里親と暮らす子供たちの「村」支援を呼びかけるカウンターテナー歌手
さまざまな事情がある子供たちが里親と暮らす施設「SOS子どもの村」を支援しようと、5月18日、福岡市でチャリティーリサイタルが開かれる。歌うのは、日本でも数少ない「カウンターテナー」の歌手。「子どもの村」に長年関心を寄せいている神戸金史・RKB解説委員が、RKBラジオ『田畑竜介 Grooooow Up』でこの歌声を紹介しながら、支援を呼びかけた。
突き抜けるような高音の男声
まずは、こちらの歌声をお聴きください。
♪「アヴェ・マリア」
この声、実は男性です。裏声で高音域を歌う「カウンターテナー」の村松稔之さん(35)。国内で活動する「カウンターテナー」の歌手は10人もいないのだそうで、非常に貴重な歌声です。
村松さんは5月18日(木)午後2時から、福岡市中央区のあいれふホールでリサイタルを開催します。収益の一部は、同市西区で里親施設を運営しているNPO法人、「SOS子どもの村JAPAN」に寄付されることになっています。
リサイタルを主催する久留米市城島町の主婦、萬年順子さんは「若い芸術家に演奏の場を提供したい」と、こうしたコンサートをいくつも企画してきましたが、毎回「子どもの村」を支援してきました。
「子どもの村福岡」とは
「子どもの村」は、オーストラリアに本部を置いていて130か国以上の国と地域で活動する国際NGOの日本法人です。
2010年、「子どもの村福岡」は福岡市西区今津に開村しました。預かっているのは、さまざまな事情があって実の親と暮らすことができない子供たちです。村には5つの家があり、そのうち3棟に、住民票を移して住み込んでいる里親さんが、それぞれ3~4人の子供と一緒に「家族」として、毎日の生活を送っています。
子どもの村を訪れた村松さん
村松さんは5月13日(土)、初めて「子どもの村」を訪ね、事務局の方から説明を受けました。
事務局:世界で560か所ぐらい「子どもの村」があって、その中の一番小さい面積の「子どもの村」です。見てわかる通り、塀がなくて、近所に開かれた存在であるのが一つの特徴です。
神戸:施設を見られて、いかがですか?
村松:こういう村となると、垣根があるのかなあと思っていたんですけど、今見たら塀一つないし、いろんな感情で外へ出ていくことも可能だと思うんですけど、自分の意思でここから出ない。いろんな境遇がある子たちが固まったコミュニティのイメージがあったんです、僕としては。それを、視覚的にもなくしてあるのに、すごくびっくりしました。
ここで暮らす子供たちは地域の学校に通って、塀も何もない施設でみんなが遊びに来て、地域に溶け込んだ形での活動を続けています。実の親が引き取ることができる環境になれば親元に帰ります。
一時的に預かるショートステイもあります。専門的な知識を持っている職員がいて、子供だけを数日間預かる活動をしています。「緊急避難の場所としてもらえたら」と、子どもの村の事務局は話していました。
カウンターテナーとは
村松さんは京都市出身で、東京芸術大学の音楽学部から大学院を首席で卒業。イタリアに渡って声楽の研鑽を積んできて、国内でいろいろな賞を受賞しています。裏声と普通の声との境目をほとんどなくしていく歌い方です。
低い声を持っている方が、裏声で歌っていくのが普通なのだそうですが、村松さんは京都少年合唱団にボーイソプラノとして入団。小学6年生のときに声がかすれ「風邪気味だな」と思ったことがあったそうなんですが、実はそれが変声だったようで、普通に歌っている間に自然と裏声が使えるようになっていったということです。
「裏声との境目」について質問したら、何%は裏声、何%は普通の声と、混ぜ合わせてバランスを少しずつ変えていくことで境目がなくなっていくのだそうです。ものすごく細かい音階を自分の中で考えて、裏声のパーセンテージを少しずつ上げたり、下げたりを繰り返していく。そうすると、境目があまり聞こえなくなってくるのだそうです。「そんなことができるのか」とびっくりしました。
村松:声楽家の中でカウンターテナーというのは、変声した男性が裏声を用いて歌唱表現を行う。そういった歌手の名称をカウンターテナーといいます。さかのぼること600年代から、ヨーロッパで存在していた歌手なんです。日本では今、空前の「古楽ブーム」と言いますか、バロックを1600~1700年代の音楽をその当時の楽器でやろうじゃないかというムーブメントが起こっていて、カウンターテナーが歌う場面が増えてきています。現代音楽でもすごく起用されている歌手ですね。
文化・芸術が心のスイッチを押す
なぜチャリティーをしようと思ったのか、村松さんに聞いてみました。
村松:岡本太郎さんの言葉の中に「芸術は戦争を止める力は全くない。でも、考えさせることはできる」。だから、僕は歌にそういう思いを120%込めて、聞いてくださった方の心のスイッチ、歯車の一つに、今回のチャリティーコンサートがなれたらいいな、と。終わった後に何か、来た時とは何か心が変わって、賛助会員や支援者になっていただける方が1人でもいたら、それは僕の持っている気持ちが伝わったのかなって。自分もハッピーだし、文化・芸術に携わる人間として、それが実現したらすごいことだなって思います。
「子どもの村」は、多くの人からの支援によって成り立っている団体で、運営はなかなか大変なようです。数年前から、私も個人的にお手伝いをしようと「草むしりでも何でもしますよ」言っていたんですが、新型コロナもあって、なかなかできないままでした。
でも、実際に行ってみると、地域に根ざした形で子供の村を展開していることが、すごくほほえましくうれしく思ったんです。いろいろな事情が子供たちにはあり、特にショートステイは虐待の時の避難所として考えた方がいいのだろうと思っています。
「子供を育てることに追い詰められて限界に来ているお母さんが、一人で困っているけれど、ちょっとだけでもいいから子供を預けて一旦自分を取り戻す」そういった機能も非常に重要です。そういったことをよく理解した、主催の萬年順子さんと、今回来ていただいた村松稔之さんが、チャリティーリサイタルを考えてくれました。
「村松稔之カウンターテナーリサイタル」、この声が聴けるのは福岡ではめったにないことで話題になっているようです。チケットが残っているかどうかは、「SOS子どもの村JAPAN」(電話092-737-8655、平日午前10時~午後6時)に問い合わせください。
SOS子どもの村JAPAN
http://www.sosjapan.org/
◎神戸金史(かんべ・かねぶみ)
1967年、群馬県生まれ。毎日新聞に入社直後、雲仙噴火災害に遭遇。福岡、東京の社会部で勤務した後、2005年にRKBに転職。東京報道部時代に「やまゆり園」障害者殺傷事件を取材してラジオドキュメンタリー『SCRATCH 差別と平成』(2019年)やテレビ『イントレランスの時代』(2020年)を制作した。
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この記事を書いたひと
神戸金史
報道局解説委員長
1967年、群馬県生まれ。毎日新聞に入社直後、雲仙噴火災害に遭遇。福岡、東京の社会部で勤務した後、2005年にRKBに転職。東京報道部時代に「やまゆり園」障害者殺傷事件を取材してラジオドキュメンタリー『SCRATCH 差別と平成』やテレビ『イントレランスの時代』を制作した。現在、報道局で解説委員長。