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「元気がないから兵隊に突かせる」処刑方法を決めたのは~28歳の青年はなぜ戦争犯罪人となったのか【連載:あるBC級戦犯の遺書】#31

BC級戦犯として横浜軍事法廷で裁かれた石垣島事件では、41人に死刑が宣告され、うち7人に絞首刑が執行された。死刑が執行されたあとに海軍少尉が書いた「石垣島事件の概要」。そこには事件当日、米軍機搭乗員の処刑の方法を決めるやり取りが記載されていたー。

司令の命令通り、兵隊に突かせる

殺害された3人の米軍機搭乗員

 

1953年6月24日、スガモプリズンで獄死した前島勇市少尉。前島少尉が赦免に向けて作成した「石垣島事件の概要」には、処刑の当日、誰がその方法を決めたのかが、会話形式で記されていた。

(石垣島事件の概要)※分かりやすく一部書き換え
1945年4月15日午後6時ごろ
司令井上大佐:「榎本中尉、前島少尉、ここへ来い」と命ぜられる(第三図)右手を出し、母指を折り「1名は幕田大尉が斬る。1名は田口少尉が斬る。あと1名は誰に斬らせようか」と井上副長の方を向いて言われた
副長井上大尉:「2名斬るんですから、1名は兵隊に突かせましょう」と言う
司令井上大佐:「2名斬らせて、1名は突かせることにする」
前島少尉:「兵隊は国民兵と補充兵で、訓練はなし。銃の持ち方も完全ではないから、突くことは困難と思います」
司令井上大佐:「敵が今日にでも上陸するというのに、突きも出来ないようでは、仕様がない。元気がないからだ。病人が多いことはどうだ。兵隊に突かせることに決定する」
副長井上大尉:「司令の命令通り、兵隊に突かせる。榎本中尉は模範を示して、刺突の指揮をせよ」
榎本中尉:「銃剣術の上手な者が、ほかにも居ります」
副長井上大尉:「榎本中尉は、銃剣術の五段じゃないか。海南島で8名も突いたと言ったじゃないか。榎本中尉に命令だ、やれ。兵隊にもなるべく多く突かせろ。柱を立てて、縛り付けてやるんだ」

3人目の処刑方法を提案したのは副長

「石垣島事件の概要」(第三図)(国立公文書館所蔵)

 

前島少尉は、この命令によって3名の搭乗員を誰が処刑するかが決定され、実施となったと書いている。つまり、搭乗員2人を誰が斬首するか決めたのは井上乙彦司令で、3人目を斬首ではなく兵に突かせることを提案したのは、井上勝太郎副長だった。それを受けて、井上司令が決定している。

3人目を兵に突かせ、その指揮を命じられた榎本中尉は、柱を準備し現場に持参、穴掘りの作業が終わるまで指揮した。そして午後8時。隊内の巡検が行われ、午後8時40分ごろ、士官室には各士官、准士官10数名が集った。

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この記事を書いたひと

大村由紀子

RKB毎日放送 ディレクター 1989年入社 司法、戦争等をテーマにしたドキュメンタリーを制作。2021年「永遠の平和を あるBC級戦犯の遺書」(テレビ・ラジオ)で石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞奨励賞、平和・協同ジャーナリスト基金賞審査委員特別賞、放送文化基金賞優秀賞、独・ワールドメディアフェスティバル銀賞など受賞。

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