PageTopButton

伝説の店「たらふくまんま」店主が「女とみそ汁」のために書いた採用条件

UMAGA

福岡の人気和食店「女とみそ汁」のSNSに「スタッフの採用条件」という画像があがっていました。実はこれ、女将・福味(旧姓菊池)睦さんの父親である菊池俊徳さんが書いたものです。

菊池俊徳さんは、伝説の和食店「たらふくまんま」の店主だった方です。
菊池さんが春吉にその店をオープンさせたのは1988年。それから数多くの弟子を育て、独立開業した彼らの店は軒並み繁盛してきました。「一刻堂」「くーた」「八お野」「信」「有福」「いしい」など、その数は20軒近く。それぞれ業態は違えど、「たらふくまんま」の遺伝子、菊池イズムを引き継ぐ店です。

「たらふくまんま」はとにかくとびきりの食材がウリ。市場などでも「一番いいのはたらふくまんまのところにいく」と言われるほどでしたが、もちろん素材の質だけではなく、その扱い、調理のこだわりにより、「肉じゃが」「いわしの梅煮」「唐揚げ」といった家庭料理のようなものですら、ここでしか食べられないプロならではのおいしさへと昇華していました。
そんな「たらふくまんま」は菊池さんが2013年に59歳の若さで急逝することにより閉店しました。その後、奥さんと娘さんが同じ場所で「女とみそ汁」を始めるのですが、菊池さんが病床でそのお店の事業計画書を作成していたという話は時折聞こえてきていました。
今回、SNSに投稿された画像はその一部だったのです。

そこで今回、睦さんに菊池さんが書いた事業計画書を見せていただきました。企業の月めくりカレンダーの裏とノートに書かれたそれは、経営内容、心構え、厨房のアイデア、価格設定、店舗工事予定など、実に具体的で、菊池イズム満載のもの。これにより(もちろん弟子たちの心と体に染みついたものも)その意志は奥さんと睦さん、そしてスタッフへと託されたのです。

女とみそ汁 事業計画書

計画書の表紙には「女とみそ汁」という店名が紙いっぱいに書かれ、1枚めくるとその店名のいわれについて語られています。そこで初めて知ったのですが「女とみそ汁」のイメージの元に、以前ホテルニューオータニ博多の横にあったこれまた伝説の店「あざみ食堂」があったことを知り驚きました。味噌汁を前面に打ち出しつつも、とんでもない良食材を使った魚をはじめとした料理を深夜まで出し、定食で食べても3000円とかする店でしたが、そのうまさは折り紙付きで、夜な夜な食通たちが通っていました。

女とみそ汁 スタッフ採用条件 女とみそ汁 スタッフ採用条件

さて、話を最初に戻しましょう。菊池さんによる「採用条件」は全部で20カ条あります。タイトルに「卒業生採用条件・・・」とあるのは専門学校卒業生という意味だそうです。
私がすぐ目についたのは
②とにかく美味しいものを食べたいと思う気持ちのある人
⑦1カ月に1回はこづかいを貯めて1人でごちそうを食べに行く人
です。これ、実は私自身取材するときに、店主に聞く質問でもあります。繁盛店のスタッフは、これらに該当することが多いような気がします。

現女将の睦さんは「これ全部当てはまる人はいませんけど、日々仕事をしていると、どんな店にしたいんだっけ?とか、立ち止まって考える日もあったりして、行き詰まるというより、自分を棚卸したいとき、これを見返したりします。この採用条件は、熱い思が強過ぎるけど、料理人の、料理とお客様へのあるべき想いが込められてたりすると思ってます」と言います。

①接客業として笑顔と返事が気持ちよく出来る人
⑮食材の産地、出来ばえ、管理状態、お客様に心からおすすめ出来る人
⑲売り上げを考えすぎるとお客様に迷惑がかかる場合があります。そんな時は今日は私が一番食べたいものはこれだと決めて心から勧めることが出来、お客様を喜ばせられる人

これらでもわかるように、菊池さんは飲食業は接客業であることを常に意識していたそうです。料理人であってもホールに出て、笑顔で接客し、お客様に美味しいものを勧めることができないといけないと考えていたそうです。これには私もまったく同感で、「料理人はうまい料理を作ればいい」では飲食店を繁盛させるのは難しく、商品が料理であるサービス業であることを自覚しているお店にこそ「繁盛」はあるのだと感じます。

改めて読んでみると、この20カ条には採用するときの条件だけではなく、一緒によい店を作っていくうえでの心構え、目標までが入っています。今のように県外や海外から福岡においしいものを食べに来るという人がそんなにいなかった時代から、「たらふくまんま」には東京などの食通が足を運んでいました。その魅力はうまいだけではなく、職人でありながらも、スタッフ教育、ホスピタリティにも長けたすばらしきプロデューサーであった菊池さんあってこそだったことを再認識しました。そしてその菊池イズムは、今、確実に「女とみそ汁」(あるいは弟子たちの店)に引き継がれています。
菊池さんが夢にまでみた「女とみそ汁」は、きっとまだ成長過程ではあるでしょうが、女将をはじめとし、社員・アルバイトスタッフたちの手で実現されていっています。
「女とみそ汁」がオープンして10年が経ちました。
菊池さんはこの事業計画書を書いた3週間後に亡くなりましたが、天国で「俺の夢を形にしてくれてありがとな」って言ってるに違いありません。そしてこれからも大きな遺産でもある事業計画書により、「女とみそ汁」を理想の店へと導いてくれることでしょう。

弓削聞平(ゆげ ぶんぺい)
UMAGA編集長
。当時「シティ情報ふくおか」を発行していたプランニング秀巧社を経て、2001 年より福岡とグルメをテーマにフリーエディターとして活動。福岡のグルメ雑誌「epi」「ソワニエ」の元編集長。 個人事務所「聞平堂」では「ぐる~り糸島」「福岡 気軽で楽しい町の寿司屋」「私、この店、大好きなんです。」等を出版。インスタID:bunpei_yuge

この記事はいかがでしたか?
リアクションで支援しよう

この記事を書いたひと

UMAGA

homePagefacebookyoutubexinstagram

魅力的な福岡の食文化をもっと楽しんでいただくためのバイブルとして、厳選した信頼性のある情報を毎日更新中。