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激レア映像!福岡2万3000日物語 春SP

おもしろ日本一!

日本一の◯◯大集合

1994年の北九州には、幅2cm、高さ1.5cmの日本一小さな手作りひな人形が誕生した際の映像が。さらに 2001年の吉井町には、明治時代に作られた高さ80cmの巨大なひな人形がありました。また、1981年の大分県玖珠町には、長さ60m、胴回り24m、重さ210kgの鯉のぼりが泳ぐ様子も見られました。
 

さらにそれから5年後。玖珠町ではジャンボジェット機よりも長い全長76mの世界一大きな鯉のぼりが誕生していました。
 

また、1995年の肥前夢街道では、大きな釜で作っただご汁を、日本一長い箸で食べる早食い競争が開催されていました。2mを超える竹で作った箸で相手の口元まで運ぶので、2人の協力がないと食べられません。GWの参加イベントとしてなかなかの盛況ぶりでした。

ご利益あり!? 超巨大太鼓


1994年直方市では、大工8人で4日間かけて作った直径4.2m、長さ5m、重さ1400kgの超巨大太鼓「びっくり開運太鼓」が誕生しました。

さまざまなファーストデイ

博多駅で始まった九州初のサービスとは!?

2000年、JR博多駅のコンビニでは、九州初のコンビニATMがスタート。当時は平日午前8時~午後9時までで、24時間対応になったのはそれから半年後のことでした。

小倉駅で始まった九州初のサービス

1988年のJR小倉駅では、九州初のサービス「チップ制のトイレ」が開始しました。化粧直しができる三面鏡のパウダールームやベビーベッド付きの個室トイレなど、当時は最先端の設備が充実。サービス開始からの1カ月で、なんと約180万円が集まりました。

元祖絶叫マシーン!?

1979年、熊本にある遊園地「グリーンランド」では、絶叫アトラクションがお披露目されました。時速85kmで20mの円を宙返りする、その名も「ハリケーン」です。あまりのスピードにリポーターも苦戦していました。

90万人の福岡パンダフィーバー

1979年、福岡市と中国広州市の友好都市締結1周年を記念し、中国広州動物園から親善大使としてジャイアントパンダが2頭やってきました。オスのシャンシャンとメスのパオリンです。沖縄までパンダの餌である笹を調査しに行ったり、警備を厳重体制にしたりと大わらわ。
 


そして、1980年4月1日に福岡市動物園でいよいよ一般公開となりました。連日大行列ができ、福岡はまさにパンダフィーバー! 土日は入場制限を3万人に設定しましたが、問い合わせの電話が殺到して大変だったようです。なんと、2カ月で86万5000人ものお客を呼んだというから驚きです。

さまざまなラストデイに密着

「福岡玉屋」のラストデー


1999年、老舗百貨店として親しまれてきた「福岡玉屋」は、74年の歴史に終止符を打ちました。閉店の前日には博多祇園山笠の中洲流が博多手一本を披露し、閉店日には約7万人が訪れるなど、たくさんの人に惜しまれながら最後を迎えました。

北九州市民が愛した「スペースワールド」最後の日


今から7年前の大晦日。北九州市の「スペースワールド」も最後の日を迎えていました。宇宙をテーマにしたテーマパークとして、ピーク時には年間約200万人が来園した、北九州市のシンボル。最終日の夜にはスペースワールドの象徴であるスペースシャトルの実物大模型の前で「シャトル花火イリュージョン」を実施し、色とりどりの花火で最後を飾りました。

路面電車のラストラン

1910年から1979年にかけて、天神の街には「西鉄福岡市内電車」という路面電車が走っていました。そして、1979年2月に姿を消すことに。

【番外編】鉄道に人生をかける男

「まじもん!」は、当時のさらなる激レア映像をもつ人物を直撃。電車ファンの加地一雄さんは廃線になった駅の看板やレアな模型など、鉄道に関するレトロで貴重なお宝をたくさん保有しています。

さらに、鉄道ビデオやDVDなど、加地さん本人が撮影した映像もずらり。なんとこれまで撮ってきた記録映像は4万点以上、デジタル映像は約2000点にものぼります。各メディアからも問い合わせがくるほどで、その資料部屋は激レア映像の宝庫!

なかなか見られない貴重な資料のほか、路面電車の最終日である車内放送を録った音声も聴かせていただきました。

なんと加地さんは、ほかにもさまざまな列車のラストラン、開業、開通の資料を保管。その中には1975年に新幹線博多駅が開通した日の開業記念切符もありました。

今回も激レア映像が満載でした。これからもますます変わっていく福岡の様子が楽しみです!

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