「戦争はだめだ!絶対にだめだ!」水際特攻『伏龍』元隊員の93歳男性が語る

終戦間際、旧日本軍に「伏龍」という部隊が結成されました。機雷を手に持って水中に潜み、敵の船をめがけて自爆する、無謀な作戦に動員された元隊員の証言です。

 

特攻部隊「伏龍」の基地

神奈川県横須賀市の野比海岸。波の音が心地よく響くこの場所で、77年前の夏、旧日本海軍による恐ろしい訓練が行われていました。

ゴム製の潜水服に酸素ボンベを担いだ特攻部隊、「伏龍」の基地だったのです。

総重量約70キロの装備を付けた隊員が、水深5メートルの海底に潜み、アメリカ軍の船を待ちます。船が近づいたら手にもった機雷を接触させ自爆。日本上陸を水際で阻止するために、終戦間際に結成された部隊でした。

 

 

 

「伏龍」隊員だった篠原守さん

北九州市八幡西区に住む篠原守さん93歳。篠原さんは1944年、15歳の時に旧海軍の航空隊に入隊。その後まもなくして「伏龍」の隊員として野比海岸に送られました。

篠原守さん「『篠原、おまえ泳げるんか』って。泳げますって、そしたら3日目に伏龍に行けって。とにかく当時の日本海軍はむちゃくちゃですよ」

 

「訓練で亡くなった人が多いんです」

「伏龍」に集められたのは、ほとんどが10代の少年たち。当時、潜水服が足りなかったため、篠原さんは仲間が海底に潜る際の補助をしていました。訓練では事故が相次ぎ、何人もの死を目の当たりにしたといいます。

篠原守さん「背中に空気清浄缶をつけているんですよ、息は鼻から吸って口から出す。これを間違えると空気清浄缶の中の苛性ソーダが逆流して、のどがやられる。そういうのが何十人っていましたよ。訓練で亡くなった人が多いんです」

 

終戦「ギリギリのところで助かった」

1945年8月15日、終戦を迎えるまで伏龍が実際に攻撃に出ることはありませんでした。しかし、あと少し戦争が長引いていたら・・・

篠原守さん「あと2か月です。11月にアメリカがオリンピック作戦で上陸する予定。そうすると一番に伏龍が出て行くんですから、敵が来る前に行っとかないけんから一番に死んでますよ。」ギリギリのところで助かったと思っています」

数多くの特攻部隊が存在

伏龍のほかにも数多くの特攻部隊が存在しました。

RKB下濱美有「水上特攻の基地は日本各地に作られました。ここ、北九州市門司区にもその跡が残されています」

北九州市門司区周防灘に面する蕪島(かぶらじま)です。

蕪島に詳しい小野逸郎さん(87)「ここに水上艇を格納していたんです。人の手で掘削してつくった壕ですね」

 

蕪島の「特攻艇」秘密基地

蕪島一帯に掘られた大きな穴は、旧日本陸軍の通称「マルレ」と呼ばれる特攻艇の秘密基地でした。

小野逸郎さん「約5メートルのベニヤ板でつくったモーターボートですね。自動車のエンジンをつけて。それにドラム缶のような爆薬を積んで敵艦にぶちあたる。ここを出て敵艦に向かえば絶対に帰って来ない作戦です。もう死ぬ以外にはない作戦ですね」

ここもまた、特攻艇が実際に出撃する前に終戦を迎えました。秘密基地だったため、資料はほとんど残されていません。

 

「敗戦間際の捨て身の作戦の一つ」

小野逸郎さん「日本が戦争したんですから。よそに攻めていったんですから、そして逆にやられ出したと。反撃を受けたということですから。そのあたりまで、さかのぼって考えるきっかけに蕪島はなる。結果として基地を作らなければならなかった、それは原子爆弾に結果としてはつながっていく問題だから、これは残さないといけん。敗戦間際のまさに捨て身の作戦の一つですから」

 

平和のために「負の歴史」を伝え続ける

「人の命で人を殺す」戦争がつくりあげた特攻部隊。篠原さんは、戦争を知らない世代に負の歴史を伝え続けます。

篠原守さん「とにかく人権無視も甚だしい。希望していないにもかかわらず、私は伏龍に行かされた。とにかく戦争はだめだ!絶対にだめだ!いかなることがあっても。私はそれを言いたい」

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10月21日(金)よる10時スタート

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