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財津和夫、グループ名のTULIPは果たして何色のチューリップをイメージして名付けたのか

TULIP・財津和夫が、時には今に至ってやっと話せるようなエピソードを白状するRKBラジオ『財津和夫 虹の向こう側』。今回は、TULIPというグループ名は何色のチューリップをイメージして付けたのか、また、デビュー前に武田鉄矢と手をつないで天神の街中をスキップした想い出話などをお伝えします。

 

「TULIP」は何色のチューリップ?

庭の花に関する質問のお便りに、財津が困りながら答える。
「僕が男っていう事もあるでしょうけど、あんまり花の呼び名も知らないし、これがこういう名前なんだ、とか考えた事もないんです」
奥様は自宅でいろんな花を植えているらしいが、財津本人は花への関心が薄いようで、詳細は全く掴めてなさそうな様子。
では、ちょっと矛先を変えて、という事で、下田アナがグループ名であるチューリップの色のイメージについて質問すると・・・
「いや、実はTULIPって、花のイメージで付けたんですけど、グループ名としては失敗したな、と思ってるので、あまり(色を)イメージした事はないんですけど」
「最初、命名時のイメージは、オランダの風車があって、その前に広いチューリップ畑があるっていう写真を想像して『よし、これにしよう』って決めたので。その時の(チューリップの)写真は赤だったかのなぁ。でも、赤のチューリップが好きってわけでもないんですよ。ごめんなさい、話がチューリップなのに『薔薇バラ』ですみません」
おやじギャクで、不得手の「ハナのハナし」から何とか逃れた(?) 財津親爺でした。

 

「人間ボーリング」の想い出

武田鉄矢の新聞インタビューの連載コラムが同封されたお便りが届いた。
TULIPも海援隊もデビューする前の50年以上前の話。武田鉄矢に、財津が「ジョイントコンサートを一緒にやってくれないか」と相談をもちかけた、というのだ。そのコンサートには、TULIPの品定めのため、東京からレコード会社(東芝EMI)の方々が訪れたという。コンサートの打ち上げ後、TULIPと海援隊のメンバー全員で手をつなぎ、天神の大通りを「おお牧場はみどり」をご機嫌で歌いながらスキップした・・・というのが、同封された新聞の切り抜きの内容。そのお便りの主からの、スキップした事を覚えていますか、という質問に財津が答える。
まずは、そのジョイントコンサートに関するこぼれ話から。
「(ジョイントコンサートは)僕らが東京に行くために、策略したんです。とある事務所の社長や音楽担当が福岡まで現場を見に来てくれました」
「僕らのアマチュア時代、福岡にはいろんなバンドがいたんですが、フォーク組合っていう呼び名で、一緒に組織を作って自主的にコンサートをやっていましてね。武田さんは福岡でもすごく有名なバンドだったんで、是非一緒に出てくれないかとお願いして。渡辺通りにある九電ホールでした」
「そこで、馬鹿馬鹿しい話ですけど・・・コンサートの合間に『人間ボーリング』っていうタイトルで、寸劇を入れていたんです。(ボウラーも)ボールもピンも人間で、人間が人間を転がすと、人間のピンに当たって。『あー倒れたー』『スプリットになった』とか言って遊んでたんです」
「のちのち、東京でデビューする事になって、(東京から見に来てくれた方々が)『あの時、財津らが人間ボーリングってやってたよねぇ』と話してくれるんですけど、コンサートで何を歌っていたかより、人間ボーリングの事しか覚えてない人が多かったんです。それでも東京に(デビューのために)行けたので、良かったですけど」
そして、やっと武田鉄矢との手をつないでのスキップ話に。
「はい。武田さん、いろいろありがとうございました。その、『おお牧場は緑』なんですけど、これは何となく覚えてるな。僕、大好きな歌、楽しい歌なんで。ゴキゲンの時に」
と、ここで突然歌いだすのだが、「♫おお牧場は緑、草の海・・・」に続く歌詞が出てこない。
「齢とると(歌詞を)思い出せないなぁ・・・それを(天神の街中で)歌った記憶があるような気がします」
 

今日の一曲は、卒業式のシーズンという事で、がむがむ「卒業」。がむがむは、TULIPのメンバー宮城伸一郎が所属していたフォークグループで、「卒業」は1976年に発売されたシングル曲。宮城がボーカルをとっている。
 

次回3月17日の放送は、通常通り18時15分(午後6時15分)からの予定です。
思い出の映画や映画館についてお話しします。

 

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