財津和夫、高校の同級生とタクシーの運転手に人生の節目で諭された頃を振り返る
TULIP・財津和夫が、時には自らの人生の節目について語るRKBラジオ『財津和夫 虹の向こう側』。今回は、大学への進学、そしてプロのミュージシャンを目指すきっかけとなったのは、人との偶然の出会いであったことをお話しします。
それをやりたいと思ったら、ずっとやらないかんよ
自らの人生の節目の話をする前に、まずは縁起・ゲン担ぎに関しての質問に財津が答えます。
「縁起は担ぐかな。縁起よりもまず、強迫観念がちっちゃい頃からあるような気がする。どうしてもこれをやっておかなきゃいけないとか、日常の中で、これはこういう形、これはこういう順番とかにこだわってしまう」
「石畳歩いたりする時に、線踏まないように歩いたりしますね。本当に自分で馬鹿だなって思いながらやってますけど」
「それからステージとかに上がる前緊張するじゃないですか。緊張するとやっぱり脅迫観念が出てくるんですよね。この前こうやってステージやったらうまくいった、これやらなきゃいけないんじゃないかな、と新しいジンクスが増えていくんですよ」
縁起担ぎの話題の後は、改めて人生の節目だった、と思った事について。
高校を卒業して、同級生はみんな大学へ。財津家はお金もなかったので、親から「大学に行かなくていい」って言われて、パチンコして暮らしていたようです(現代のフリーター、あるいはいわゆるパチプロ?!)。毎回、意外と勝っていたのでタクシーでパチンコ屋に通うような生活を送っていたある日の事。パチンコ屋から出て博多湾の夕焼けを見ながら歩いていたところ、高校の同級生の女の子とばったり出くわした財津青年。
同級生:「パチンコしてって言うけど、ブラブラブラブラしようっちゃない。周りはみんな大学行きようちゃけん、あんたも行きたかっちゃないと」
財津青年:「行きたいっちゃあ行きたいけど、行かれん」
同級生:「お金の事? 財津君、親っていうものはね、子どもが『大学に行きたい。合格したから、お金出して』って言ったら、なんとかしてやってくれるもの、それが親というものよ」
と、同級生から強い言葉を貰いました。
「精神年齢の低い僕は、彼女の精神年齢の高さをみましたよ。俺、勉強して受験やるだけやってみようかな、ときっかけを貰ったんですよ」と、人生の節目のきっかけとなった同級生の言葉を懐かしみます。
もう一つは大学生になってからの事。
TULIPを結成する前(いわゆる第1期メンバーで結成する前)に、もう亡くなってしまったTULIPのメンバーの安部俊幸の所に泊りがけで遊びに行こうと、その時もパチンコで勝った金で、キターを持ってタクシーに乗った。
運転手さんから「あんたギター持っとうね。なんかやりようと。あのね、今あんたがそれをやりたいと思ったら、ずっとやらないかんよ。僕も実はギターやってた。でもある時挫折して、結局やめた。今それをすごく後悔している。だから、あんた続けてね」という言葉を貰った、と。
財津は、安部のアパートに行ったその日のうちに、声をかけてくれたタクシー運転手さんをイメージして、「私の小さな人生」を彼の家で作詞作曲している。
「この二つが人生の大きな節目です」
今日の一曲は、その「私の小さな人生」。財津曰く「この曲で東京にレコーディングしに行って、のちのTULIPのスタイルになる前身」という説明をしているが、財津がこの曲を作った後、安部はTULIPへ勧誘される事になる。今回は、アルバム「魔法の黄色い靴」に収録されたバージョンでお聞きいただいた。
下田アナは誰に似ている?
番組のエンディングでは、下田アナが芸能人に似ている、というメッセージを紹介。
1通目は、「声がキムラ緑子さんに似ている。目を閉じて聞いてみると、セクシーな大人の優しさを感じる」という内容。本人は、声が誰かに似ている、と言われたことはあまりないらしいが、財津は「低い声が似ているんじゃないかな、女性は声が低いとセクシーに感じる」とも。
2通目は、「名取裕子に似ている」とのお便り。財津は「ウチの下田の方が上回ってるんじゃないですか」と内輪でリップサービス(?)
この記事の冒頭にも写真がありますが、RKBテレビのニュースを読むことも度々ありますので、エリアの方はそちらでもどうぞご確認ください。
次回3月3日の放送は、通常通り18時15分(午後6時15分)からの予定です。
「イイね!のポーズ」についてお話しします。
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