財津和夫、60年代のカバー・ポップスを口ずさみながら「第2の父親」を偲ぶ
TULIP・財津和夫が、時には懐かしい時代の音楽を振り返る『グランドメゾン プレゼンツ 財津和夫 虹の向こう側』。今回は、TULIPデビューよりも少し前の1960年代のカバー・ポップスを中心に、いろんな曲を口ずさみながら訳詞の世界に触れていきます。
財津のもう一人の父親
今年は東京ディズニーランド開業40周年、そしてウォルト・ディズニー・カンパニー創立100周年。東京ディズニーワールドの累計入場車数は昨年早々に8億人を超えている。そして、誰もが知っているディズニーの代表曲である「ミッキーマウスマーチ」の訳詞を手掛けた事のある訳詞家のひとりが漣健児だ。
実はTULIPがデビュー時に所属した『シンコーミュージック』の経営者(先代の会長)も漣健児(本名:草野昌一 氏)。音楽出版社だった『シンコーミュージック』が初めて所属アーティストとして抱えたのがTULIPであり、財津が番組の中で「2番目のお父さん」と呼ぶほど、漣とは非常に縁が深い。
1960年代初期は、欧米のヒット曲を日本語に訳したカバー曲のブーム。オールディーズと称される事もある当時の楽曲を多くの日本人歌手が歌い、ヒットしました。
その中の一人、弘田三枝子の歌った「悲しき片想い」を訳詞したのも漣健児。
「漣さんは、翻訳的に訳詞をされた方なんです。曲に合わせて、フラットな起伏のない日本語をメロディ乗せて飛んだり跳ねたりできるような・・・英語は四分音符ひとつで『I』と言えるけど、日本語だと『わたしは』と(4音節に)なって、日本語に変えるのは大変なんです。それを上手にされましたね、だから歌いやすかったんです」と、財津が思い出を語る。
漣健児が訳詞を手掛けた曲の題名を下田アナが挙げると、それを財津がワンフレーズずつ口ずさむ展開に。「バケーション」「ルイジアナ・ママ」「ビキニスタイルのお嬢さん」「可愛いベイビー」「電話でキッス」「シェリー」「大人になりたい」「砂に消えた涙」などなど。なかなか思い出せない曲は少し苦し紛れなハミングも混じりますが、皆懐かしい曲です。
今日の一曲は、漣健児氏へ文字通り感謝の気持ちを捧げるために作られた〔トリビュート〕アルバム「Together and Forever」の冒頭に収められている「悲しき片想い」。この曲が好きだったという財津和夫が歌っています。なお、弘田三枝子が歌ってヒットしたのは1961年(昭和36年)。このトリビュートアルバムが発売されたのはそれから53年後の2004年(平成16年)の事、財津和夫以外にもTULIPの各メンバーや甲斐よしひろ、あべ静江、さとう宗幸、長谷川きよし、斉藤和義などかつての所属アーティストが感謝の気持ちを捧げたアルバムです。渚氏は発売翌年の2005年に逝去されました。
次回12月3日の放送は、通常通り18時15分(午後6時15分)からの予定です。
一人暮らしについてお話しします。
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