクトを浮かび上がらせ、その上に客観的インタビュー、また全体的に俯瞰性を持たせることで、個人的な動機に飲みに頼らない視点をきちんと描き出していた。
・この番組は、人々の心に届くものなので、時代性がどうだという言うことよりは、人が陥りやすい「線引き」を社会的な意味合いで生かしていくようにもう一度多くに人に聞いて欲しい。
・音声メディアであるラジオは、発せられる言葉に意識が集中し、一つ一つが印象に残る。
との高い評価。
その一方で
・加害者の行為はその生い立ち、生育環境にあり、社会的な問題でもあるのでそのことにも言及して展開もできるのでは。
・現代、障がい者と障がい者になっていない者の共存はこれからも続いて行くので、これからももっと発信して欲しい。
・差別する心はどの時代でも、誰でも持っている。そういう優生思想がどうして生まれるのか、このような事件を繰り返されないためにどうしたらよいのか、さらに深掘りした続編を期待したい。
・平成の時代精神を、「大変な時代だった」と分かりやすくカットして、ふたをしてしまうのは、やや慎重性に欠けていたのでは。
・「SCRATCH」というタイトルは番組の中身が想像つかなかった。当事者性を喚起する目的だと副題として「私たちの中の植松被告」などが分かりやすいのではないか。
・番組内にタイトルとともに挟まれた、音声ロゴが番組の流れを引き留めていたのではないか。
という意見、提案があった。
制作者は
・当事者としてしか見ないものもいれつつ、一方で俯瞰しながら見られる番組を目指した。
・事件当初、メディアは被告の言葉だけ流し憎悪を社会にばらまいていた。その恐ろしさを痛感した。その際、フェイスブックで、事件に一切触れない文章を乗せた。それがきっかけとなり既存メディアで展開する事になった。
・植松被告は気弱な普通な青年の印象で、特殊な人間は起こした特殊な事件ではないと確信した。
・平成の時代の特徴はSNSをはじめとして、可視化される事が進み、心の中の汚い部分を表に出しても恥ずかしくない時代になり、憎悪をネット上で拡散される事が普通になってしまっている。そのような時代精神を描いた。
・一人称で描くことは非常に怖いことで、「すべて表現することは、当人が透けて見えてしまう」という点を常に自戒してきた。一方で、多くの人に押しつけるのではなく、納得して腑に落ちさせないといけないので、俯瞰する視線を置くことを心がけた。
と説明した。