迫りくる別れを前に、信じるものを見つけた相手に何を伝えられるのか。『さよなら妖精』著:米澤穂信
『さよなら妖精』著:米澤穂信
生きていれば必ず経験するであろう大切な人との別れ。無力な自分にはどうすることもできず、受け入れることもできない。それでも、もう二度と会えないかも知れないとわかった時、自分には何ができるのか。あなたならどうするのか。この作品はしずかに問いかけてきます。
2021年に刊行された「黒牢城」が史上初めて国内主要ミステリランキングで4冠を達成したかと思えば、その翌年には同作で直木三十五賞も受賞してしまった、今最も注目されるミステリー作家、米澤穂信の初期作品。もともとは古典部シリーズ(「氷菓」という題名でアニメ化もされた人気シリーズ)の第三作目として執筆されたようで、なかなか世に出せずにいた状況を推理作家である笠井潔の推薦により出版にこぎつけた。その作品が結果的に米澤穂信の名を世に広めることとなった。
まだ冷たい雨の降る4月、高校に通う主人公守屋は川沿いに佇む外国人のマーヤに出会います。カールがかった黒髪に白い肌、天真爛漫なマーヤはすぐに守屋の同級生とも打ち解けてゆき、日本のことを知りたいと話す彼女を守屋達は様々な場所に連れていきます。彼女はどの場所に行っても、ものごとの「哲学的な理由」を知りたがり、その理由を問うと彼女は「それが私の使命だから」と答えます。誤魔化すことのない真っすぐな眼差しで、生まれ故郷であるユーゴスラビアについて語るマーヤ。6つの民族と6つの文化を持つ彼女の祖国。彼女は国の皆が幸せになるための7つ目の文化をつくろうと、そのヒントを見つけようとしていたのでした。
この作品は1991年に起こったユーゴスラビア紛争をモチーフに書かれている。その内容は現在のロシア・ウクライナの情勢に重ねずにはいられない。もちろん戦争の背景は異なるものの、マーヤから発せられた「北にとって南はお荷物だったのです。」「人間は殺されたお父さんのことは忘れても、奪われたお金のことは忘れません。」混乱の祖国を見てきた彼女の言葉はどれも残酷で心におもくのしかかる。当時のユーゴスラビアの内情が詳細に述べられており(著者の卒論テーマがユーゴスラビアだったそう)、当時の情勢を知らない者にもマーヤという存在を通して戦争がどういうものなのか、よりリアルに教えてくれる。普段は天真爛漫なマーヤだからこそ、その苦しさが痛いほど伝わってくる。それでも7つ目の文化を本気で作ろうとするマーヤの強さに、それまで平和な日本で暮らしてきた守屋は衝撃を受けます。「マーヤはマーヤの視点でおれの住んできた世界を再解釈していった。おれも、それができるようになりたい。おれはマーヤに惹かれたのか。違う、おれはマーヤに憧れたのだ。」
戦禍の母国にあっても当然のように家へ帰るというマーヤ。どうすることもできないと理解しながら、それでも守屋はマーヤにひとつのお願いをします。
迫りくる別れを前に、信じるものを見つけた相手に何を伝えられるのか。お互いを想い合う彼らの旅立ちをぜひ見届けてほしい。
著者プロフィール
米澤穂信
1978年岐阜県生まれ。2001年『氷菓』で第5回角川学園小説大賞奨励賞(ヤングミステリー&ホラー部門)を受賞してデビュー。青春小説としての魅力と謎解きの面白さを兼ね備えた作風で注目され、『春期限定いちごタルト事件』などの作品で人気作家の地位を確立する。11年『折れた竜骨』で第64回日本推理作家協会賞、14年『満願』で第27回山本周五郎賞を受賞。他の著書に『さよなら妖精』『犬はどこだ』『インシテミル』『追想五断章』『リカーシブル』などがある。
INFORMATION
タイトル: さよなら妖精
著者: 米澤穂信
出版社: 東京創元社
価格: 817円(税込)
ISBN: 978-4-488-45103-5
この記事の著者について
[テキスト/佐藤弘庸]
1987年札幌生まれ。2009年日本出版販売への就職を機に上京。入社後は紀伊國屋書店を担当。
2011年にリブロプラス出向。2016年より日販グループ書店の営業担当マネージャー。
2022年より文喫事業チームマネージャー兼 文喫福岡天神店 店長。
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