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坑道の記憶~炭坑絵師・山本作兵衛~ 全国順次ロードショー!

映画概要

名もなき炭鉱夫の記憶が世界のアートになった。 日本で初めて 「世界記憶遺産」に登録された 炭坑絵師・山本作兵衛の ドキュメンタリー

日本一だった石炭生産地、福岡県・筑豊に生まれた山本作兵衛(1892-1984)は父の手伝いや幼い弟の子守のため、7歳で炭坑に入りました。14歳からおよそ50年間炭坑夫として働いた後、60歳を過ぎてから、炭坑生活の記憶を1000枚以上の絵に残しました。 そんな作兵衛の絵や日記など697点が、2011年、ユネスコの「世界記憶遺産」に登録されました。日本初の快挙です。 

明治、大正、昭和と、 記憶の坑道を駆け下りる。彼の絵には、 ありのままの日本近代化の実像が描かれていた。

熱く暗い地の底で石炭を掘る男と女の姿、道具、共同風呂、子どもたちの遊び、縁起や迷信。貧しさの中でも冷静に観察者の目を持ち続けた作兵衛は、ヤマ(炭鉱)の生活すべてを克明に描きました。還暦を過ぎてツルハシを筆に持ち替えて描いた絵は、他に類を見ない貴重な生活記録画であり、びっしりと書き込まれた言葉や図解とともに、日本の近代社会をリアルに映しだしています。映画は作兵衛の人物像に迫るとともに、北海道釧路の現役炭鉱、ベトナムの炭鉱を取材。名もなき炭鉱夫の絵がなぜ「世界の記憶」となり得たのか。作兵衛の没後30年となる2014年、“庶民的”で“世界的”なアートの形を目撃してください。

山本作兵衛(やまもとさくべえ)プロフィール

  • 明治25年(1892)年 福岡県嘉麻郡に生まれる。
  • 明治32年(1899)年 弟の子守で7歳から炭坑に入る。
  • 明治39年(1906)年 14歳で坑内夫として働き始める。以来、筑豊の18の炭坑(ヤマ)を転々とする。
  • 大正  5年(1916)年 兄の世話により結婚。
  • 昭和30年(1955)年 最後に勤めた位登炭坑が閉山。64歳で引退し、炭坑の夜警で生計をたてる。
  • 昭和33年(1958)年 戦死した長男のことばかり思い出され、気を紛らわすように絵を描き始める。
  • 昭和59年(1984)年 老衰のため逝去(享年92)。
  • 平成23年(2011)年 絵画と日記がユネスコの「世界記憶遺産」に登録。

出演者

斉藤 由貴
(女優)
小室 等
(ミュージシャン)

上映劇場