処理水問題の“落としどころ”は?過去に重なる反日の機運
東京電力福島第一原発から出た処理水の海洋放出に中国が猛反発。日本産のすべての水産物の輸入を停止している。日中関係が困難な状況に陥ることは過去に何度もあった。ただ、そんな中でも、かすかな光明、「落としどころ」がうっすら見えていたが、今回はどうなるのか。東アジア情勢に詳しい飯田和郎・元RKB解説委員長が、8月31日に出演したRKBラジオ『田畑竜介 Grooooow Up』で解説した。
影の立役者・公明党トップの訪中も拒否
水産物の全面禁輸。鮮度が重要な生鮮品の輸入は実質的に止まった。それに冷凍品や乾物も含めて、日本からの全ての水産物の輸入を禁止された。公明党の山口那津男代表が中国訪問を予定していたが、これも直前になって延期された。
山口代表は、岸田総理の親書を携えて、習近平主席との会談を希望していた。訪中のキャンセルは、中国からあった。「当面の日中関係の状況に鑑み、適切なタイミングではない」「今はその環境にない」というのが理由だ。「岸田総理の親書は受け取れない」ということを意味する。
1972年の日中国交正常化に至る前は、公明党、それに支持母体・創価学会が中国側と関係を築いてきたという経緯がある。半世紀が過ぎても、影の立役者だった公明党とは、中国側とは長年培ってきた信頼がある。中国の要人がよく使う「水を飲む時は、井戸を掘った人のことは忘れない」という存在だ。自民党内にある、時に強硬な対中姿勢を、公明党は補う役割をしてきた。
その公明党のトップであっても、「今は来てもらっては困る」というのは、それだけ、難しい局面にある、と言えそうだ。
処理水の海洋放出は向こう30年間続く
水産物の全面輸入停止は、福島から遠く離れた、例えば、沖縄産だろうが、北海道産だろうが対象になっている。日本から中国への農林水産物の輸出は増え続け、輸出相手の国別で中国が最も多い。中国向けの水産物の輸出は全体の3割を占める。ホタテやアワビは高級中華料理の食材として、日本産の品質は、中国人から高く評価されてきた。
ほかにも、青森県・大間のマグロの刺し身、大分県の関サバ・関アジなど、我々日本人も滅多に口に入らない高級品まで高値で取り引きされてきた。それに、日本で盛んな陸上でのサーモン養殖には、中国市場をターゲットにしたものもあるという。
それにしても、中国の一連の対応は、冷静さを欠き、頑なすぎるようにも思える。報道についてもそうだ。24日の午後1時、福島第一原発から処理水の海洋放出が始まると、間髪入れずに「人民日報」のアプリに、ニュース速報が飛び込んできた。そのほか、このアプリには、海洋放出に関するニュースがあふれ返っている。たとえば、処理水放出について「漁業者が怒っている」、「市民団体が反対集会を開いた」、また「別の第三国が放出に懸念を表明した」とか…。
報道内容は、放出を否定する動きが目立つ。このスタイルは、ほかの例で紹介すると、沖縄県名護市・辺野古への米軍基地移転問題についての報道とよく似ている。自分たち、つまり、中国の主張に合った出来事、動きを中心に報道するスタイルだ。
そういう報道を見聞きした中国の国民は、日本への反発・反感を強めていく。中国のニュースサイトの載っている読者の書き込み欄には、ここで紹介するのをためらう表現で、日本を非難している。そして、中国当局もそれを容認している。
過去に何度もあった反日デモ・不買運動
処理水の海洋放出が始まって以降、中国側で起きた動きを見ていると、苦い思い出がよみがえってくる。過去、中国国内で発生した反日デモだ。大規模なケースでいうと、2005年、2010年、それに2012年に起きた。
2005年は3月下旬ころから歴史教科書問題、日本の国連安保理常任理事国入りに反対する署名活動が始まった。それが中国各地に拡大した。暴徒化した市民によって、日本の資本が入ったスーパーに対する暴動が発生した。
2012年は、中国本土や香港の活動家が沖縄県の尖閣諸島に上陸し、この活動家らが逮捕・強制送還された。さらに日本政府が尖閣諸島を国有化したことで、国営メディアが中国国民の反日感情をあおり、反日デモが繰り返されるようになった。
反日デモは、日本が中国へ抗議したことに対し、中国政府は「そもそもの原因は日本側にある」として謝罪を拒絶した。今回も、中国各地にある日本人学校に石や卵が投げつけられるといった、嫌がらせが相次いでいる。児童・生徒が乗ったスクールバスも標的にされかねない。
また、中国からかけているとみられる嫌がらせや苦情の電話が福島県などで多発している。「ショリスイ」「バカ」「シネ」などの単語も含まれる。山東省青島の日本総領事館の近くでは、「日本鬼子(日本人の蔑称)を叩け」と書かれた大きな落書きが見つかったという。
「日本鬼子」――。「化け物と同じ日本人」という翻訳すべきか。清朝末期、日清戦争が始まる頃に、清朝の政府関係者が発言した言葉が元で、その後、日中戦争を経て定着し、今なお中国で日本人に対する蔑称。さげすんだ表現だ。
日本製品に対する不買運動を呼び掛ける動きも出ている。「化け物のような、鬼のような日本人」という蔑称。それに不買運動が加われば、数年前、十数年前の反日デモより、もっと過去の出来事を連想してしまう。
「日貨排斥」という言葉がかつてあった。日本の商品(=日貨)を排除するという中国の反日大衆運動。第一次大戦中の大正4年(1915)、日本は中国に「21か条の要求」を突き付けた。中国において、日本の権益を認めるよう要求したものだ。
日本は中国に受諾させたが、これに対し、中国国内では反日運動が巻き起こった。中国民衆は日本の商品の排斥、それに4年後の「五・四運動」につながる抗日運動を、連想してしまう。100年以上前の日本と中国の間の歴史がよみがえる思いだ。
9月は「ある記念日」に要注意
中国政府は「国際的な公共利益を無視した極めて自分勝手な行為」として処理水の海洋放出をやめるよう日本側に要求している。中国はなぜ、科学的根拠も示さず、これほど頑ななのか? 経済が停滞し、若者の失業率も高い。国内に溜まってきた不満のガスを、日本に向けて発散させている――。そんな見方がある。
ただ、海洋放出が決まった当初から、中国はずっと反発してきた。この間、日中間の政治レベルで、事態の収拾を図る努力がなされてきただろうか。もちろん、台湾有事を含めた安全保障でアメリカと同一歩調を取る岸田政権への不信感が背景にあるのだろう。
そして、処理水放出はずっと続く。中国は、挙げたこぶしをいつ、どこかでおろすか――。中国だって、難しい立場にある。
気になるのは、まもなく、日中間での「ある記念日」がやってくる。それは9月18日、満州事変が起きた日だ。日本軍が旧満州(=現在の中国東北地域)への軍事行動のきっかけとなった事件は1931年(昭和6年)の9月18日に起きた。中国では過去においても、この日に、反日運動の炎が各地で燃え上がったことがある。9月は要注意だ。
◎飯田和郎(いいだ・かずお)
1960年生まれ。毎日新聞社で記者生活をスタートし佐賀、福岡両県での勤務を経て外信部へ。北京に計2回7年間、台北に3年間、特派員として駐在した。RKB毎日放送移籍後は報道局長、解説委員長などを歴任した。
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