PageTopButton

福岡屋台、今や客の大半が県外観光客か訪日外国人!

UMAGA

屋台_天神イメージ ※写真はイメージです

世界中から人が訪れる福岡の"Yatai"

今年の5月、新型コロナウイルス"COVID-19"が5類感染症に移行されたことにより、一気に「ウイズコロナ」「アフターコロナ」の時代になった感があります。もっとも顕著に感じるのは、この夏から秋にかけてインバウンドの外国人観光客が福岡市内で爆発的に増えたこと。天神、博多駅を中心に、街を歩いても、地下鉄やバスに乗っても、訪日外国人を見ない日はありません。そして、その多くが訪福の目的の一つにしているのが「屋台」です。

アメリカの「ニューヨーク・タイムズ」では毎年「今年行くべき場所」を発表しており、「2023年に行くべき52カ所」に日本から選ばれた2都市のうちの1つが福岡。その中で福岡に行くべき理由として"Yatai"を取り上げ、福岡の屋台はまさにインターナショナルな観光資源として世界中に喧伝されています。

屋台_ラーメン 屋台_おでん ※写真はイメージです

福岡の屋台は戦後の闇市から始まったといわれ、その後様々な紆余曲折を経ながら現在に至っています。中でも最大のエポックメーキングは、2013年に制定された「屋台基本条例」。「福岡のまちと共生する屋台」という理念の元に基本ルールが定められ、公募制の導入とともに国際都市"FUKUOKA"を象徴するシンボルの一つになりました。

連日連夜インバウンド客で賑わう中洲の屋台街

公募による新規参入屋台の第1期生である「テラスとミコー」店主の久保田謙介さんは、英国ロンドンのレストランでシェフを務めた国際的な料理人。第1回公募の際に、いち早く「屋台を福岡の観光資源に」と提唱した先駆けの1人です。「グッドデザイン賞」を受賞したモダンなデザインも評判となり、元「天神ロフト」ビル前の屋台には国内外から感度の高い客が訪れています。「SNSなどを見て、韓国や香港、台湾から来る人が多いですね」と久保田さん。SNSは世界中のツーリストにとって、もはや欠かせないツールになっています。

屋台_テラスとミコー 屋台_テラス2

外国人、日本人を問わず、今もっとも観光客が訪れているのは、清流公園から春吉橋にかけて並ぶ中洲の屋台街。屋台が開店する午後6時前後から連日人が押し寄せ、まるで祭の縁日を思わせる賑わいぶりです。見た感じ9割以上が観光客で、そのほとんどが訪日外国人。大半がアジア系ですが、欧米系も少なくありません。屋台の狭い空間で肩を寄せ合いながら、様々な人種や国籍の人々が名物のおでんや焼鳥、ラーメンを食べる姿は、福岡ならではの光景です。

受け入れる屋台側も国際化が進んでいます。屋台街の中ほどにある「中洲十番」のスタッフはほとんどが東南アジア系の留学生などで、言葉の問題も含めて接客もスムーズ。スマホでQRコードを読み込むマルチリンガルのメニューも用意されており、各種クレジットカード・QR決済での支払いやレシートの発行もOK。明朗会計で誰もが安心して飲み食いできるシステムが、さらに外国人の利用を後押ししているようです。

しかしながら、生活習慣や文化の違いによるトラブルもあるようです。天神エリアのある屋台の大将によると「家族4人でラーメン一杯だけ注文したり、デパ地下やコンビニで買った料理を持ち込む客もいる」と困惑します。言葉が通じないと注意することもできず、感情的になればより大きなトラブルになりかねません。屋台での基本的なルールやマナーの啓発、周知は、今後の課題かもしれません。

屋台_中洲イメージ 屋台_中洲イメージ ※写真はイメージです

「一期一会」の時を過ごせる屋台の魅力

中洲と天神のちょうど中間にあたる三光橋のたもとにある「みっちゃん」は、初代店主から数えると40年以上この場所で営業を続けています。スタッフのカズさんは10代の頃にアルバイトを始めてから屋台一筋40年という大ベテランで、「当時は300軒以上ありましたが今では100軒ちょっと。客層もずいぶん変わりました」と述懐します。「中洲や天神は外国人が多いですが、うちは昔からの常連さんも来てくれます」と、和気あいあいとした昔ながらの屋台の風情が味わえる貴重な一軒です。

筆者のまわりにも聞いてみると、「昔はよく屋台に行っていたが、最近はほとんど行かない」という人が多いようです。その理由は「観光客が多く、わざわざ並んでまで屋台に行かない」「県外からのお客さんを連れて行くことはある」といった声が大半。よほど常連客として通い詰めている人以外にとっては、屋台はもう日常の延長ではないのかもしれません。

屋台_みっちゃん 屋台_にらとじ

かくいう筆者もここ10年近く、特にコロナ禍以降はまったく屋台に足を向けることがなかった一人。今回は、以前ちょくちょく訪れていた渡辺通りの「鬼多郎」の暖簾をくぐってみました。「久しぶりやね」と迎えてくれた大将は以前と変わりなく、昭和の終わりに開店したという屋台もほとんど変わっていないように見えます。それでも「うちは天神のはずれやけん、地元客と観光客が半々くらいかな」とのこと。バブルの絶頂期からその後の不況、コロナ禍を経験してきた街場の屋台にとっては、時代に応じて長く続けていくことが何よりなのでしょう。

大将と昔話をしているうちに、1人、2人と客が訪れ、30分後にはほぼ満席の状態に。その顔ぶれは、東京からの転勤族という若いサラリーマンの常連や関西から観光に訪れた2人連れの女性、ラーメンを目当てにやってきたという中国人男性などなど。誰から話しかけるともなく自然と会話が広がり、酔いが進むほどに笑い声が響きます。地元客、観光客を問わずに、見ず知らずの人が「一期一会」の時を過ごすことができるのが屋台の魅力であることを改めて実感した一夜でした。

屋台_喜多郎

江月義憲
クリエイティブディレクター/ライター。福岡を中心にオールジャンルのメディアで企画・制作・執筆活動を展開。ワイン好きが高じて日本ソムリエ協会認定のソムリエ資格を取得。

この記事はいかがでしたか?
リアクションで支援しよう

この記事を書いたひと

UMAGA

homePagefacebookyoutubexinstagram

魅力的な福岡の食文化をもっと楽しんでいただくためのバイブルとして、厳選した信頼性のある情報を毎日更新中。