福岡のラーメン店の店先で、この木札を見かけたことがあるという方は、きっと、たくさんいらっしゃることでしょう。
筋金入りのラーメンファンには「あ、この店も“ケーシ”(慶史)使ってるんだ」と、今やお馴染みのサインとして捉えられています。一方、前情報がない人にも、重厚な無垢板に書かれた“製麺屋 慶史 謹製”の力強い文字は「なんとなくすごそう、おいしそう」という、“特別な店”であることを印象付けるでしょう。
今回はラーメン店の紹介でなく、ラーメン店にひたすら寄り添い価値を高めてきた、この製麺所の話です。
大野城市にある「製麺屋 慶史」はラーメン、つけ麺などの中華麺に特化し、現在約200店舗の麺を手がけ、月間70万玉を製造している一大製麺所です。“慶史を使っているラーメン店=こだわりのある名店”というイメージを広く浸透させたと言ってもよいでしょう。では、これまでどのような歴史を刻み、進化を遂げてきたのか、そもそも「なぜ慶史の麺はラーメン店店主に選ばれるのか?」。「製麺屋 慶史」代表取締役で、自身も熟練の製麺職人である一松竜太さんに話を聞きました。
一松竜太(いちまつりょうた)さんは、1991年福岡県春日市出身です。高校卒業後すぐに製麺の世界に入り、「博多一幸舎」「博多元助」の麺作りから始まり、海外での製麺室の立ち上げにも多数参加してきました。「慶史」の屋号には「お客様と“慶び(よろこび)の歴史”を刻んでいきたい」との思いが込められています。
「博多 一幸舎」の製麺室としてスタート
実は「製麺屋 慶史」は、もともと「博多一幸舎」の“製麺室”が原点です。「一幸舎」系列の麺を専門に作る「自家製麺 慶史」の屋号で2010年にスタートしました。当時「一幸舎」は福岡でつけ麺旋風を起こした「博多元助」をはじめ「元勲」「元蔵」「元桜」など、系列の“元”シリーズの展開に力を入れていた頃。言い変えると、伝統的な細麺だけでなく“太麺”の魅力も皆が知り始めた福岡におけるつけ麺草創期、さらには博多ラーメンのボーダーレス化が加速していくという時期です。「一幸舎」の大将・吉村幸助さんは「ラーメン業界は今後、麺自体の質や個性がより求められる“麺の時代”へ突入する」といち早く時流を読み、大々的な自家製麺部門を開設。一松さんはその創業時からのメンバーです。
「僕が製麺業界に入るきっかけとなった人。それは『一幸舎』を吉村大将と共に立ち上げた現会長の入沢さんです。入沢会長とは幼少時から家族ぐるみの付き合いがあり『一幸舎で製麺事業を始めるから手伝ってくれないか』と声をかけていただきました。当時僕はまだ高校を出たばかりでしたし、製麺どころか料理の経験も全くありませんでしたが、業種うんぬんというよりも、慕っている入沢会長からの誘いが本当に嬉しくて。『ラーメンは好きだし、麺を作るってなんとなく楽しそう』と、最初はそんなふわりとした感じのスタートでした」と話します。
入社後、一松さんは製麺機メーカーが行っている麺作りの講習を最初に受けただけで、ほとんど独学で製麺のノウハウを身につけてきました。2010年から現在まで、13年間に渡り麺を作ってきた中で、自身の製麺論を確固たるものにし、麺職人としての“厚み”へとつながる、大きなポイントが2つあったと振り返ります。
第1は「立ち上げから最新の大型製麺機を使えて、製麺活動に没頭できたこと」。先にも述べたように「慶史」が開業した2010年当初は「博多一幸舎」の自家製麺室という役割を主に担っていました。2004年に開業し、すでに人気店になっていた一幸舎全店舗、系列の元シリーズの麺を作るには大型製麺機が必要不可欠。「製麺に新たに取り組むとなると一般的には小型の製麺機から始めるものですが、僕はいきなり大型の製麺機で1日数千玉を製造せねばならないところからスタートしました。プレッシャーに押し潰されそうになりながらも、とにかく実践を積み、最良の麺とは何かを追い求める日々。思い返すと、その経験が今、どんなラーメン店からどんなオーダーがこようとも応えられる、数もこなせるという自信につながっていると思います。駆け出しの頃にそれだけの設備を用意し、自由にやらせてくれた、入沢会長、吉村大将には感謝しかありませんね」と一松さん。
そして2点目、特に一松さんが声を大にするのが海外での経験です。
一松さんは「一幸舎」の海外進出にともない、2012年ごろから吉村さんと一緒に、製麺室の立ち上げのため各国をまわるようになります。「ベトナム、ブラジルなど8ヵ国に「一幸舎」の製麺室を作るというミッションでした。小麦、かん水など現地で調達する材料を使い“一幸舎クオリティ”の麺を作る。当然、気温や湿度、水も全く異なる環境でブレのない麺を作るため、粉のチョイス、配合などを都度変えながら試行錯誤を重ねました。海外で身につけたこの“対応力”と“素材の特性を見極める力”は、大きな財産になっています」。
この頃、一松さんはまだ20代前半。活躍の場はさらに広がっていくこととなります。
“自家製麺 慶史”から“製麺屋 慶史”へ
海外の製麺室立ち上げがひと段落ついた後、製麺事業を「一幸舎」から本格的に引き継いだ一松さんは「慶史」の代表取締役に就任。そして2015年、当初から構想にあった他店に向けた製麺事業を始めます。屋号も、これまでは「一幸舎」の専門「自家製麺」であったのを、その他店舗の麺も広く作っていく「製麺屋」に変えました。
「ラーメン店が麺を選ぶ際、当時はどちらかというと製麺所側が主体でした。各社の規格の中からしか選べずあまり自由度がなかったんです。僕が目指したのは、ラーメン店主のそれぞれの要望にきめ細かく応えた麺。つまり『その店の自家製麺のように使えるフルオーダーの麺』です。ロット数も30玉からと小さくし、個人店でも気軽に試してもらえるようにしました」と一松さん。
ラーメン店店主の麺に対する考え方はさまざまですが、大きく「ラーメン屋なら麺まで作りたい」という人と「麺は長く経験を積んだ製麺屋にまかせるべき」という人に分かれます。「慶史」は前者、いわば自家製麺派の店主もの心を掴んだのが大きかったのではないでしょうか。つまり、製麺機本体、麺を作る人件費などコスト、時間をかけずとも、店主がまさにイメージしたベストの麺を作ってくれることが最大の強み。また、新規出店舗や麺の切り替えを検討している店主だけが客になるのではなく、小ロットから対応してくれるゆえ、「限定麺、イベント麺は慶史を使いたい」「居酒屋の締めのラーメンに使いたい」などの要望にも応えられることで、「慶史」は勢力を拡大していきました。
「使っていただいている店舗に掲げる木札は、東京の名製麺所『浅草開化楼』がやっているのを見て『これいいな』と思い取り入れました。「開化楼」で麺を作っている不死鳥カラスさんは僕も尊敬する卓抜の“製麺師”なんです」と、一松さん話します。
「製麺屋 慶史」の麺の特徴とは
「慶史」は大野城市の仲畑と筒井の2ヵ所に工場をもち、双方で連携を取りながら1日2万玉以上の麺を製造しています。ミキシング→タイコ→圧延→カット→袋詰めが主な工程。工場内には小麦のいい香りが漂っています。
「『表面はツルッとしたモチモチ食感』そして『密度の高く“強い”麺』が、僕が大きく目指しているところです。ミキシングで練り上げた2つの生地を押しつぶして1つの帯状にする『タイコ』や、生地の隙間をなくし空気を抜く『圧延』の工程により麺を鍛えることで、しっかりとした歯応え、“密”な感じが出るんですよ」と一松さんが教えてくれました。
また、麺の太さを決める切刃の種類も充実しています。開業当初は11番と22番の2本から始まりましたが現在は6~28番まで幅広く、15本以上を取り揃えています。ちなみに、この“番手”は、3cmの幅の生地から何本の麺が取れるかの数字であり、番手が低いほど麺は太くなります。
この麺の太さだけでなく、生地の種類や厚み、ストレートや縮れなどの切り出し方、さらには加水率、熟成期間などの組み合わせで、麺のバリエーションは無限大に広がります。「お客様の要望に応えるのはもちろんのこと、個性が詰まった1店舗ごとのオリジナルレシピをしっかりと管理することも重要なんです」と一松さん。
さらに、昨今の麺のトレンドについて一松さんはこう話します。
「いわゆる非豚骨系の店舗が増えていっているのに比例して、麺の要望のバリエーションも多岐に渡ってきています。麺は細から中太、太に、そして多加水で食感の立ったものが増えている傾向。縮れ具合はゆるやかなウェーブが多いですが、「茹でる直前に揉んで強い縮れを出すのに最適なものを」というようなオーダーもありますね。また、生地の厚みを切刃の幅よりも広く設定する“逆切り”というスタイルの麺も、源流である横浜家系の店の増加に伴い注目を集めるようになりました。うちならではの取り組みとしては今、『もち小麦』という粉を使った麺を研究中です。その名の通り“モチモチ感”が際立った麺になり、これからその魅力が広く知られていくことになると思いますね。そういう新しい粉の情報も日々集めながら、ラーメン店へ提案していくのも重要な仕事です」。
最後に「製麺屋 慶史」の今後について聞きました。
「フルオーダー、セミオーダーの製麺事業を全国、世界に広めていきたいですね。ラーメン人気は間違いなく高まっていく中で、ラーメンを志す者、成り手は不足していく傾向にあります。僕らは国内、海外で、国籍を問わず意欲のある店主たちが思いっきり挑戦できるよう、麺作りを柱に総合的にサポートしていきたいです。ラーメン店店主が輝くことが文化をつなげていくことにもなりますし、何より店主の喜びが僕らの喜び。だから、僕らはそっと寄り添う脇役を貫きます」。
僕はラーメンライターとして「慶史」の立ち上げから見てきましたが、それまで老舗が圧倒的な存在感を放っていた製麺業界に新風を吹き込んだ気鋭の存在であったことは間違いありません。また、ラーメン店店主にとって「どこの麺を使っているか」は、ある種企業秘密的に捉えられている部分も確かにありましたが、「慶史」の登場以来、むしろ「ここの麺を使っています」とラーメン店側が胸を張ってアナウンスする流れへと変わってきたとも思います。「慶史」はこれからますます勢いづき、取り扱う店舗、製造玉数も増えていくかと思いますが、個人的には、大手製麺所として原点である“ニッチな要望の麺”に、どれだけ応えていけるかに注目しています。
製麺屋 慶史
福岡県大野城市仲畑4-8-10 樋口ビル
092-405-4268
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