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”上野万太郎の「この人がいるからここに行く」”耳納連山の麓にある超人気パン屋「CHEZ SAGARA」(シェサガラ)の相良一公オーナーの話

スタートは菓子職人だった相良オーナー

福岡県久留米市田主丸町、耳納連山の麓に佇む洋館。そこには相良一公さんが営む「パン・焼き菓子 CHEZ SAGARA」(シェサガラ)がある。平日はもちろんだが、特に週末になると地元に限らず県内外からパンや焼き菓子を買い求めにくるお客さんで行列が出来る人気店だ。

先月、個人的なつながりで相良さんと食事をご一緒する機会があり、パン職人としての熱い情熱を感じたので、今回「muto」で取材させていただくことにした。相良さんが育った環境からパン職人となるまでの話し、そして若い世代に伝えたいことなどを伺った。

CHEZ SAGARAシェサガラ

相良一公さんの生まれと育ち

相良さんは昭和47年、久留米市田主丸町生まれ。高校時代は日々白球を追いかける高校球児だったそうだ。
高校卒業後は、やりたいことを探したいと福岡大学に入学。さんざん遊んでばかりいたが、食事に困らないためにという目的だけで賄いつきの大学食堂でアルバイトをした。運動を辞め、毎日1食集中で食べまくり体重はどんどん増えていったそうだ。そこでダイエットを決意。1ヶ月で10kgのダイエットに成功。しかし、一旦は成功したものの世の中の道理なのか一気にリバウンドした。

「食事制限をしていたので身体が自然と糖質を欲しがったんでしょうね。リバウンドと同時に甘党になったんですよ。今思えば、それがお菓子作りやパティシエの道を目指すきっかけになったのかもしれません」。

菓子作りや料理はもともと興味があったが、甘党になった相良さんは、さらに菓子作りにハマっていった。一方で、「商売人だった親からは、やたらと公務員になることを勧められてましたね。いろいろ資料を集めて一時期はそんなことも考えましたが、何か違うなぁと思っていたんです」。
人生とは何がきっかけでどこに導かれるか分からないものだ。やりたいことを探したい思いで入学した大学だったが、甘党になったことにより何かしらそれを見つけパンや菓子の道を歩むことになるのだ。

修業時代のスタート

その後、大学3年の時に福岡市内の人気パン店「サイラー」にアルバイトを申し込んだ相良さん。友達にそそのかされて面接の時に自作したブルーベリーのレアチーズケーキを持参したそうだ。
「今思えば恐ろしいことをしたもんだと思いますが、先日うちに面接に来た女性がパンを焼いてもってきてくれたんですよ。当時の自分を思い出して懐かしかったです」と昔を振り返る。

サイラーでは、「菓子部門のアルバイト募集はしていないけど、パンの部門で良ければ空いているよ」と採用されたそうだ。菓子製造で申し込んだアルバイトだったがパン製造の仕事をすることになったというのもまたまた運命だったのかもしれない。

アルバイトを始めてしばらく経った頃、朝日の当たるパンが陳列された商品棚を見ていると、朝の仕事も良いなぁ。パンも面白いなぁと思うようになっていったそうだ。「その頃カレー作りにもハマっていてスタッフの賄い用に3日間掛けてカレーを作ったことがありました。店内がカレー臭で覆われて、サイラーさんに怒られました。結局は『美味しい』と言って食べてもらえましたけどね」と相良さんは懐かしそうにほほ笑む。菓子やパンだけでなく料理全般に好奇心旺盛だったことが伺えるエピソードだ。

次の修行先は大学4年生になった時に働き始めた南区向野にあった「菓子工房 Mireille 1991」(ミレイユ)。小さな店だったが、その分マンツーマンで手取り足取り菓子作りのことを教えてもらった。

「学生時代のアルバイトとしてスタートして、そのまま『ミレイユ』に就職しました。仕事はとにかく厳しかったですね。時間的にも精神的にも鍛えてもらいました。あの経験がなかったら、今の僕はなかったと思います」。

その後、お菓子の食べ過ぎや食生活の乱れだと思われるアレルギーなどの症状がひどくなり「菓子工房 Mireille 1991」を2年で退職。24歳の時に「ホテル日航福岡」のベーカリー部門に転職した。大きな職場だったのでパンの試作や研究をどんどんさせてもらえた。やる気がある人には、素晴らしい職場だったそうだ。

岐阜県「トランブルー」での修業

その後、将来にわたって“師匠”と呼ぶことになる成瀬正さんの「TRAIN BLEU(トラン・ブルー)」の門を叩くことになる。

「トラン・ブルー」は岐阜県高山市にある。飛騨地方の標高500m以上の立地にありながら、日本を代表するパンと焼き菓子の店である。成瀬さんは4年に一回フランスで開催されるパン業界のワールドカップと言われる「クープ・デュ・モンド・ド・ラ・ブーランジュリー」で、2005年個人店初の日本代表に選出され、世界3位になった人である。
相良さんは「トランブルー」でみっちり鍛えてもらった。とにかく厳しくて苦しくかったけれど、それ以上に楽しい時間だったという。「トラン・ブルー」は、岐阜県の高冷地ということで雪が多く寒い地域。生地の発酵が進みにくいというパン作りには厳しい環境だ。冬場は室温2度がざらだったそうだ。
しかし、安定して良いものを作るにはその大変さがとても勉強になったという。一つ一つの原因と結果の確認と分析の追求が徹底しており、仕事のすべてが真剣で丁寧に行われていた。

若い時代に「ミレイユ」と「トランブルー」での経験により、自分で考える力が生まれ、メンタルも強くなることが出来たと相良さんは今でも思っているという。

「シェサガラ」開業

そして29歳の時についに独立することを決意。出店にあたっては、師匠である「トランブルー」の成瀬さんがそうであったように地元での開業にこだわった。久留米市田主丸町での開業である。

取り扱う商品も成瀬さんにならって、パンと焼き菓子である。看板や商品プレートに書かれている文字「Boulangerie pâtisserie」とは何か。ブーランジェリー(Boulangerie)はフランス語でパン屋という意味。英語だとベーカリー(Bakery)のこと。そして、パティスリー (pâtisserie) は、 フランスなどにある洋菓子を扱うパン屋の一種でパティシエの資格をもつ職人がいるパン屋であるということだ。相良さんはこの二つのテーマでパン作りに専念することになる。

CHEZ SAGARAシェサガラ

看板商品

相良さんに看板商品をいくつか挙げてもらった。

まずメロンパンは、相良さんが一番好きなパンだという。口どけの良さと発酵の風味の良さがポイント。シンプルゆえに生地だけで勝負する要素が強く、甘い系のパンでは一番技術的には難しいと思っているそうだ。

CHEZ SAGARAシェサガラ

次にはクロワッサン。外側のサクサクさと内側のしっとりさのバランスを大切にしているそうで、小麦とバターの香りの調和を楽しんでほしいとのこと。

CHEZ SAGARAシェサガラ

そして、最後には一番インパクトがあるフルーツデニッシュ。季節によってイチゴ、洋梨、桃、栗、柑橘類などそのバラエティーさは半端ない。

CHEZ SAGARAシェサガラ

この他にも調理パンやバゲットなど焼き立てのパンがたくさん並んでいる。

「クープ・デュ・モンド・ド・ラ・ブーランジュリー」への挑戦

「トランブルー」の成瀬さんが「クープ・デュ・モンド・ド・ラ・ブーランジュリー」の日本代表としてフランスで戦い世界大会に3位になった時、相良さんは、いつか成瀬さんの代わりにあの舞台で日の丸を掲げたいと真剣に思ったそうだ。
結局、4年に一回開催される大会の日本予選に4回出場し、そのうち3回が2位という素晴らしい実績を残したが、1位になってフランスでの世界大会への出場することは叶わなかった。個人店として唯一日本から世界大会へ出場した成瀬さんだったが、その後は個人店としては誰も出場していないのが現実だった。

33歳から45歳までの12年間の大会挑戦でやりつくした感はあった。
出場していた期間は、審査員目線での点数や評価が高くなるパンを作ろうとする意識がどうしても強かった。その後は、他人の目を気にするより自分が納得するもの、お客さんに喜んでももらえるものを作りたいという気持ちが強くなったという。

CHEZ SAGARAシェサガラ

パン作りのこだわりは、普通につくること

パン作りに対するこだわりは?と聞いてみた。
返ってきた言葉は「普通につくる」こと。
「原料や素材に特別なものを使う訳でもなく、特別な製法をするわけでもありません。自分で納得できる良いモノを使うだけですね。あとは、しっかりと生地と向き合うだけです」。

しかし、この「普通」という言葉が重いのだ。決められたことをきっちりやるのは当たり前で、とにかく徹底的に気を遣う。気温などによって変わる発酵具合をみながら、タイミングと程度を常に図りながら作業することが大事だという。また「僕が意識していることは、発酵の風味をしっかりと残すことです」とのこと。その他にも日々のバゲットの出来上がり状態だけをデータ化してinstagramで発信されており、パン作りの基本の大切さへの意識の高さがうかがえる。

「ちなみに、僕は“こだわり”という言葉が好きではありません。こだわるのは当たり前なので・・・。こだわっていない人ほど、こだわりという言葉を使うような気がします」と相良さん。何かハッとさせられる指摘である。


初めての著書を出版予定

相良さんは3月に自身初の著書となる専門書を出すことが決まっている。タイトルは「クロワッサンの発想と組み立て」。パン製造について分解と再構築について書いたプロ向けの本。240ページでフルカラー写真付き。開業して20年の経験と知識を詰め込んだパン職人としての集大成。技術的なことがこの本にぎっしり詰めまくっているので、専門的なことを知りたい方は是非楽しみにして欲しい。

約30年前、「ミレイユ」勤務時代に、オーナーから「相良、お前はいつか本を書け!」と言われたそうだ。その後、相良さんはこの業界で二つの大きな夢を掲げて頑張ってきた。一つは、「クープ・デュ・モンド・ド・ラ・ブーランジュリー」で優勝すること、そしてもう一つが本を書くことだった。その一つが今回叶うことになるのだ。

若者へメッセージ

大学4年の時には卒業旅行に1人でヨーロッパに行った相良さん。アルバイトで貯めた60万円をもとに5カ国を30日間かけて周った。もちろん、本場の菓子やパンを体験したいという思いだったが、今でも自分の中の美味しいパンと言えば、あの時の記憶が基準やベンチマークになっているという。

「若い者には旅をさせろ」と言われるが、まだまだ心のキャンパスが白いうちに本物を見ておくことや新しい刺激を受けるのは、年齢や経験を重ねていくと感じることができないことを吸収できるだろうと思う。
そして、常に情熱をもって新しい挑戦し成長し続けることが大事だと語る相良さん。「今の自分のレベルを維持していこうとするのではダメだ。世の中はどんどん新しいアイデアや技術を取り入れて進化していくので、維持することは相対的には後退していることです。ボチボチ幸せな人生を送りたいと思っているような人は結局ボチボチな人生でさえも送れないと思っています」と熱い。

幸せとは何か

幸せとは何か?というような話題で相良さんがさらに熱弁してくれた。

「幸せとは何かを得る事じゃない。苦しい時代を乗り越えたからこそ幸せに気付く事があると思います。幸せの感度を上げるために必要な経験です」。さらに「僕にとって苦しいと言えば、時代背景もあったかもしれないが、修業時代や高校の野球部だった時かもしれない。今の時代には問題になるような部活動や労働環境の現場でしたからね。特に野球部の頃は練習中には水を飲んだらダメというのが常識の時代でしたよね。今までの人生で一番美味しかったものは?と聞かれたら、高校時代に部活終わりに水道の蛇口から直接ガブガブと浴びるように飲んだ水だったかもしれないですね」と真剣な顔の相良さん。

「幸せになりたい人は、自身の身の回りの当たり前にあることのありがたみに気付くことが大切だと思います」。
昭和時代を過ごした僕からしても全くの同感である。

CHEZ SAGARAシェサガラ 「CHEZ SAGARA」オーナー相良一公さん

最後に相良さんが一番大事にしていることは何ですか?と聞いてみた。
「パッション(情熱)ですね。パッションが無ければ何も生まれないですよ」とまとめてくれた。

今回いろいろ聞いて思ったが、相良さんのパッションはまだまだ歳をとるごとに増え続けていくことは間違いなさそうだ。パンや菓子作りがどうのこうのいう前に、「パッション」があるかどうか、本気でやる覚悟があるかどうかそこが問題なのだと、相良さんはそれを熱く伝えたかったのだと思う。

帰り際に一緒に働いている娘さんがおられたので「お父さんは怖いですか?」と聞いてみた。「いいえ、全然怖くないです。優しいです」と笑顔で即答してくれた。人懐っこく優しいお父さんでもある相良さん。それでいてパン作りに対する人並ならぬパンションと本気と覚悟がある職人。こんな相良さんが作るパンが美味しくないわけがないないじゃないか、と失礼ながら美味しいメロンパンを頬張りながら納得するのである。

CHEZ SAGARAシェサガラ

INFORAMATION

店名: CHEZ SAGARA (シェサガラ)
代表: 相良一公(さがら・かずひろ)
業種: パンと菓子の製造販売
住所: 福岡県久留米市田主丸町益生田873-12
営業時間: 10:00~16:00
電話: 0942-73-3680
店休: 火・水曜
instagram: https://www.instagram.com/chezsagara/

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この記事を書いたひと

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