感謝の気持ちを伝える相手は、お父さんやお母さん、友だちなどの「人」から、ランドセルのような「物」までさまざま。
こどもたちの感動的な「ありがとう」に涙、ユニークな「ありがとう」には思わず笑いがあふれること間違いありません。
作品は福岡県内各地の小中学校から募集しています。
新型コロナウイルスの影響でこどもたちの生活も一変し、こどもの心身にも大きな影響を与えたはずです。
32回目を迎えた「ありがとう」は、子どもたちが日常とは大きく異なるコロナ禍で感じた「ありがとう」も紹介していきます。
応募作品はRKBラジオ「Toi toi toi」(月曜~木曜)・「Weekend Live あんたっちゃぶる」(金曜)の番組内とこちらのホームページで毎週ご紹介していきます。
また、応募作品の中から、10作品を「個人賞」として選び、番組内とホームページで発表します。
お姉ちゃんへありがとう。
いつも僕たちのためにご飯を用意したり世話をしてくれたり、僕は感謝しかありません。
僕が病気になったときも、梨をむいてくれたり、おかゆを持ってきたり
たくさんのことをしてくれてとてもうれしかったです。
僕は恩返しをできるようにがんばります。
ありがとう。天国のひいおじいちゃん。
わたしが赤ちゃんのとき、かわいがってくれて。
生きてくれただけでうれしいよ。
さみしいけど、もっといっしょに遊びたかったけど。
でも「ありがとう。」
私にはたから物があります。
それは、なくなったじいじがのこしてくれた田んぼです。
春はキラキラ、夏は緑のじゅうたん、秋は黄金色にかがやきます。
その田んぼでとれたお米で、ばあばが白いおにぎりを作ってくれます。
さいこうにおいしいです。
僕は、この世界に生きる動物たちに「ありがとう」と言いたいです。
なぜなら、今この世界では人間が一番えらいみたいな感じで、
動物達も住みかをうばわれたりしていても自由にのびのびと
一生けん命生きている、そんな姿から元気をもらったり勇気をもらってきたからです。
なので僕は動物達に「ありがとう。」
天国のじいじへ。
わたしがうまれるずっと前に天国に行ったじいじ、いつもありがとう。
少し元気がない時「天国からじいじが見ててくれるから大じょうぶだよ」
とお母さんが言ってくれるからがんばれるよ。お友だちも少しできたよ。
おべんきょうがんばるから見守っていてね。大すきだよ。ひなより。
私は、植物に感謝状を送ります。
なぜなら、いつも人間が出す二酸化炭素を吸収してくれるからです。
植物さん、文句を言わずに二酸化炭素を吸収して、酸素を出してくれて
ありがとう。
ぼくは、四年生になり、塾を習い始めた。
すると、ぼくの生活リズムが一気に変わり家族みんなもぼくのリズムになった。
みんながぼくを応えんしてくれている。本当にありがとう。
障害をもっている兄が誕生日の日に「塾の宿題、大変だと思うけどがんばって。」
と言った。そんな兄の分までがんばりたい。
私は一日一日にありがとうと思える人になりたい。
楽だからしくない、ねむたい、帰りたい、めんどくさい、そんなことをいつも考えてしまう私。
だから一日一日を生きていることが貴重だと思って、大切に楽しくありがとうを忘れず
過ごしていきたい。今日も一日をありがとう。
お母さんの仕事は介護士です。お年よりをおふろに入れたり
いろいろなおせわをするしごとです。
いつもたいへんなのに、ご飯をつくってくれたり家の家事をしてくれたり
してくれます。なのですこしはやすんでください。
お母さん、いつもありがとう。おしごと、むりしないでね。
ラジオDJの方々ありがとう。
いつもラジオから聞こえてくるその声に元気づけられています。
色々な局のラジオを聞くけれど、みんな楽しそうに話すその声に
私も楽しませてもらっています。明日を楽しむ元気を、笑いを、
届けてくれてありがとう。
部活動にありがとう。
飽き性だった私に、一つのことに夢中になる楽しさを教えてくれて、
仲間と協力することの大切さ、そして将来必要になる礼儀をたくさん教えてくれました。
これからコロナ禍で大変になるときもあるかもしれないけど
一生懸命頑張るので、卒部するまでは宜しくお願いします!
先月、僕のお母さんのおなかには赤ちゃんがいました。
今では、一人の妹として一緒にすごしていますが、おなかにいるころは
お母さんも大変だったと思います。それでも家事をしてくれました。
お母さんは本当にすごい人です。お母さんには日頃の感謝を、
妹には無事生まれてきてくれたことに感謝します。
私が、部活動で部長になれなかったとき、お母さんが「負けるな。」と
私に一言声をかけてくれました。でも、その言葉の意味が分かりませんでした。
色々なバレーボールチームに行き、言葉の意味が分かりました。
その言葉の意味が分かったとき私は、新たな目標ができたと同時に
お母さんに感謝しました。
ママと今は亡きパパにありがとうを伝えたいです。
パパは私が5歳のときに亡くなりまりた。
小学生の姿や中学生の姿の私を見ることはありませんでした。
でも今、生きることができて、私は本当に幸せです。私を産んでくれたママ、
私を5歳まで見守ってくれたパパ、今でも育ててくれているママ、ありがとう。
私が感謝しているのは戦国時代の武将の方々です。
武将の方々はそれぞれ性格は違いますが、一人一人に物語があって、
家族のことや自分のこと、夢などをたくさん本の中で語ってくれます。
そして、ときには背中をおしてくれます。私はそんな戦国時代の方々に
「ありがとう。」の感謝を伝えたいです。
「ありがとう」そう言われると、言われた自分も言った人も笑顔になれます。
朝も昼も夜も必ずどこかで「ありがとう」の言葉がつながっています。
私にいつも「ありがとう」と言う人も、どこかで「ありがとう」と言われている。
そんな「ありがとう」の優しい連鎖を作ってくれて「ありがとう。」
私は、いつも私たちのすむ町をきれいにしてくれている地域の人達へ
感謝をしたいです。
私の家は海の近くにあるのですが、海岸がきれいだととても気分がよくなります。
逆に、海岸がゴミなどで汚れていると、心が少し痛みます。
自分のためではなく、地域や自然のために行動する人達には頭が上がりません。
ダンボールにつめられた誕生日プレゼント、送り主は友達でした。
その友達とは幼稚園のときからずっと仲良しです。
少し雑なつめかたでしたが、その友達らしさがあってなんともうれしかったです。
本当にありがとう。友達の誕生日には、同じようにダンボールにつめたいと思います。
スポーツにありがとう。
スポーツは人々を盛り上げ、絶叫でまちあふれる。選手も観客が来て喜ぶ。
それはスポーツがあるから。観客も選手も心は「一つ」。世界中も心は「ヒトツ」。
くじけそうになっても「失敗は成功のもと。」世界中みんな様々な名言に支えられ
スポーツがあるから勝利や次がある。みんなが選手。
「ありがとう」にありがとう。
物や人に対して感謝の言葉を素直に伝えられありがとうを交わすことにより
人と人との距離が縮まる。温かい世界を作っていくためにも
ありがとうと言う言葉はかかせない。
みんなを温かい気持ちにさせてくれてありがとう。
これからもありがとうであふれる世界に。
お父さんの仕事は、病院の先生です。
家に帰って来ない日もあるくらいいそがしいです。
ヘリコプターに乗ったり、救急車に乗ったりしています。
お父さんはやさしくて、勉強も教えてくれます。いそがしいのにありがとう。
お父さん、いつもありがとう。これからも元気でいてね。
ばあば、いつも見守ってくれてありがとう。
留守番のときだって、ずっと守られているように感じます。私が小さいころに
いってしまったばあばのことは、少ししかおぼえていません。
でも、生まれ変わりの弟もいるんだよね。
これからもお仏だんからずっと、私たちのことを見守ってね。
ぼくは1年前あるマンガを見て、バスケットボールにふれ始める。
その後クラブチームに入り、じょうたつしていった。ぼくのゆめはプロ選手。
いまでは友だちもはいり、とても楽しい。今では人生で一番好きな事になりました。
その一番最初によんだマンガはスラムダンク。ありがとう、きっかけを作ってくれて。
私が感謝している人はもう亡くなってしまったおばあちゃんです。
私が3才くらいのとき亡くなりました。今も苦しいときおばあちゃんのことを考えると
はげましてもらっているような気がして心の支えになっています。
何も返せていないけど立派な大人になることがお返しになると思うから
立派な大人になります。
病院の人にありがとう。
僕の妹は生まれた時に息をしていない時があり、危険な状態だった。
しかし、病院の人達は一生懸命助ける為にいろいろつくしてくれた。
その甲斐あって僕の妹は今、楽しそうに過ごしている。
だからこそ病院の人達にありがとう。
四季にありがとう。四季がある事で、私達はさまざまな感動をもらえる。
春夏秋冬がなければ、暑さや寒さを感じることができない。
又、それぞれの季節でしか見られない風景、輝きが沢山ある。
例えば、紅葉や雪、梅雨、桜などがあげられる。
これも四季があるから成り立つのである。
ぼくの感謝する人は兄弟です。弟とは6つ、妹とは9つはなれています。
小さいときは、友達に弟や妹がいてうらやましかったことを覚えています。
今はお兄ちゃんとして弟と妹のめんどうをみています。
けんかもたくさんするけど、楽しいこと、うれしいことも三
あいさつをすると、人が嬉しい気持ちになったり、人との繋がりを作ることができる。
あいさつには、人間のようにあいさつの仕方は様々でおもしろいと思う。
私はあいさつのおかげで、たくさんの人たちと繋がることができた。
私はあいさつだけでなく、あいさつを通して繋がれた人達にも
「ありがとう」を伝えたい。
ラグビーの友達ありがとう。
5年生までチームプレイの大切さを知らずに個人プレーばかりしていたけれど、
声をかけてくれたおかげで、ボールを持っている時いつも近くに仲間がいることが分かり
チームプレイの大切さが分かるきっかけとなってくれて本当にありがとう。
小さいときから色々なお世話をしてくれるおばあちゃん。
気づけばぼくの方が背が大きくなってたね。雨の日も暑い日も毎日かかさず来てくれる。
ちょっと過保護なところもあるけれど気にかけてくれる。
そんなおばあちゃんに今感謝の言葉を伝えたい。
まだまだ元気で、優しいおばあちゃんでいてください。
医りょう関係者の人に感謝。
病気になった時、薬や対処法をおしえてくれてありがとう。
コロナやインフルエンザの治療してもらって元気にしてもらってます。
ありがとう。足のけがを何回もしてそのたんびに冷やしてギブスをつけて
楽しく運動できます。ありがとう。
当たり前のように帰る家があって、家族がいて、食べるご飯がある。
相談にのってくれる友達、先生、勉強や好きなことをできる環境もある。
体調を崩したり、我儘を言ったり、迷惑かけてばかりだけど
「当たり前」と思える毎日を過ごさせてくれてありがとう。
これからもよろしくお願いします。
私はピアノが大好きです。ピアノは私が小さい頃からずっと一緒にいます。
ピアノは、とても素晴らしい楽器だと思います。そしてきれいな音色を私に
聞かせてくれて、私の心をあたためてくれます。だから私にとってとても大切な楽器です。
いつもきれいな音色をだしてくれてありがとう。
ぼくはおばあちゃん家に行くといつもちゃわんむしを作ってくれます。
具材はかにかまとしいたけととりにくを入れてくれるのでうれしいです。
それだけでなく、おばあちゃんはぼくとあそんでくれてたのしいです。
おばあちゃんが大好きなので、とまりに行くのがたのしみです。
二階の窓から外を見ると電柱の上で作業している人がいた。
高所でしかも炎天下の中、ヘルメットに厚手の作業服、腰には工具を吊るしたベルトを装着。
重装備にもかかわらず、汗を流しながら暑さをものともせず懸命に作業している。
私達が快適に暮らせるのもこんな人達のお陰。「頑張れ!ありがとう。」
僕は卓球部に入っています。夏休み前の土日に三年生の先輩の中総体の観戦に行きました。
そして、個人先で一人の先輩が決勝で勝ち上がり、そこで見た試合がとてもかっこよく興奮しました。
結果は負けてしまったけど、すばらしいものを見せてくれてありがとう。
次は僕たちが部活をひっぱっていきます。
担任の先生へ。
いつも授業を分かりやすく教えてくれてありがとうございます。
私は先生の授業の中で算数が一番好きです。理由は、図や公式を使って
分かりやすくなるように、じっくり教えてくれるからです。
そのおかげで、算数が好きになりました。2学期、3学期もよろしくお願いします。
私は、日本を守ってくれている自衛隊の方々に感謝を述べたい。
とても辛い訓練や、いざとなれば命を落とすかもしれない非常に過酷な仕事を
やって下さりありがとうございます。
自分達が、もし災害などが起こった時には少しでも手助けになれるような行動を
とりたいと思います。
僕は、福岡県に感謝を伝えたいです。
両親の都合で引っこすことになったのですが、最初はとても不安でした。
しかし、住んでみると新たな友達に場所、風景など前いた所にはなかった事
ともめぐりあうことができました。これが若さか・・・と実感させてくれた福岡県に
今も、この先も、ありがとうと言いたいです。
弟のゆいとへ。
いつもぼくの事をたよってくれてありがとう。
ゆいくんが一年生になって、みんなに「お兄ちゃんが一緒だから心強いね。」
と言われるね。でも実は、ぼくもゆい君と毎日登校するのがうれしいし楽しいよ。
ありがとう。けんかもするけども、ずっと仲よくしてね。けんとより。
私は電車通学だ。ときどき人が多くて駅の階段や車内が混雑している。
そのとき、同じ方面の電車に乗っているおじちゃんが
「先に行っていいよ。」と言ってくれたり、「もう降りるから。」
と言って席を譲ってくれたりする。荷物が多かったり疲れていたりで大変なはずなのに。
とても嬉しいです。ありがとう。
転校した親友へ。ちょこちょこ手紙をくれてうれしいな。
転校してからさびしかったけど、手紙をくれたからさびしくなかったよ。
今会うのは少しむずかしいけど、いつか絶対にどこかで会おうね。
今身長はどっちのほうが高いか会ったら比べてみたいね。
本当に出会えてよかったよ。ありがとう。
僕は、昔の兵士の人達に「ありがとう」と言いたい。
それは、今の日本を作ってくれた英ゆう達だから。その死を無だにしないためにも
世界中の人達が知ってほしい。核兵きのおそろしさを。
そして、核兵きが一個でもいいから減ってほしいと思う。
直接言ってみたいな戦った兵士に「ありがとう」って。
モンゴルと福岡をつなぐ毎週日曜夜のテレビ電話。
モンゴルのおばあちゃんの声を聞くと、ぼくの全身はホッとする。
メウッチ、エジソン、インターネット開発者達の努力のおかげだね、ありがとう。
そして四年間も会えないのに、ずっとぼくのことを愛してくれるおばあちゃんに
大きなありがとう。
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