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山下達郎・稲垣潤一「夏の終わり」を歌ったヒット曲にある共通点

ジャーナリストとして、社会問題をさまざまな角度から掘り下げるコメントで定評のある、元サンデー毎日編集長・潟永秀一郎さんが、レギュラー出演しているRKBラジオ『櫻井浩二インサイト』で、月に一度の恒例企画となった「この歌詞がすごい」

若かりし頃、作詞家を志望し、新聞記者として言葉を編んできた潟永さんならではの視点で、誰もが口ずさめる歌詞に込められた世界観や、心情の機微を事細かに解説していく。

8月25日(水)は「夏の終わりの歌」から2曲を取り上げた。
①さよなら夏の日(山下達郎)
山下達郎さんの歌のすごさは、全く古びないこと。「さよなら夏の日」は30年前、1991年発売のアルバム「アルチザン」の収録曲ですが、1995年に大ヒットした初のベストアルバム「トレジャーズ」で知った方も多いのではないでしょうか。この曲、作詞・作曲・歌だけでなく、伴奏からコーラスまで全て達郎さん一人でこなしているという、その意味でも「すごいミュージシャン」といえるでしょう。

さて、この歌は、夕立がやってきたプールに虹が掛かるまでの、短い時間の風景を歌いながら、夏の終わりだけでなく、一つの青春の終わりを歌っています。夕立でプールを上がった二人は、おそらくパラソルの下で冷えた体を寄せ合って、すると彼女は「時が止まればいい」と、彼の肩でつぶやきます。そして、2番の冒頭の歌詞
瞳に君を焼き付けた/尽きせぬ想い/明日になれば/もうここには/僕らはいない
ここで言う「明日」は、おそらく明日に連なる未来のことで、つまり彼も彼女も、二人に同じ夏はもう来ない、別々の人生を歩むであろうことを予感しています。そして、歌詞は最後に―――
どうぞ変わらないで/どんな未来訪れたとしても/ さよなら夏の日/いつまでも忘れないよ/雨に濡れながら/僕等は大人になって行くよ
と閉じます。だから「さよなら夏の日」は、この夏だけでなく、大人になる前の、輝いた青春の1ページへの「さよなら」でもあるんです。

ちなみにこの歌の舞台は去年の8月、達郎さんが自身のラジオ番組で「高校時代、東京の豊島園のプールでガールフレンドとデートしたときの風景」で、夕立も虹も本当に見た風景だったことを明らかにしています。その豊島園も去年の8月、94年の歴史を閉じました。でも、何年たっても、世界がどう変わっても、輝いた思い出は色あせない。そう思うと、なおさら沁みる1曲です。
②夏のクラクション(稲垣潤一)
作詞は売野雅勇さん。中森明菜さんの「少女A」や、郷ひろみさんの「2億4000万の瞳」、チェッカーズの「ジュリアに傷心」や「ソング・フォー・USA」をはじめ「80年代歌謡曲黄金時代」を担った作詞家の一人で、今は映画・演劇の脚本やプロデュース、ネット上のドラマサイトの主宰などもされているレジェンドです。

「夏のクラクション」はそんな80年代の名曲の一つ。1983年7月の発売で、作曲は昨年亡くなった、やはり歌謡界のレジェンド、筒美京平さん。カセットテープのCMソングだったということも、時代を感じますね。

実はこの歌、売野さん自身が著書「砂の果実 80年代歌謡曲黄金時代疾走の日々」で、誕生秘話を書いています。この仕事は作曲の筒美京平さんから声がかかって、最初に決まったのはタイトル。でもストーリーが浮かばない。その時に思い出した映画があったんです。その10年前、1973年に公開されたジョージ・ルーカス監督の「アメリカン・グラフィティ」でした。カリフォルニアの田舎町を舞台に、高校を卒業した青年たちが共に過ごす最後の一夜を描いた映画で、主人公が最後、都会の大学に進むために故郷を去るとき、飛び立った飛行機の窓から、白いクーペに乗った憧れの女性を見つけるシーンが浮かんだんです。売野さんはこう書いています。<夏のクラクションは、もうできたも同然だった。白いクーペ、天使のシンボルとしての女性、無垢なる夏の終わり。遠ざかるクラクションの響きが、ガラス窓にさえぎられて聴こえない世界の始まり。そんなメモを書きながら、1行目から、ぼくは「夏のクラクション」を書いた>

これを読んで、歌を聴き直すと、描かれた世界がさらにリアルに胸に迫ります。
海沿いのカーブを君の白いクーペ/曲がれば 夏も終わる…… 悪いのは僕だよ/優しすぎる人に甘えていたのさ
年上の女性と燃え上がった、ひと夏の恋。けれども彼は、自分の夢を追って去ることを、彼女に告げます。それに、彼女はどう言ったのか、答えは2番の歌詞にあります。
「夢をつかまえて」と泣いたままの君が
そうして彼女は、さよならのクラクションを鳴らして、走り去ったのでしょう。だから、冒頭の歌詞「海沿いのカーブを 曲がれば夏も終わる」の「夏」は、「さよなら夏の日」と同じく、青春の1ページなんです。ここで、本当に格好いい比喩が「ジン」です。
傷口にそそぐGINのようだね/胸が痛い/胸が痛い
これ、サイダーでもビールでもウオッカでも成立しない。「ジン」の、あのドライさと、かすかな甘酸っぱさ、そして「ジン」の語感が相まって、この歌の世界観を作っています。

そして2番は、別れから3年目の夏です。ひとり、あの海辺へ戻ってきた彼は、彼女を失ってまで追いかけた夢を、あきらめそうになる自分を見つめます。有名なサビです。
夏のクラクション/Babyもう一度鳴らしてくれ/In My Heart
曲の最後のフレーズは
夏のクラクション/あの日のように聞かせてくれ/躓きそうな僕を振り返り
実は、「夏のクラクション」には、さらにその20年後を書いたアンサーソングがあります。2002年に、やはり稲垣潤一さんが歌った「プラチナ・アストロノーツ」です。「海沿いのあのカーブを いくつの夏が過ぎただろう」で始まります。「夏のクラクション」が好きだった方は、ぜひ聴いてみてください。

最後に、売野さんの著書「砂の果実」には、もう一つ「夏のクラクション」にまつわる秘話が書かれています。<誰が読んでも絶対に気付かない自信があるけど、この二つの曲は同じDNAを持つ、別々の惑星で生まれた双生児だ>つまり、「夏のクラクション」には、もう1曲、双子の曲があるんです。稲垣さんの歌ではありません。おそらくリスナーの皆さんで知らない人はないだろう、有名な曲ですが、これは来月ということで。

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