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映画『ロストケア』の問いかけるもの…やまゆり園事件との共通点と違い

松山ケンイチ・長澤まさみ主演の『ロストケア』は、訪問介護サービスに従事する青年が高齢者40人以上を殺害した、という設定の映画だ。2016年、障害者施設に勤務していた植松聖死刑囚が障害者45人を殺傷した「やまゆり園事件」と重なる。植松死刑囚と面会を重ねてきたRKBの神戸金史解説委員がRKBラジオ『田畑竜介 Grooooow Up』に出演し、この映画が問いかけるもの、事件との共通点と違いについてコメントした。

「やまゆり園事件」との3つの共通点

RKBの下田文代アナウンサーから先週「神戸さんはこの映画観た?」と声をかけられました。3月24日に公開された映画『ロストケア』です。松山ケンイチさん・長澤まさみさん主演で、キャッチコピーは「彼はなぜ42人を殺したのか」。介護士が高齢者を殺害していくストーリーです。

下田アナウンサーがなぜ私に聞いてきたか? それは、私が「津久井やまゆり園障害者殺傷事件」を取材してきたことを知っていたからです。

神奈川県相模原市にある「津久井やまゆり園」で2016年7月、元職員の植松聖死刑囚が深夜に侵入し、入所者を次々に殺傷し、死者は19人に達しました。

私の長男にも先天性の脳の機能障害「自閉症」や知的障害があり、4歳までは全く意思疎通ができませんでした。だから、「障害者を家族に持つ記者に会いたくはないですか?」と植松死刑囚に手紙を書いて面会を重ね、ドキュメンタリー番組を作ってきました。

現実の事件である「やまゆり園事件」と、映画『ロストケア』には、共通点がいくつかあります。

(1) 福祉サービスを舞台にした大量殺人事件であること
(2) 加害者が福祉サービスに従事する人間であること
(3) 2人とも確信犯であること

『ロストケア』とはどんな映画か?

この映画『ロストケア』、私は「あまり観たくないな」と思っていたのです。ホームページにはこう紹介されています。

介護士でありながら、42人を殺めた殺人犯・斯波(しば)宗典に松山ケンイチ。その彼を裁こうとする検事・大友秀美に長澤まさみ。社会に絶望し、自らの信念に従って犯行を重ねる斯波と、法の名のもとに斯波を追い詰める大友の、互いの正義をかけた緊迫のバトルが繰り広げられる。

彼は何故多くの老人を殺めたのか。彼が言う「救い」という言葉の真意とは何なのか。それが映画で語られていくわけですが、植松死刑囚のようなことを松山ケンイチさんが言っていたら、観ていてとても苦しくなるだろうと思ったんです。

長澤まさみさんが演じている検事も自分の親の問題を抱えていて、実際に対面して話していく中で、すごく苦しんでいくというシーンがありました。

植松死刑囚の肉声

私は障害者の家族として、「私の子供がやまゆり園にいたら、殺していましたか?」と質問を重ねました。その様子を、一緒に取材したTBSラジオの鳥山穣記者と2人で再現して、ラジオドキュメンタリーを作っています。RKBとTBSラジオの共同制作番組『SCRATCH 差別と平成』(2019年)の一節をお聴きください。

植松「はっきり言って恐縮なんですけど、神戸さんの息子さんは、今安楽死しろとは言わないですけど、2歳のころ、意思疎通できなくて、奥さん大変だったと言っていましたよね。 そのころに、安楽死させるべきでした」 

神戸「その子が、その後成長して、 文字まで書けるようになっているんですよ?」 

植松「かけた労力と、つりあっていないです」 

神戸「当時の私の妻は大変だったから、その当時に安楽死をさせるべきだったと言うの?」 

植松「そうです。母親の苦労を考えたら、そんなことしなくてもいいんです」

植松死刑囚と実際に会って話をするというのは、非常に苦痛でした。特にこのシーンは、家族も含めて私を攻撃してきた瞬間でした。なので、松山ケンイチさんが演じている犯人が正当性を語った時にとても嫌な気分になっちゃうんじゃないか、と思っていたんです。でも、下田さんに「観てみます」と言ってしまったし、覚悟を決めて観てきました。

長澤さんが演じる検事に最初に対峙した時に、松山ケンイチさん演じる犯人は「あなたの家族の話をしてくれませんか」と言うのです。植松死刑囚と面と向かって話したときを思い出して、ゾッとしました。

4年がかりで脚本を書いた映画

しかし、勇気を出して観て、よかったです。何より、検事役の長澤まさみさんの演技がすごいんです。元々、表情の演技が群を抜いていると言われていますが、今回は本当に引き付けられました。

もちろん、松山ケンイチさんも素晴らしくて、パンフレットを読むと、前田監督が2013年に原作を読み、「面白い」と松山さんに言ったら、すぐに読んで「やりたい」と言ってくれた、と。

葉真中顕・著「ロストケア」(光文社文庫、税込748円)。

そして、監督が4年がかりで脚本を書き、最終的には23稿までになって、改訂するたびに松山さんに見せて意見を聞いてきたそうです。そういう意味では、松山さんはこの映画の制作陣側の一人でもあるんですね。

やまゆり園事件の犯人と『ロストケア』の犯人の違い

最初にやまゆり園事件と似ている点を揚げましたが、それは外形的なものだった、という感じです。 

例えば、植松死刑囚は話してみると本当に浅はかで、「障害者なんて生きている価値がない。いなくなれば税金もかからない」と、思いついたことに一人で盛り上がってしまって事件を起こしたという感じでした。 

浮いた税金で報奨金をもらい、いずれ釈放してもらう、なんてことも考えていました。ありえないです。福祉の知識もほんとうに薄っぺらで、話をしてみて、本当に福祉施設の職員だったのか、とも思いました。 

しかし、映画で松山ケンイチさんが演じる犯人は、介護に打ち込んでいて、周囲から一目も二目も置かれています。つまりプロなんです。そして、障害者を勝手に殺していった植松死刑囚とは違って、老いと病いとに苦しむ高齢者から「殺してくれ」という声も聞き、あえて手をかけてしまう。 

全部の殺人が全部そうではないという気もしましたが、確かにそういうシーンはありました。つまり、障害者を勝手に殺していった植松死刑囚の差別の心とは違って、映画『ロストケア』は安楽死や尊厳死に関わる話なのです。

福祉のプロが選んだ「誤った道」

植松死刑囚も、僕の子供を「安楽死させるべき」という言い方をしました。日本では認められていませんが、海外では認めている場所もあります。しかしそこでも、すべて自分の意思で選ぶものでなんです。誰かを「安楽死させる」という言葉は存在しません。それはただの殺人だと私は思います。人間の尊厳を認めていない植松死刑囚と、この映画で描いているものは正反対だと思いました。

もちろん、家族にも内緒で高齢者を殺害していくなんていうことは、全く許されないこと。松山ケンイチさんは確信犯ですから、死刑になることも覚悟しているという設定です。

植松被告も確信犯ですけど、釈放されるつもりだった。そんなことがあるわけがないのですけど。福祉のプロでもない植松死刑囚が、浅はかに考えたことをそのまま実行した。

一方、この映画では福祉のプロが選んだ「誤った道」を提示しています。私たちは誰でも高齢者になっていきますが、「その時どう生きるのか」を考えさせるものになっています。植松死刑囚の行動をむしろ否定する、見て見ぬふりをしないで自分たちのこととして考える、という趣旨の映画になっていました。そういう意味では、観てほっとしたんです。

高齢者福祉の現実

ただ一方で、現実の問題はあります。パンフレットに、日本福祉大学の湯原悦子教授が「日本における介護現場の実情」という解説を載せていました。湯原教授が新聞のデータベースを使い、介護に関わる困難を背景に、介護をしていた親族が60歳以上の被介護者を殺害、あるいは心中をしてしまった事件を調べたところ、1996年から2020年までの25年間に、少なくとも981件発生しており、993人が死亡していることが確認されたそうです。

映画『ロストケア』が描いているのは、私たちの社会。見たいものだけを見て、直視するのが苦しい問題を避けている、私たちの姿を描いているのではないか。そう思いました。

植松死刑囚との根本的な違い

前田哲監督は、こんな言葉をパンフレットに寄せていました。

この映画を観ることで、誰もがいつかは遭遇する自分の将来のこと。年を取らない人はいないんですから、そうなったときにどうやって生きていくのかという、意識を持ってくれることを願っています。(中略)人は皆、お腹がすけば泣くしかなかった赤ん坊であった、自分では何もできない無力な存在として生まれてきたことを忘れてはいけないと思っています。

同じようなことを、私は植松死刑囚に言いました。「人は誰でも迷惑をかけている。子供が生まれた時はみなそうだ」。植松死刑囚は「そんなの建前ですよ」と言い返してきました。

今回の映画は、外形的なテーマは似ているのですが、描いている中身は正反対。現実と誠実に向き合おうとしているのではないでしょうか。ぜひ観ていただきたいと思っています。

ラジオドキュメンタリー『SCRATCH 差別と平成』(Appleポッドキャスト) 

ポッドキャストで「差別と平成」と検索すればTBSラジオの音源が見つかります。興味のある方は、ラジオドキュメンタリー『SCRATCH 差別と平成』をお聴きになってみてください。

『SCRATCH 差別と平成』(2019年、RKBとTBSラジオの共同制作番組、59分)

やまゆり園事件の加害者と、障害者を家族に持つRKB神戸記者は面会を重ねる。犯人から突然向けられた憎悪に、記者は「普通に生きているだけなのに、なぜ?」と戸惑い、「この戸惑いこそが、ヘイトスピーチを向けられる人たちの感情なのだ」と理解する。福岡で暮らす記者の長男は20歳となり、働いて得た金でiPhoneを買うのを楽しみにしていた。

事件の直後、神戸記者はフェイスブックに個人的な文章を書いていた。時間をかけて子供の障害を受け入れていく親の気持ちをつづったものだ。この文章を歌詞とした8分超の長い歌『障害を持つ息子へ』を番組は流しつつ、成長する長男の姿を盛り込んで、加害者の浅はかな言動を否定していく。(放送文化基金賞最優秀賞、文化庁芸術祭賞優秀賞、早稲田ジャーナリズム大賞選奨など)


◎神戸金史(かんべ・かねぶみ)
1967年、群馬県生まれ。毎日新聞に入社直後、雲仙噴火災害に遭遇。福岡、東京の社会部で勤務した後、2005年にRKBに転職。東京報道部時代に「やまゆり園」障害者殺傷事件を取材してラジオドキュメンタリー『SCRATCH 差別と平成』(2019年)やテレビ『イントレランスの時代』(2020年)を制作した。

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この記事を書いたひと

神戸金史

報道局解説委員長

1967年、群馬県生まれ。毎日新聞に入社直後、雲仙噴火災害に遭遇。福岡、東京の社会部で勤務した後、2005年にRKBに転職。東京報道部時代に「やまゆり園」障害者殺傷事件を取材してラジオドキュメンタリー『SCRATCH 差別と平成』やテレビ『イントレランスの時代』を制作した。現在、報道局で解説委員長。