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田畑竜介がナビゲート「RKBドキュメンタリーの日」珠玉の3作品一挙放送

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RKBテレビは8月12日、「RKBドキュメンタリーの日」として、近年制作した3作品を一挙放送する。この企画でナビゲーターを務める、田畑竜介アナウンサーが8月6日、自身がパーソナリティを務めるRKBラジオ『田畑竜介 Grooooow Up』で、制作者やナレーターとともにドキュメンタリーの魅力を語り合った。

難病・魚鱗癬の少年の成長

『魚鱗癬と生きる~遼くんが歩んだ28年~』より

田畑竜介アナウンサー(以下、田畑):8月12日(月・祝)午後1時55分から、「RKBドキュメンタリーの日」と銘打ち、3本のドキュメンタリー作品を放送します。実はこのスタジオには、3つの番組のうち2つにそれぞれ、制作、ナレーションで関わった橋本由紀アナウンサーと神戸金史解説委員長がいるので、ぜひ今日はこの話をしたいなと思いました。

田畑:ドキュメンタリー作品を放送する時間は、いつも深夜とか早朝とかが多いです。今回の特別番組は午後1時55分から。良い時間に皆さんに見ていただけるのです。最初に放送する作品が、『魚鱗癬と生きる~遼くんが歩んだ28年~』。ナレーションを担当しているのが橋本アナウンサーです。

橋本由紀アナウンサー(以下、橋本):この番組は、難病の魚鱗癬が一つのテーマになっています。ただ、福岡県北九州市在住の梅本遼さんが主人公だと忘れて欲しくないな、とナレーションしながら強く感じました。病気のドキュメンタリーとなると、どうしてもそちらに注目してしまう。「この病気にかかっている人の人数は少なくて大変なんだ」というところに目が行ってしまいがちなんですが、梅本さんが病気とどのように向き合って、これまでの人生を過ごしてきたか。RKB報道部が23年にわたってずっと追ってきたドキュメンタリーのナレーションを、今回担当しました。大村由紀子ディレクターの思いもたくさん詰まっていると思うので、ぜひ1本目からの1時55分から見ていただきたいです。

神戸金史解説委員長(以下、神戸):ドキュメンタリーで一番強いのは、過去の映像があることなんですよね。小さかった梅本遼くんが大人になっていく過程が、見ただけでわかります。これは、一番の強みだと思います。

田畑:難病とされる魚鱗癬はまだ認知度が低く、偏見を生みやすい状況の中で、知ってもらうところから始めるのですが、そこで社会と接点を持っていかなきゃいけない。すると、社会の好奇の目にさらされてしまい、そういう壁とまず戦っていく。家族の支えがあって、そこからどう遼くんが歩んでいったのか。遼くんの最後の言葉も胸を打つものがあります。

神戸:「魚鱗癬は、うつる病気ではない」とちゃんと伝えていかなければ。

田畑:正しい情報・知識を知っていただくきっかけにもなるんじゃないかと思います。

東大に公式に批判された都知事

『リリアンの揺りかご』より

田畑:神戸さんは『リリアンの揺りかご』を担当していますね。

神戸:はい。2番目に放送するので、午後2時56分からです。映画『リリアンの揺りかご』は80分サイズで上映したんですが、テレビ用に47分にリメイクしました。編集マンは「いろいろなバージョンを作ったけど、今回が一番見やすいかもね」と言っていました。僕は作り手なので、映画みたいに尺の制限がないと、いろいろなものを盛り込んでしまいましたが、「絞ったこっちの方がいい」という意見でした。

田畑:現代社会にはびこる「不寛容」をテーマにした作品だと思います。

神戸:やまゆり園障害者殺傷事件(2016年発生)を縦軸に置きながら、ヘイトスピーチ、朝鮮人虐殺が関東大震災の時にあった史実を直視しようとしない東京都の小池百合子都知事の問題を取り上げています。そこには不寛容というものが横たわっていて共通しているのではないか、というのが番組で私が伝えたかったことです。

神戸:特に、小池百合子さんはひどいです。朝鮮人虐殺は数千人規模で行われてしまったものです。僕は日本史学をずっとやってきましたが、日本史の一番暗部です。私達の祖先がそういうことをしてしまったことを認めたくない、直視したくない、と思っても、否定のしようもないものなんです。しかし、小池さんは「いろいろな史実があると聞いていますので、歴史家におまかせしたい」と言っています。

神戸:昨日(8月5日)、東京大学の教員83人が連名で、歴史的な事実だったのだと要請文を出しています。「虐殺の事実があったかどうかの認識を示さないあいまいな回答」しか述べないことで、「評価が定まった学説への信頼を毀損している」と批判、「震災時に朝鮮人が虐殺されたのは疑う余地のない歴史的事実というのが、東大の公式見解」と断じています。こういったことを踏まえて見ていただきたいと思います。

レジェンド鮎川誠さんの優しさ

『74歳のロックンローラー 鮎川誠(特別編)』より

田畑:3本目には『74歳のロックンローラー 鮎川誠(特別編)』。「シーナ&ロケッツ」のギタリストとして活躍した鮎川誠さんが、最愛の妻であり同じバンドのボーカリストでもあったシーナさんを亡くしてからの歩みを記録したドキュメンタリー作品です。私も何度も鮎川さんとお話しし、番組でもご一緒しましたが、鮎川さんが話す言葉は、もちろん豊富な人生経験に裏打ちされたものでもあるんですが、インテリジェンスや人としてのぬくもりをすごく感じさせ、温かいんです。筑後弁だったり、北九州を感じさせるものがあったりとか、その辺がうまくブレンドされた言葉になっています。

田畑:寺井到ディレクターがドキュメンタリーで追い始めた時、病魔と闘うなんて想像していなかったんです。途中から病魔と闘い、残念ながら亡くなってしまう結末になるんですけど、鮎川さんが残した言葉をぜひ、番組を通じて感じ取っていただけたらなと思います。

橋本:鮎川さんのこと、あまり知らなかったんですけれど、インタビューを聞いていると「優しいって、こんなに強いんだな」と感じるので、一言一言を聞いていただきたいと思います。

田畑:本当にロックのレジェンドで、たくさんのミュージシャンに影響を与えてきて、“めんたいロック”の聖地として全国的にも目を向けられるようなロックシーンを福岡に根づかせた第一人者です。そんな鮎川さんは、奢るでもなく、「ロック好きなん? おいでよ、おいでよ」といろいろなことを教えてくれます。その懐の深さみたいなものも感じていただけるんじゃないかなと思います。

田畑:私はナビゲーターとして、この「ドキュメンタリーの日」に携わっています。3作品の放送の合間には、制作した神戸さんをはじめディレクターの方々にインタビューし、短い時間ではありますが「どんな思いで制作に臨んだのか」「どんなところを大事にしたのか」などお話をうかがっていますので、番組と合わせてご覧ください。

「RKBドキュメンタリーの日」に関わった3人

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