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原爆で死亡した嘉代子さんの桜の物語 美術部の生徒が挿絵てがけ1冊の絵本に

原爆の当初の目的地・福岡県北九州と、投下された長崎をつなぐ桜の木があります。桜の木をめぐる物語を次の世代に伝えようと北九州市の市民グループと中学生が絵本を制作しました。

「知っていますか」から始まった絵本の読み聞かせ

「皆さんは校庭に、嘉代子桜・親子桜と名付けられた桜の木があることを知っていますか?」

8月6日、福岡県北九州市で開かれた絵本の読み聞かせ。読み聞かせは、この問いかけから始まりました。

原爆で死亡した娘を思い母が植えた「嘉代子桜」

1945年8月9日。広島に続き長崎に原子爆弾が投下され7万人を超える人が死亡しました。この時、爆心地近くの旧城山国民学校(現在の城山小学校)で亡くなった1人が当時15歳だった林嘉代子さん。嘉代子さんは、学徒動員中でした。戦後、母の津恵さんが娘の死を悼むため城山小学校の校庭に植えたのが「嘉代子桜」です。

「知られていないのはかわいそうだと思った」

北九州市は、戦争の悲惨さと平和の尊さを伝えようと2009年から「嘉代子桜」の思いを継いだ桜の木を「嘉代子桜・親子桜」として市内各地に植え続けています。北九州市立のすべての小学校・中学校の校庭に植樹され、今年も春には花を咲かせました。

 

この嘉代子桜に込められた平和への思いに共感し絵本を制作したのが、北九州市を拠点に地域で読み聞かせを行う市民グループ「ひだまり」です。

 

ひだまり 田口文彦さん
「校庭に嘉代子桜が咲いているにもかかわらず、小学生も中学生も市民の方々も知らない、かわいそうだなと思ったのがそもそものきっかけです」

原爆は小倉に投下されていたかもしれない

北九州市には、西日本最大級の兵器工場「小倉陸軍造兵廠」があり、原爆投下の第1目標でした。目標が長崎に変更されたのは、前日の八幡大空襲によって上空に黒い煙が漂い、目標地点が定まらなかったからといわれています。
絵本は、小倉陸軍造兵廠に学徒動員されていた女性が時を経て祖母になり、孫に空襲や原爆、嘉代子桜について語っていくストーリー。

絵本の挿絵は美術部の生徒が描いた

絵本の挿絵を手がけたのは、湯川中学校の美術部の生徒たち13人です。
爆撃機が飛んでくる方向や人物の表情などを試行錯誤しながら約9か月かけて9枚を描きました。ひだまり代表の服部多恵子さんは、中学生に挿絵の制作を依頼した理由をこう話します。

 

ひだまり服部多恵子代表
「戦争や平和を、自分の経験として語れる人が少なくなっていますよね、私たちももちろん経験したことがないし。今後は、さらに若い子どもたちが活動していかないといけない。子どもたちに関わってもらえたらいいなと思って依頼しました」

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この記事を書いたひと

浅上旺太郎

山口県出身。九州大学法学部卒。2015年入社。本社報道部、現在の情報番組部を経て2022年6月から北九州報道制作部。福岡県警・北九州市政などを担当。最も印象に残る取材は2017年7月の九州北部豪雨。