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「イエスの方舟」の“真実”描いた若き監督が“方舟の地元”で語る

radiko podcastで聴く(前編)

ドキュメンタリー映画『方舟にのって~イエスの方舟45年目の真実~』(2024年、69分)の先行上映が東京と福岡で始まった。7月13日には、福岡市の映画館で佐井大紀監督のトークショーがあり、RKB毎日放送の神戸金史解説委員長も登壇。神戸解説委員長は7月16日に出演したRKBラジオ『田畑竜介Grooooow Up』で、そのときのもようを紹介した。

「騒動」を直接知らない世代が描く

12時から始まる聖書の勉強会©TBS

「イエスの方舟」は1980年、ワイドショーや雑誌でセンセーショナルに報道されました。「東京・国分寺市から10人の女性が突然失踪した」「彼女たちを連れ去った謎の集団・イエスの方舟の主宰者・千石剛賢(たけよし)は、美しく若い女性を入信させてハーレムを作っているのでは」と世間は騒然としました。

あまりの過熱に、警察も暴力行為と名誉棄損などの疑いで指名手配しました。結果、2年2か月の逃避行が続いた後、千石さんらは不起訴となり、世間の注目は終わりましたが、彼女たちの共同生活は千石さんが亡くなった後、45年目の今も福岡で続いています。つまり福岡は「イエスの方舟」の地元なのです。

この映画を撮ったのは、TBSテレビのドラマ制作部にいる佐井大紀(さい・だいき)監督で、1994年生まれの30歳。トークショーでは西南学院大学法学部の田村元彦准教授と一緒に私も登壇しました。

佐井大紀監督

佐井大紀監督:今日はわざわざありがとうございます。こんなにも暑い時に、皆さん多分命を削っていらっしゃっていると思うんですけども、ちょっとでもお返しできればと思いますので、短い時間ですがよろしくお願いします。

田村元彦・西南学院大准教授:最近たまたま西南学院大学で、森崎和江さん(詩人・ノンフィクション作家)が亡くなって2年経ったので追悼するイベントをした時に、登壇した2人の研究者が、実は森崎さんと直接会ったことがない。そういう人たちへの「直接知らないだろう」みたいな圧力って結構同時代の人からはあるわけですね。ところが、次の若い人になってくると、そういうものを押しのけていく。関係なく、財産を非常にうまく使って自分なりのクリエイティブなものを作る世代が出てきたなと。

ドラマを制作している30歳の若い監督

佐井大紀さんは、TBSドラマ『Eye Love You』(2024年)などを制作しています。そのかたわら、ドキュメンタリー映画『日の丸~寺山修司40年目の挑発~』や、『カリスマ~国葬・拳銃・宗教~』を作っていて、今回が3本目です。私も田村先生から『方舟にのって』の感想を聞かれたので、こう答えました。

神戸:この時期に佐井君が出てきたということが、この映画が生まれる一番大きなきっかけになっていることは間違いないです。映画を見ても、監督自らが出てきていて、取材先との距離感が非常に近いことがありありと出ています。こういった取材姿勢を取れるかどうかが、今回のこの映画が成立する一番大きな原因になっていると思うのです。だから、ある程度の時期が必要だったろうと思うし、逆に言うとあれだけ騒がれた当時の千石イエス事件、方舟事件と言われたことを知らない世代が直接飛び込んできたという形が、映画の成立する一番の要因になっているんじゃないかという気がしています。

神戸:映画の中身は、女性の登場人物一人一人の言葉が、とても腑に落ちる素直な言葉が多くて、そこに引き込まれていく感じがありました。何か、とても素敵なんですね。編集センスは、今の世代の作り方になっている。過去の映像を改めて取り上げる、というふうには収まっていないわけです。そういう意味で、佐井君という一人の制作者、映画創造者がいたということが、この映画の一番の面白みになっていて、そして女性たちの魅力を引き出しているという感想を持ちました。

知らないことを描くのは、やはり怖いですよね。「まだ生まれてないじゃないか」と言われるかもしれませんが「シェークスピアの演劇をライブで見た人は今いない」と田村先生は話していました。

佐井さんはドラマを作ってきて、いろいろな幅があり、編集にもものすごく手法を持っているので、ドキュメンタリー映画としてある意味異質なものが生まれてきたのかな、と思います。

「イエスの方舟」騒動とは

協会にかかる看板©TBS

「イエスの方舟」は、聖書を読む勉強会の名前です。代表は千石剛賢さんで、1923年兵庫県生まれですから、今お元気であれば101歳ということになります。「おっちゃん」と呼ばれていました。1960年に大阪から上京し、キリスト教の「集会」を始めていきます。これが「イエスの方舟」の起源です。

次第に、家庭を捨てて共同生活を始めていきます。1978年に、女性メンバーの家族から「娘が奪われた」と訴え騒ぎになって、方舟は姿を消しました。1980年、雑誌に親が訴えを載せて、大騒ぎになります。衆議院予算委員会でも「狂信的団体」として取り上げられますが、結局名誉毀損や暴力行為は不起訴となります。どうしてこの問題を若い佐井監督が取り上げようとしたのか、聞いてみました。

佐井大紀監督:「イエスの方舟」はどういうものなのかという定義付けを、あまりに今まで日本人はしてこなかった。どういう人たちで、どういうことを思って生きていて、というところまですくい上げようとする人はあまりいなかったと思うんです。そこを逆に今、時間が経って訪ねていった時に、何かを信じて生きることの本質が、それは同時に「旧統一教会みたいなものがどうしてあれだけのことをできてしまうのか」というところも裏返しとして分かるんじゃないかな、と思ったんですね。それで訪ねていったという経緯だったんです。

佐井大紀監督:「イエスの方舟ってこういうものなんだ」って断言する。僕は「それではないな」と思ったんです。「僕からは、方舟の皆さんのことがこう見えている」「これは、僕が皆さんと過ごした時間のものである」という形にするのが一番誠実というか、正しいなと思ったんです。映画として何かストンと落とすためには多分「本当はおっちゃんはこんな人だったんだ」という真相とか、情報が欲しくなってしまうと思うんですよ。種明かしがあるような、何かスカッとするような「落ちるもの」…。

佐井大紀監督:「イエスの方舟」の皆さんの営みや生活にはいろいろな見方があって、メディアの報道のあり方や、当時の日本社会の「本当の家族って何だろう」という問題、「女性の生き方」ということも多分あると思うし、ものすごく多面的なものを「これはこうだ」と言おうとすると、うまくいかないと思うんですね。今まで形にならなかったのは多分そこなんじゃないかなと、僕は撮った後にいろんな感想をいただきながら「多分イエスの方舟って、そういうものなんだな」と思ったんです。

 
「シオンの娘」で披露されるショーの様子

「イエスの方舟」は1980年末に福岡市中洲でクラブ「シオンの娘」を開店します。生活費を稼がなければならない。女性は隣に座るのではなく、対面でカウンター越しに接客して、剣劇だったりタップダンスだったりショーを見せます。

1993年には福岡県古賀市に共同生活を送る教会を建設しましたが、2001年に「おっちゃん」こと千石剛賢さんが亡くなっています。妻のまさ子さん(91歳)が教会での共同生活を引き継ぎました。中洲の店は老朽化し、いろいろ変転があって「シオンの娘」は現在、古賀市の駅前に移っています。

古賀市にあるクラブ「シオンの娘」


 

映画館に来ていた「シオンの娘」たち

取材を受ける方舟の女性メンバー©TBS

トークショーの客席に、「イエスの方舟」の女性12人も座っていて、私たちの話を聞いていました。私は彼女たちに質問したくなって、マイクを渡しました。千石剛賢さんとまさ子さんの娘、千石恵さんです。

千石恵さん:当時から、女性ばっかりがクローズアップされていましたけれども、たまたま千石剛賢の子供が全部娘だったので、当然友達も女の子になって、お友達もやっぱりいろんな悩みとかも抱えていて、話をしているうちに「一緒に聖書を勉強しましょう」と。ただ当時、プレハブみたいなところに住んでいたので、それで理解が得られなくって。普通のいわゆるカトリックとかプロテスタントとかきちっとした教会みたいな形を持っていれば、もう少し理解を得られたのかもしれませんけれども。一緒に聖書を勉強している男性もいます。でも、女性を取り上げた方がマスコミとしては面白いというか、世間が注目しやすいということで、あえてマスコミの方たちが女性ばっかりをクローズアップされたんじゃないかなと思っています。

神戸:共同生活には男性はいなかったけれど、聖書を学ぶ中には当時からいたということですか。

千石恵さん:そうです。もちろん。男性は男性、家族は家族、ご夫婦はご夫婦。で、教会では女性だけが住んでおります。あまりにもすごい誤解、一方的にいろんなことを作り上げて、私達は追われる形で「逃避行」と呼ばれてしまったんですけど、「ハーレム教団」とかいろいろ言われましたけど、実際父がいて母がいて娘がいて、そんなところでハーレムなんてあり得ないので、逆に「そういうことを考える方が非常にハレンチだな」と、私たちはその時ものすごく憤慨しておりました。

神戸:こういうトークショー、すごいと思いませんか? 当事者の方がいらっしゃる福岡ならではですよ、すごいことですよね。

来場していることに気付いていない人もいました。どうやって過ごしてきたのか、肉声を聞けたのはすごくうれしいことでした。どういう団体だったのか、実は僕らもわかっていないんじゃないかと思います。

千石恵さん:どこまでも私たちは「聖書を勉強しているグループ」であって、教祖がいて、狂信的にみんなが信じているわけではありません。映画の中でも、「人生でキリストのことをやっぱり一生懸命学ばなきゃいけない」と父が言っておりましたけれども、聖書を勉強するということと、いわゆる宗教とは違います。だから、父が亡くなったからといって、みんなが後追いをするというようなことは絶対なかった。私達の信念は変わりませんので、ただ、誰かがまとめ役にならなければいけないので、今は母がまとめ役。前は父が「おっちゃん」と言われていましたが、今は母が「おっちゃん」と言われています。

千石剛賢さんの妻まさ子さん(91歳)もマイクを握る

母の千石まさ子さんも会場に来ていました。お元気で、お店では自ら歌も披露しています。ほかの女性たちも、ごく普通の人だなという印象でした。

「囚われずに表現」と佐井監督

佐井さんがドラマ制作に携わっているので、映画は、非常にスタイリッシュ。作り方で意識したことについて、聞いてみました。

神戸:かなり、ケレン味のある作り方をしていますよね。例えば、現在の「方舟」の皆さんの映像が少し彩度を落としてあって過去の映像のような色彩になっている後に、古い資料映像が繊細なカラーで来たりとか。

佐井大紀監督:さっきの多面性の話じゃないですけど、過去と未来、過去と現在ももちろん、映像的なフィルムとデジタルとか、いろんなことがとにかく多面的で、時間と空間というものを行き来しながら物語っている映画なんですよね。かつ「イエスの方舟」の皆さんは、見方次第でいろいろな捉え方ができる。記者の見方、社会学者の見方、女性作家が見る形だと、全部違うと思うんです。

佐井大紀監督:でも、結果的にはよかったな、というか。やっぱり、「飽きさせたくない」とものすごく思ったんですよね。ドキュメンタリーって、事実を正確に誠実に伝えるところに囚われてしまって、そもそも本当にそれを伝えるんだったら文章でいいじゃないか、なぜ映像メディアで音声もあるものでやるのか、というところをついつい忘れてしまいがちな瞬間がある。映像表現としてやることの意味を考えながら、同時にお客さんに飽きさせない、ずっと見ていてもらえるようになることを、すごく意識してやりました。

映画『方舟にのって』のポスター

「ドラマの作り手だなあ」という気がしました。僕らの仕事は、音声と映像をつないで情報を伝えていくもので「音ならでは」「映像ならでは」の力を最大限にするべきだ、というのは全く同感です。映画の冒頭とラストは、ドローンの美しい映像を使っていますが、RKB映像部が撮影したものです。ドキュメンタリー映画『方舟にのって~イエスの方舟45年目の真実~』は、全国に先駆けて東京(ポレポレ東中野)と福岡(KBCシネマ)で上映中です。

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この記事を書いたひと

神戸金史

報道局解説委員長

1967年、群馬県生まれ。毎日新聞に入社直後、雲仙噴火災害に遭遇。福岡、東京の社会部で勤務した後、2005年にRKBに転職。東京報道部時代に「やまゆり園」障害者殺傷事件を取材してラジオドキュメンタリー『SCRATCH 差別と平成』やテレビ『イントレランスの時代』を制作した。現在、報道局で解説委員長。