「私たち親子は“海賊船”の仲間」自身の子育てを終え“住み込みの里親”へ
RKBラジオ『田畑竜介 Grooooow Up』のコメンテーター・神戸金史RKB解説委員長は、親元を離れて子供たちが里親と暮らす「SOS子どもの村福岡」を継続取材している。戸建て住宅で、子供たちと住み込みで暮らすの3人の里親のうち唯一、自分の子育てを終えてから里親になった女性を2月13日の同番組で紹介した。
実の孫がいる「里親」
福岡市西区今津にある「SOS子どもの村福岡」では3棟の住宅に里親1人がそれぞれ住み込み、3~4人の子供たちと共同で暮らしています。別の2棟では、虐待防止のため短期間子供を預かるショートステイを受け入れています。
住み込んで里親をしている3人のうち、今回は眞邉香代里さん(53歳)を紹介します。実はお孫さんがいて、もう1歳になるのだそうです。
子どもの村では、里親を「育親」と呼んでいます。眞邉さんは鹿児島県出身で、一人娘を育てました。2021年にショートステイのスタッフとしてスタートし、里親研修を受けて資格を取り、2年前から3人の子供と暮らすようになりました。
眞邉:娘が赤ちゃんの時に離婚をして。私もDV(ドメスティック・バイオレンス)で逃げたようなものなので。娘を連れて実家に戻って。1対1だったので、楽しかったんですよね、子育て…。楽しい子育てだった。
眞邉:実は……言わない方がいいのかな、でも……うん、大事な人が自死したんですね。その人も家庭に恵まれない人だったんですけど「母親に捨てられた」とずっと思っていて、結局「自分は必要ない人間だ」と自死してしまった。それまでも私は「いのちの電話」のボランティアに関わることをしていたのに、彼を助けられなかった。「自分が必要ない」「捨てられた」という植え込まれた気持ちが、40歳になっても50歳になっても、残ってしまって自分を殺してしまう……。そんな人を1人でも2人でも助けたいと思ったのと、ちょうど大事な人が亡くなって私も気落ちしていて、ネットサーフィンしていた時に、育親募集が出ていたんですよね。それでもう「あ、行こう」と思いました。
こうした悲しい出来事を少しでもなくしていこうというのが、育親に応募した理由でした。それも、子育てが終わった後に。
子供たちと結成した「海賊団」
これまで2週連続で育親のインタビューをお伝えしてきました。田原正則さん(44歳)と松島智子さん(36歳)はともに、社会的養護の施設での勤務経験がありましたが、眞邉さんは初めての経験です。それでも眞邉さんは、子供たちにこんなことを持ちかけました。
眞邉:私は「カンちゃん」と呼ばれているんですね。最初に「ここは船だから、カンちゃんが船長やけん」て。「あなたたちがもうこの港で降りたいですというところまでは、みんなで一緒に協力して漕いでいくとよ」という話をしています。
眞邉:「船だよ」とか言ったら、ワンピースとかを見ながら「海賊がいいな」とかって言って、海賊団に。(壁に張った紙を指して)あそこに「海賊団」と書いているんですけど、お約束を。家のルールを決めようと思った時に、みんなで話し合ったら、「仲良くする」「約束を守る」「仕事をする」。「じゃあ仕事って何?」って言ったら、「カレンダーを毎日めくる」、「カーテンを開ける」してないですけどね。「カンちゃんは何がいいかな?」て言ったら、お花の世話って。「そうね、花の世話、頑張ります」と。花壇があるので。
神戸:海賊団、結成!
眞邉:最初に来た時、あの子たちにも言ったんですけど、「一緒に住んだら家族やん。離れてても家族やん。私の娘も家族、お姉ちゃんやん」て言ったら、「え、そうなの?」とすごい喜んでて。「離れていても、家族は家族。一緒に住んだら、もう家族や」というふうに話しています。
爆発する「大人への怒り」
家族のあり方みたいなものを小さな子供たちに分からせていこうというための「海賊団」結成だったんだそうです。しかし、「海賊団」に入った子供たちはまだ10歳にも満たない幼さで、最初はすごく大変で、眞邉さんは相当苦しんだそうです。
眞邉:1年目は、もうぐちゃぐちゃでした。ご飯を投げ散らかしてぐちゃぐちゃになったりとか……もう、それはひどかったですね。なんでそういうことするのかが分からない。どんどん自分が壊れていく、というか。それを支えてもらったのは、ファミリー・チーム・ミーティングだったり、あと両隣の育親さんの存在ですね。
眞邉:お隣さんが「大人に対する怒りをぶつけているような気がする」と。「ああ、そうかもしれない」と。今までの大人に対する怒りを、全部私にぶつけている。喧嘩して捕まえようとするとかみつかれて、もう全身アザだらけだったんですね。かんだり蹴ったり。でも、ほんと物を壊さなくはなりましたけど。
眞邉:もう本当にミスが多いんです、私。なので「カンちゃん、こうなっとるよ」と教えてくれるぐらいに。お互いに多分「扱い方」を勉強中、みたいな。私ももちろん、あの子たちにどう関わろうというのはまだまだ勉強中ではあるんですけど、彼らの方が賢いので、先に私の扱い方をわかってきているような気もします。
人と人の関係はどうあるのか、手探りみたいですね。ただそれでも互いに距離感を考えながら、成長もしてきます。眞邉さんは粘り強いなと思いました。
里親から実のお母さんに手紙
「子どもの村」に来ている子供たちには、それぞれに、親と暮らせない様々な事情があります。中には、事情で一緒に暮らせないお母さんとの面会ができる子供たちもいます。
眞邉:お母さんに捨てられたわけじゃない。そこは一番大事にしたいと思っています。母親って、赤ちゃん産むだけでも大変じゃないですか。もうそこだけで本当に「愛情いっぱいで生まれてきたんだよ」って。きっとつらいことはまだあの子たちにはいっぱいあって、私がわからないところもいっぱいあると思うんですけど、でも「生きていくって、いいことだよ」と伝えたいなって。
眞邉:お母さんにも、最初の時に手紙を書いたんですね。「今は他人に子育てを委ねても、人生は長いから、きっと私が今娘に助けられているみたいに、きっと30年、40年経ったら、お母さんとこの子たちの関係が、今度は子供たちがお母さんを助けるような関係になっていると思うので、今はお母さんが一番元気になることを大事にして。いつかこの子たちが、お母さんの元に帰れるように」。それを大事にしたいなとは思っています。
愛情いっぱいの眞邉さんですが、子供たちはいずれお母さんの元にお返しする。それまでの間頑張ろう、と。基本的に里親制度は18歳までなので(大学に入学した場合は別)、養子縁組とは違って、期限限定の共同生活になります。
一般的な里親は自宅で預かりますが、ここは3棟の建物にそれぞれの里親家庭があって、3~4人の子供たちを育てていく。スタッフが周りにいるので、ちょっと体調が悪い時には手伝いに入ってくれたりもしますし、「村」で育てようとしているのが、この「SOS子供の村福岡」です。
育親を紹介するのはこれで3人目。眞邉さんは孫がいるようには全く見えないんですが「子育てをもう1回やってみたかった」とチャレンジするのは、なかなかすごいことだなと思います。
「SOS子どもの村福岡」の活動は、個人の支援会員が約1200人、企業は230社あまりが支えていますが、もう少し広がりがあるといいなと思っています。関心を持っていただけたら嬉しいです。
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この記事を書いたひと
神戸金史
報道局解説委員長
1967年、群馬県生まれ。毎日新聞に入社直後、雲仙噴火災害に遭遇。福岡、東京の社会部で勤務した後、2005年にRKBに転職。東京報道部時代に「やまゆり園」障害者殺傷事件を取材してラジオドキュメンタリー『SCRATCH 差別と平成』やテレビ『イントレランスの時代』を制作した。現在、報道局で解説委員長。