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息子はなぜ自殺したのか 第三者委員会の報告を受け母親が会見で語ったこと

3年前、福岡県宗像市の東海大福岡高校で2年生の男子生徒がいじめ被害を訴える遺書を残して自殺した問題。「自殺の直接的な原因を特定できなかった」とした第三者委員会の報告と学校側の会見を受けて、男子生徒の母親が21日、息子の名前を明らかにし写真を持って会見に臨んだ。


◆「侑大という子がいたこと、されたことを知ってほしい」
亡くなった侑大さん(当時高2)の母親
「侑大という子がいたということ。侑大という子供がどういうことをされたのかということを知ってもらいたくて、侑大という名前を出すことにしました。そして侑大の写真を皆さんに見ていただきたいと思いました」


◆息子の写真を前に読み上げた母親の思い(全文)
小さい頃の侑大は、虫や生き物、自然が大好きな子どもでした。5,6歳の頃から、生き物や自然を紹介する番組を欠かさず見ていました。よく一緒に見ようと誘われたり、その番組の内容の話を聞かせてくれたり死ました。カマキリ、バッタ、セミなどの虫を捕まえてきては、私に見せてくれて、見せてくれると虫はすぐに逃がしに行く心優しい子でした。

小学2年生の時、友達のお兄さんに誘われて少年剣道部へ見学に行きました。侑大は、もともと剣などが好きだったこともあってか剣道がかっこいいと思ったようで、自ら「剣道をやってみたい」といい、少年剣道部に入部しました。 入部した時から練習が大好きで、週3日から4日の稽古に、ほぼ休まず熱心に通っていました。礼儀も、少年剣道部の先生、先輩、保護者の方々から教わり、育てていただきました。中学では、少年剣道部と中学校の剣道部の2つを掛け持ちしていました。まさに、剣道漬けの毎日でした。中学校の剣道部では、副キャプテンをつとめ、キャプテンとともに部活をよくしようと頑張っていました。剣道は個人戦だけでなく、チーム5人で戦う団体戦があります。同じチームで戦うなら思うことを伝えあって楽しくやりたいとよく言っていました。納得いかないことがあったときも、2日間もかけてキャプテンと話し合い、思うことは一緒だったと話してくれたことがありました。悩んでいる部員には声をかけ励ますこともあったようです。 中1秋の新人戦、中2夏の中総体、中2秋の新人戦、中3夏の中総体すべて県大会まで出場し、玉竜旗もベスト16に入りました。相手チームの大将まで1人で倒す「5人抜き」も表彰され、練習の成果を出すことができたと、とても喜んでいました。 結果だけでなく、厳しい練習や試合を通じて信頼できる仲間を得たことは、侑大にとってかけがえのない経験になっていたようでした。 剣道を通じて、先生方や先輩、友達の優しさに触れながら、侑大は芯が強くて仲間や友達を大切にするとても優しい子に成長してくれました。 剣道以外の場所でも、小学校時代の友達、ゲーム好きから知り合った友達など、たくさんの素敵な友達に囲まれていました。 本当に自慢の息子です。

侑大は、「高校でも剣道を続けたい。剣道が強い学校に行きたいから、東海大付属高校に行かせてほしい」と言いました。私も父親も、侑大が望むならと、応援しました。侑大は希望通り進学し、入学と同時に、剣道部・剣道部の寮に入りました。15歳という年齢で離れて暮らすことになり、不安もありましたが、たまに会えた時には、剣道の稽古に熱心に取り組んでいることを話してくれました。顔つきもさらに凛々しくなり、成長を感じていました。

ですが、侑大は、入学して間もなく、壮絶ないじめを受けました。 1年生の6月、学校から寮に戻らず、突然自宅に戻ってきました。侑大は「死のうと思ったけど死ねなかった」と玄関に入る前から泣き出し、「高校を辞めたい」と言いました。侑大がこれほど取り乱して泣くのは初めてでした。何があったのか聞くと、先輩たちからいじめられていると話してくれました。侑大は、いじめの内容についてもいくつか教えてくれましたが、一番ひどい性被害のことは話しませんでした。傷つきが強く、話せなかったのだと思います。 翌日、侑大と一緒に顧問に相談に行きました。侑大は顧問に、いじめている先輩の名前を伝え、死にたいと思ったけど死ねなかったことも伝えました。顧問は、「名前があがった部員については僕が指導します」と言いました。顧問が実際どんな指導をしたのか、いまだに報告はありません。 侑大は、剣道を続けたい一心で「先輩たちがいる寮を出て剣道を続ける」と言いました。とはいえ、顧問の父親が運営しており部員の大半は寮で生活を共にして、人間関係を深めながら稽古に注力していました。仲間が大好きな侑大にとって寮から出ることは、寂しい思いがあったと思います。しかも、被害者である侑大の方が寮を出ることについて、理不尽な思いもあったはずです。侑大は、「先輩が卒業して寮から出れば、また寮に戻りたい」と言っていました。 自宅から通うようになった侑大は、時間が合えば家族ともよく話をしました。ゲームをしたり、音楽を聴いたりもしていました。好きな曲があれば「これも聞いてみて」と私に片側のイヤフォンを貸してくれました。最後まで聴かないと最初からききなおしと言われ、何度もききなおしイヤフォンを片手にふたりでじっと音楽を聞いていた時間を懐かしくも悲しくも思い出します。 先輩たちのことは何度か聞きました。「謝ってもらったことはない」と言っていました。「話しかけられることがなくなった」とも言っていました。私は謝罪さえないのかと、とても気になりましたが、親が口を出しすぎるのもよくないと思い、見守るしかありませんでした。

いじめの主犯だった2学年上の先輩が卒業するころから「寮に戻りたい」と言うようになりました。侑大は「いろいろタイミングがある」と言って、顧問への相談を先延ばしにしているようでした。 2年生の12月、侑大が顧問に再入寮の希望を伝えたところ、断られたようです。それ以前から顧問が侑大に辛い当たりをすると聞いたことがありましたが、この12月ごろからはより厳しくなり、厳しい言葉を長い時間浴びせられたり、無視をされることもあったようです。 侑大は、顧問にいじめを告白した翌日から学校と部活をほぼ休んでいません。片道1時間以上の通学、朝練、夕方の練習、体力的にもとてもハードな生活を本当によく頑張っていたと思います。剣道が好きで、仲間が好きで仲間と一緒に剣道を続けたいその一心だったと思います。

侑大が亡くなったあと、遺書を手がかりに警察に捜査をお願いしたところ、侑大が先輩たちからとてもひどい性被害を受けていたことが分かりました。大切な侑大がこんなひどい目にあっていたことを知り、愕然としました。それでも侑大が剣道部を続けていたのは、剣道が好きだから、仲間が大切だったからだと思います。 ですが、ひどいいじめを受けた後、いじめの加害者である先輩らがいる中で寮を出ざるを得なかった悔しさ、顧問に厳しく当たられる辛さ、先輩たちから話しかけられもしない疎外感を感じながら剣道を続けることは、侑大にとって辛さが積み重なるものだったと思います。そんな侑大にとって顧問から再入寮を断られた絶望はとても大きかったと思います。侑大が自ら死を選んでしまったのは、壮絶ないじめを受けたこと、いじめ後の剣道部内での孤独感、顧問から再入寮を拒否されたこと、顧問の厳しい対応があったこと等で剣道部内での行き詰まりや悔しさを募らせ、大好きな剣道が出来なくなっていったからとしか考えられません。 調査報告書では、侑大の自死については「直接的な原因は特定できない」と書かれています。この部分について、侑大が抱えていた苦しみや悔しさに正面から目を向けてくれていない、と残念に感じています。
再調査委員会では、侑大の置かれた状況やその苦しみに寄り添って検討をしていただきたいです。そして、侑大が死を選ばざるを得なかった原因について明らかにしていただきたいです。

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