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日本で一番明太フランスを売る店 「国産小麦パン工房フルフル」家族の物語

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2020年に発行された福岡飲食業界のトリビア集「福岡グルメトリビア~ン」。福岡在住者、福岡出身者が、知ってそうで知らなかった「へぇー」連発の雑学集から、明太フランスで有名な「フルフル」の歴史と明太フランス開発秘話の記事を転載します。以下の記事内容は「福岡グルメトリビア~ン」が発行された2020年当時のものです。

 福岡のベーカリーで定番となっている「明太フランス」。今でこそ多くの店で販売されているが、ブームの火付け役は〝明太フランスの販売本数日本一〟を誇る「国産小麦パン工房フルフル」だろう。ヒットの裏には店名に冠した「国産小麦」導入の葛藤、そして職人たちのなみなみならぬ努力があった。
 創業の歴史は大正時代にさかのぼる。現社長・古田量平さんの祖父にあたる三之助さんは当時、筥崎宮のそばで「古田商店」を構えて堅パンの製造をしていた。堅パンといっても現代の堅いビスケットや乾パンのようなものではなく、薄い麩焼きのような小麦製の菓子である。
 1943年、戦争下で休業し、終戦後1951年に製パン事業で再スタートをきった。量平さんの父、二代目の梅次さんが屋号を「古田製パン工場」とし、学校の売店で販売するパンの製造を始めた。実家のそばに直営店を構え、そこでつくったヤキソバパンやコロッケサンドなどを東福岡高校、香椎高校、福岡女子大といった福岡市内の学校で販売。量平さんの息子であり常務の真幸さんは当時の記憶をこう振り返る。「その頃はまだ4歳くらいではっきりとした記憶はないんですが、職人さんたちと食卓を囲んでいる光景が頭に残っています。祖母がつくってくれたまかないのカレーをお昼にみんなで食べるんです。『従業員は家族だ』。祖父や父のそんな考え方が伝わる景色だったな、と」

フルフル外観

 1986年には福岡市東区松崎に直営店「フルフル松崎店」を構え、一般客に向けてパンの販売を始めた。転換を迎えたのは1998年のことである。当時から取引していたグリーンコープとの縁で国産小麦と出会い、屋号を「国産小麦パン工房フルフル」に変更し、すべての商品を国産小麦でつくり始めたのだ。「当時、国産小麦でパンをつくるなんて発想は誰もしていなかったと思います。何しろ今ほど製粉技術が進んでなく、小麦の品質が安定していなかったんです。職人たちは何度試作をしてもうまく焼き上がらなかったり、形が整わなかったりと苦労していました」(真幸さん)
 今でこそ製パン業界で国産小麦が注目されているが、当時は外国産の小麦が主流だった。外国産と国産ではグルテンの質が違い、国産は成形に必要なタンパク源が足りないためベテラン職人の技術を持ってしても焼き上げる過程で形が崩れてしまう。しかし、社長・量平さんは諦めなかった。「うちの店では国産小麦しか使わない」と決断し、職人たちを鼓舞した。さらに北海道へと足を運び、良い小麦をつくるために生産者と話しながら試行錯誤を重ねた。なぜそこまで国産小麦にこだわったのか。
 それは5人の子を持つ量平さんの父としての思いがあった。子どもたちがまだ幼かった頃、アトピーで夜な夜な腕をかきむしる娘を連れて量平さんは病院を訪れた。
 真幸さんも含め、量平さんの子どもたちはぜんそくやアトピーなど何らか体の不調を抱えていた。そんな体の弱い子どもたちを見て医師の前で「最近の子どもは体が弱いですね。私たちの時代はこんなことはなかった」とこぼすと、医師から注意を受けた。「子どもは何も悪くない。親であるあなたたちが食べたものが子どもに影響を与えているんです」と。そして「あなたも食に関わる商売をしているのだから、安心して食べられるものをつくりなさい」と言われたのを機に安全な素材は何なのかと追求し始めたのだ。

フルフル 明太フランス

 「フルフル」の代名詞とも言える明太フランスを発売したのは2002年のこと。量平さんが勉強会で四国を訪れた際に試食をした明太フランスに着想を得て、福岡の名物である辛子明太子を使ったパンを福岡でもつくりたいと思ったのが始まりだ。
 しかし、バゲット生地を国産小麦でつくるにはかなりの研究が必要だった。表面がバリッと固いバゲットをつくるのには外国産の小麦の方が向いている。量平さんは生産者と打ち合わせを重ね、職人たちは試作を繰り返した。3年かかってようやく製品化に至ったが、販売当初は売れ行きが芳しくはなかった。

フルフル 明太フランス

 ヒットのきっかけはその2~3年後、バゲット生地に切れ目を入れたことである。常連客から「明太フランスは美味しいけれど大きくて食べにくい」という感想をもらい、切れ目を入れて渡す方法を編み出した。「あらかじめ切れ目を入れるのではなく、焼き上がって店頭に並べる直前にカットしています。切れ目を入れる間隔も、切れ目の深さも口に入りやすい大きさ、明太バターがこぼれないように計算されているんです」(真幸さん)    この改善を機に明太フランスは爆発的な人気を集め、今では本店だけで1日600~1000本売れるヒット商品となった。2009年5月には月間で全店合計2万3712本を販売し、明太フランスの販売本数日本一の称号を手に入れた。
 発売から17年経った今もその売れ行きは留まることなく、志免町の「食パンラボフルフル福岡志免」、中央区天神の「ベーカリーフルフル 天神パン工房」、2019年にオープンした東区香住ヶ丘の「フルフル風の森」、全店を合わせて多いときは1日1600本を販売している。 人気商品を世に送り出し、福岡の有名店となった「フルフル」が目指すのは〝親子三世代で来てくれる店〟。自分が親になったとき、子どもの頃に行っていたあの店にまた家族で訪れている。そんな家族の風景をいつも思い描いてパンづくり、店づくりをしているのだ。 

【国産小麦パン工房 フルフル】福岡市東区松崎2-15-22 ☎092-61-9663

この記事は「福岡グルメトリビア~ン」(2020年・聞平堂刊)から転載させていただきました。
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グルメトリビア~ン 表紙

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この記事を書いたひと

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