「諸説あり!」邪馬台国研究 全体像が分かる読みやすい入門書
弥生時代の環濠集落「吉野ヶ里遺跡」(佐賀県)で見つかった石棺墓。「邪馬台国が九州にあった証拠が見つかるか」と地元では期待が高まったが、本来「地元びいき」「地域振興」と歴史は無縁。問題は、ファクトだ。今、邪馬台国研究はどの辺りまで分かっているのか。歴史好きのRKB神戸金史解説委員長がイチ押しの書籍がある。RKBラジオ『田畑竜介 Grooooow Up』で著者にインタビューした。
「ファクトが出てから盛り上がりませんか?」
1年ほど前に「吉野ヶ里で10年ぶりの本格発掘始まる」という話題を取り上げた時、僕はものすごく期待していて「楽しみ!」と話したんですが、いざ今年6月に石棺墓を開けるにあたって、地元の人たちや歴史ファンが盛り上がり過ぎていて、どこかで気持ちが引いてしまっていました。
「謎のエリア」というネーミングは別にいいと思うんですが、まだモノが何も出ていないのに、佐賀県知事が率先して記者会見を開いて「地域振興」みたいなにおいがしてきました。歴史学って、ジャーナリズムの仕事と同じで、ファクトが一番大事。「ファクトが出てから盛り上がりませんか?」と思っていました。
結局、遺骨や副葬品は、残念ながら出てきませんでした。ただ、4枚に割れた石のふたが見つかったんですが、このうち3枚は元々1枚の石で、おそらく佐賀県南西部の多良岳から船に乗せて40キロほど運んできたものだろう、と見られているんです。その重さは400キロもあります。
弥生時代の人間と、今の私たち。知識の量は違うかもしれないけれど、喜びや悲しみ、肉体の使い方、何も変わりません。私たちと同じような人間が重機もない中で、これだけの重さのものを運んできた、と考えると「すごいな!」と思うんですよね。
邪馬台国が分かる入門書
「もっと古代史を知りたい」と前から思っていました。僕が買う日本の通史は、大体20巻ぐらいあって、刊行された時に古代史も買って見てはいるのですが、決して専門ではないのです。しばらく通史を買っておらず「今、古代史はどうなっているのかな?」と思っていたところに、こんな本が6月に刊行されました。すぐ読んでみましたが、まさにこれこそ「私が読みたかった本」だったのです。
豊田滋通著
『よもやま邪馬台国 邪馬台国からはじめる教養としての古代史入門』
(梓書院、税込み1980円)
「邪馬台国は近畿にあったんじゃないか」「いや、私たちのいる九州じゃないか」。自分のところに持ってきたい人が多いのも分かりますが、筆者の豊田滋通さん(福岡県春日市在住)は西日本新聞の記者だった方で、とても冷静に書いています。東京新聞・中日新聞に115回連載された記事の書籍化です。豊田さんにインタビューしてきました。
神戸:全体像が分かる、最近のことが分かる、という点で、私が求めていた本でした。
豊田滋通さん(以下、豊田):私も書きながら、「意外とないな」と思いました。書く以上はたくさん文献を当たりますが、こういう本はあまりないなと思ったのは事実です。しかも、楽しく面白く読んでもらわないといけないし、専門用語で学術論文みたいな書き方はできないわけです。どう面白く読み聞かせて、分かりやすく解説できるか、非常に苦労したところです。一般読者を対象にするので、「邪馬台国ワールド」にはいろいろな説があって中々定まらないのですが、ありのままに知っていただきたい。しかも、できるだけ最新の発掘情報を織り込みながら、「今の研究はこういうところに行っていますよ」「しかも今一番ホットな話題はこういうところですよ」というところを書けたらな、と。
豊田さんは1953年に福岡市に生まれ、西日本新聞で記者を長く務め、論説委員長や監査役なども歴任されました。子供のころから歴史が大好きで、元新聞記者としての技能もあれば、歴史に対する思いもある。考古学の世界を探訪しながら、楽しみながら歴史を叙述しています。僕は子供時代に、縄文土器を拾って歩いていました。豊田さんも同じような体験をしているので,喜んでしまいました。
『よもやま邪馬台国』の巧みな構成
本の入口(導入部)となっているのが、福岡県糸島市の平原(ひらばる)遺跡です。ここからはガラス製のピアスや、直径46.5センチの超巨大鏡が見つかっています。おそらく、強い呪力を持った巫女(シャーマン)である女王がまつられているんだろう、と思われています。このリアルな現場から本は入っていて、非常に分かりやすいです。
その後、奈良県桜井市で「卑弥呼の墓」と言われるところに行ってみよう、と。読み進めると、九州と大陸との関係がだんだん明らかになっていきます。そして、対馬国、一支国(壱岐)、そして末廬国(佐賀県唐津市)など、魏志倭人伝に書いてある邪馬台国への道のりをたどっていきます。そして、奴国(福岡県春日市)にあった当時のハイテク工房などの紹介から、最後の最後で「ツクシとヤマト、さてどっちなんだろう?」という話になるんです。
【『よもやま邪馬台国』の章立て】
第1章 巫女王の墓 福岡県糸島市の平原遺跡
第2章 「卑弥呼の墓」に行く 奈良県桜井市など
第3章 「卑弥呼」に会いに行く 近畿・九州の各地
第4章 青銅器の鋳型 福岡県春日市など
第5章 卑弥呼の鏡 鏡研究の最先端
第6章 北ツ海のクニグニ 丹後や出雲
第7章 金印の島へ 福岡市東区志賀島
第8章 交流する海人 対馬・壱岐から唐津へ
第9章 ツクシとヤマト
神戸:私はこの本を2回読んでいます。1回目で広く新しい話が網羅されていることに驚きました。2回目は、章ごとに何を書いてあるのか、意識しながら読んで、章立てにものすごく工夫があるとよく分かりました。
豊田:できるだけ、それぞれの回が単独で完結するようなスタイルにして、しかも1つのシリーズとして流れている構成にしなきゃいけない。
神戸:本の最後の最後で、半島から九州に至る道を歩む。大体の邪馬台国論は、ここから入るじゃないですか。
豊田:普通はそうですね(笑)
神戸:最後に、ツクシとヤマトの両論がある。この章立ては見事だなと思います。
豊田:そこまで読んでいただいて、筆者冥利に尽きますね。
神戸:私も、好きなので(笑)
楽しく読めて、わかりやすい。「入門書として最適」というのが私の印象です。
本の最後でやっと示された著者の見解
「邪馬台国は一体どこにあったんだろう?」いろんな意見があっていいのですが、最終的にはモノが出てきて決まってきます。そのモノについて、豊田さんに考えを聞いてみました。
豊田:7万戸(魏志倭人伝の記述)の巨大な国が、どこにあるのか。それが出てくると、「やっぱり邪馬台国はここだ」となるでしょうね。「筑紫平野」は、広大な平野です。我々はどうしても、佐賀県とか福岡県とか考えるでしょう。でも、佐賀平野と筑後平野じゃなく、「筑紫平野」。要するに、筑後川の周辺。あの広さが、7万余戸の実態ではないかなあ、と。
神戸:僕らが生きているうちに、決定的な証拠が見つかってガラリと動くのかどうか。
豊田:「筑紫平野」はあまりまだ発掘されていないんです。農地が多いから。これからまだまだ可能性が出てくると思いますよ。
神戸:巨大環濠跡が見つかる、とか。
豊田:吉野ヶ里にあれだけのモノがあるわけですからね。
神戸:「あそこにしかないわけではないでしょう」ということですね。
豊田:と、思いますねー。
邪馬台国の所在地と卑弥呼の墓
「邪馬台国は、いろいろな国の連合体だった」と言われています。共立された王は、当時の風習として、出身国で葬られている可能性もあるんです。実は、巫女がまつられていた平原遺跡(福岡県糸島市)こそが「卑弥呼の墓ではないか」と考える研究者もいるんです。
「7万戸が住んでいた」と言われている邪馬台国の「跡」は、どこにあるのか。まだまだ「筑紫平野」にも発掘できていない場所がいっぱいあります。近畿の纒向遺跡(奈良県桜井市)でも、発掘された部分は2%に過ぎないそうです。突然どこかから出てくる可能性は十分あります。
モノが、どこでどう出てくるか。土地の上には家屋などが建っているので、発掘はどうしても断片的です。でもそれを積み重ねていくと、どんな歴史像が結べるのか。こういったところが、歴史の非常に面白いところで、すごく僕は期待しています。また、吉野ヶ里遺跡で「謎のエリア」と言われるところは、遺跡の内で本当に重要な場所なんです。僕はまだ何かあると思いますね。
すぐに邪馬台国がここだという証……金印関係(金印、銀印、封泥など)でないとそういう証拠にはならないと思いますが、大きな集落跡がどこかからドンと見つかると、非常にわかりやすくなってくるのではないかと、豊田さんの話を聞きながら思いました。「よもやま邪馬台国」、興味ある方にぜひ読んでいただけたら。イチオシです。
◎神戸金史(かんべ・かねぶみ)
1967年生まれ。毎日新聞に入社直後、雲仙噴火災害に遭遇。福岡、東京の社会部で勤務した後、2005年にRKBに転職。東京報道部時代に「やまゆり園」障害者殺傷事件を取材してラジオドキュメンタリー『SCRATCH 差別と平成』やテレビ『イントレランスの時代』を制作した。
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この記事を書いたひと
神戸金史
報道局解説委員長
1967年、群馬県生まれ。毎日新聞に入社直後、雲仙噴火災害に遭遇。福岡、東京の社会部で勤務した後、2005年にRKBに転職。東京報道部時代に「やまゆり園」障害者殺傷事件を取材してラジオドキュメンタリー『SCRATCH 差別と平成』やテレビ『イントレランスの時代』を制作した。現在、報道局で解説委員長。