「落とした映像から言葉が降ってくる」ドキュメンタリー制作で起こる奇跡
目次
「TBSドキュメンタリー映画祭2024」が3月中旬から、全国6都市で順次開催される。福岡会場で上映される『リリアンの揺りかご』(80分)を製作したRKB神戸金史解説委員長が、2月20日に出演したRKBラジオ『田畑竜介 Groooow Up』で「ドキュメンタリーを制作する時に意識している」という“お作法”を紹介した。
「TBSドキュメンタリー映画祭」福岡では3月29日から
TBSドキュメンタリー映画祭が3月29日から4月11日まで、福岡市のキノシネマ天神で開かれます。ドキュメンタリーは「堅い」イメージがあると思います。でも、音楽や子供たちのヒューマンドラマ、テーマの幅広さがドキュメンタリーの魅力なんです。この映画祭は福岡も含め全国6会場、東京・大阪・京都・名古屋・福岡・札幌で開かれます。
TBSドキュメンタリー映画祭公式サイト
https://www.tbs.co.jp/TBSDOCS_eigasai/
TBSの9作品、RKBも含め地方局4局の6作品が上映されます。私が楽しみにしている作品も多くて、とくに注目しているのがTBS元アナウンサーの久保田智子さん(現・デジタル編集部)が手がけた『私の家族』という作品。久保田さんは特別養子縁組をして新生児を家族に迎えたのですが、その子が2歳になり、実の母について「真実告知」をする時期に入ってきました。その場面を、自分の家庭の中で撮っています。
果たしてどう描かれているんでしょう。撮影するとき「どういうスタンスで臨んでいるのか」は、見ている人にすぐ伝わります。アナウンサーの世界でも同じだと思いますけど「よく見せたい」と考えると、それが伝わっちゃうじゃないですか。そうならないように作らなければ、番組にも映画にもなりません。どんなスタンスになっているのか、すごく楽しみです。
『私の家族』予告編
RKBが制作した2つの映画
福岡では、RKBの2作品が上映されます。ひとつは『魚鱗癬と生きる―遼くんが歩んだ28年―』。皮膚が魚の鱗のように硬くなって剥がれ落ちていく難病の魚鱗癬を持っている梅本遼さんを、RKB報道部は28年にわたって追い続けてきています。それを大村由紀子ディレクターがまとめたすごい作品になっています。
【魚鱗癬と生きる 予告編】
もうひとつは私が作った『リリアンの揺りかご』で、上映初日の3月30日(土)午後には、私も舞台あいさつで会場にうかがいます。大村由紀子さんの舞台あいさつは翌3月31日(日)午後の予定です。
【リリアンの揺りかご 予告編】
こうした作品が上映されるのは、非常にいい機会だと思っています。
「お作法」その1 紙の台本を廊下に並べる
いつもドキュメンタリーを作る時、どんなことを考えているかをお話しします。自分では「お作法」と言っています。
ニュースでも、原稿を書いて、映像を見ながら「どこを切り抜こうか」と考えて、一つのパッケージにしています。今回の映画版だと80分と長いものになっていますが、短いニュースなら1分、ドキュメンタリー番組だとは24分とか48分です。
僕はパソコンの画面だけで台本を確認することが苦手なんです。何ページにもなってくると、画面にはちょっとしか出ないじゃないですか。紙にプリントすると、何となく「ここの比重がすごく大きいな」とか、「ここが短すぎるんじゃないかな」「出てくるのが早すぎるんじゃないか」とかが、一覧で分かるんです。80分の映画版だと台本は50ページぐらいあったんですけど、廊下に1列ずらっと並べて、半腰になって見ていきました。
その原稿を書く時ですが、まず一気に書き上げます。ただ、着手するまでは受験勉強と同じで、すごく時間がかかるんです。おまけに「追い詰められると本を読む」という悪い癖があって、これもテスト前に漫画を読むのと一緒です。追い詰められた後に「まずい!」と思って、書き出すのですが、一旦始めると13時間くらい続けてやるという感じです。
そこで一気に大きな形ができたら、今度ははさみで切ってそれらを入れ替えてみて、廊下で「どうだろう…」とずっとやっています。実際、ばっさり切らなきゃいけないことがいっぱいあるんです。「もったいないな」とも思うんですが、切ります。本当は、切ったところを落としたくはないんです。そこを、ずっと頭の中に取っておきます。
「お作法」その2 両手で生卵を持つような感覚で
書くのも切るのも、すごくハイテンションになって、アドレナリンが出てくるので、静かに心を収めようと努めています。イメージとしては、生卵を両手に掲げて持つような。あまり力を入れると割れるので、手のひらで優しく持って、落とさないように…。そんなイメージです。
決め打ちでガンガン行くと、大事なものが抜け落ちるので「優しく持って、少し考える」という時間を取っています。
僕たちの仕事の一番根本的なところなんですが、取材したもののうち、使うのはその一部。よくネットでは「切り取る」って批判されますが、それこそが僕らの仕事の本質みたいなところがあります。
だけど、切り落としてしまったものに対する眼差しみたいなものも、同じぐらい大事なんですよね。それが頭にちゃんと残っていると、インタビューなどの音と音の間をつなぐナレーションに、機微な表現がどんどん生きてくるんです。落としたまま忘れると、何か冷たい感じになってくるような気がするので「忘れないように、忘れないように」と思いながら、言葉を紡いでいます。
「お作法」その3 台本を常に手元に
台本になったものは、夜中でも枕元に置いて、いつでも赤ペンで書き込めるようにしています。編集している時はずっと頭のどこかで考えています。あまり行儀のいいことではありませんが、食事をしている時も横に台本を置いているし、居酒屋でクールダウンしながらビールを飲んでいる時もそうですひとり居酒屋で赤ペンを持って台本に手を入れている姿をよく笑われます。
「こんなところで仕事しなくてもいいじゃん」と言われるんですが、頭から離れないので。「それが仕事なのか?」と言われたら、別にタイムカードを押しているわけでも何でもないですけど……。
やっぱり、卵を大切に持っているような感覚でいる時に、ふと浮かんだ言葉を捨てたくないんです。すぐ忘れるから、その前に台本に書き込む癖を持っていると、どこかで「信じられないような言葉」がふっと降りてくることがあるんです。大抵、番組のラスト「本当にこの言葉でいいのか?」「もう一言、何かが足りない」と思う時に、「ああ、そうだ。これだ!」と書くのは、ほとんど午前2時の居酒屋のカウンターです。
編集では映像と音を紡いでいくわけですけど、編集マンが膨大な量の映像をちゃんとつないでくれた時に、ディレクター・記者として最後に「あと何ができるか」、つまり、きちんとしたナレーションを間に挟み込むことによって、前後の映像・音をどれだけ引き立てられるか、ということになります。
最後は、活字をどう書くか。もう1テンポ、もう1ランク上に上げるのが僕の頭の中で可能になるんじゃないか。子供が泥団子を磨いている時、最後にキュッキュッとやって輝かせるように、言葉によって「きれいに磨く」というか。そして、それは「落としてしまった中」から出てくることが多いんです。総合的に「一つのもの」になっていくような感じがします。
出来上がった時はいつも「これが自分の最高傑作だ」って思うんですが、作り終わった後考えると「やっぱりこうすればよかったかな…」と思うこともよくあります。そんな思いで、今回も『リリアンの揺りかご』という80分の長い映画を作ってみました。僕がナレーションにどんな言葉を書いているか、を見に来た方に感じてもらえたらと思います。
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この記事を書いたひと
神戸金史
報道局解説委員長
1967年、群馬県生まれ。毎日新聞に入社直後、雲仙噴火災害に遭遇。福岡、東京の社会部で勤務した後、2005年にRKBに転職。東京報道部時代に「やまゆり園」障害者殺傷事件を取材してラジオドキュメンタリー『SCRATCH 差別と平成』やテレビ『イントレランスの時代』を制作した。現在、報道局で解説委員長。