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「気持ち切り替え楽しく生きよう」左足を失った高校球児 「患者の心も救う」作業療法士に

野球の強豪校で甲子園をめざしていた16歳の少年。がんで左足を切断することになった時、最初に考えたのは「生きる意味がない」ということでした。44歳の今、作業療法士として患者に寄り添う傍ら、スポーツ選手としての夢も追い続けています。絶望が希望に変わるきっかけは、身近な人の「ありのままの姿」を見た時だといいます。

作業療法士として福岡の病院で働く

「戻すところまでやってみましょうか。大丈夫ですよ」

福岡県北九州市の病院で患者に優しく声をかける男性がいました。作業療法士として働く黒塚智幸さん(44)です。

16歳で骨のがんに

黒塚さんは16歳の時に骨肉腫、いわゆる骨のがんと診断され、左足の太ももから先を切断しました。甲子園出場を目指し、野球の強豪校で練習に励んでいた黒塚さん、当時は生きていく意味を失いかけていたと話します。

作業療法士 黒塚智幸さん
「スポーツを中心に生活がまわっていたので、スポーツができなくなるということで『あまり生きている意味がないな』というのが一番最初に考えたことでした」
 

同じ病気を克服した教員の姿が希望に

追い詰められていた黒塚さんを救ったのは、同じ病気で足を切断した高校教諭の歩く姿だったといいます。

作業療法士 黒塚智幸さん
「たまたま僕が通っていた高校の先生で同じ病気で義足になった方がいて。先生の歩く姿を見た時に、自分もあそこまでなれるんだなということを感じて」

「ありのままの姿を見せたい」作業療法士の道へ

希望を取り戻した黒塚さん。ありのままの姿を見せられる職業につきたいと選んだのが、作業療法士の道でした。病気や治療で苦しむ患者に自分の経験を話すことで、患者の体だけではなく心も救うことを実感しています。

作業療法士 黒塚智幸さん
「私のように社会復帰している姿を見て『こういう人もいる』と何か感じとっていただけたのか、『頑張る』と言ってくれた患者さんもいます」
後輩の目にはどう映っているのでしょうか。

後輩の作業療法士 新屋徳明さん(27)
「一言で言うと、優しいですね。優しいしよくご飯に連れて行ってくれます。後輩の面倒も見てくれるので頼れる上司です」

スポーツも諦めない

仕事終わりにスポーツウェアに着替えた黒塚さん。作業療法士として働きながら、去年、車椅子ソフトボールを始めました。車椅子ソフトボールは、文字通り車椅子に乗って行うソフトボールで、障害のあるなしや性別にかかわらず楽しむ事ができるスポーツです。2028年ロサンゼルスパラリンピックの正式種目入りを目指す注目の競技でもあります。

黒塚智幸さん「子供のころからオリンピックは目標としてあったので、障害を負って今はパラリンピックという形になるんですけれど、最終的には『出られたらいいな』というのが自分の目標です」

24歳で野球を再開 パラ目指して挑戦中

実は黒塚さん、野球を諦めきれず、20年前24歳の時に、身体に障害がある人が集まる野球チームに所属しました。筋力トレーニングなど努力を積み重ねた末、ピッチャーとして日本代表に招集されるまでに上り詰め、2010年には、世界大会で優勝という快挙も成し遂げました。その経験も生かして、今は車椅子ソフトボールにも挑戦し、パラリンピック出場を目指しています。

「今の自分が楽しく生きる方法」を考える

20歳以上年の離れた若いチームメイトにとっても黒塚さんの存在は刺激になっているようです。

チームメイトの大学生
「自分たちと同じようにやってきて、突然足を切断することになってつらい思いをされているんですけど、それを感じないような明るい方。接しやすくて学生の味方をしてくれるような方です」

黒塚智幸さん
「若い力があるので盛り上げてもらって楽しいですね。障害を受け入れるまでには時間がかかりましたが、受け入れてからは『自分しか出来ないことを探しながら楽しく生きよう』と。今は気持ちを切り替えて、今の自分でも楽しく生きる方法を考えながらやっています」

作業療法士として患者に寄り添いながらスポーツ選手として夢を追い続けます。

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この記事を書いたひと

下濱美有

1996年大阪府生まれ。2019年入社。本社報道部で事件取材担当後2020年~北九州市で警察・司法・市政を担当。得意分野は芸術。