28年前、魚鱗癬(ぎょりんせん)の長男を出産した、梅本千鶴さん(65)。皮膚が魚の鱗のように硬くなって剥がれ落ちる難病・魚鱗癬は遺伝性の疾患で、人にうつることはない。患者数は全国で200人と推計される中、偏見をなくしたいと、千鶴さんは家族会を立ち上げ奔走してきた。魚鱗癬の子供の親になった新米のママとパパに、千鶴さんは「大丈夫だよ」とは決して言わない。その真意とは。
長男が生まれた時「素手で抱くこともできなかった」
3月31日、千鶴さんの長男、遼さんを24年に渡って追いかけた映画「魚鱗癬と生きる 遼くんが歩んだ28年」が、福岡市のキノシネマ天神で公開された。(4月4日・10日も上映あり)遼さんと共に舞台挨拶に立った千鶴さんは、遼さんが生まれた時のことを語った。
(梅本千鶴さん)
「初めて遼に会ったのは、生まれて3日目。はじめて医師から許可をもらった。その時に何を思ったかというと、『保育器にひとりにさせてごめんね』。その後のことは何も考えられなかったんです。どんな苦労が待っているかは考えられなくて、そのあと1年間は、映画の中にはあまり描かれてないんですけど、壮絶な闘いだったんです。感染予防で、ずっと感染対策ばっかりやっていたなって。」
皮膚が不完全で、粘膜で包まれたような状態で生まれてきた遼さんは、すぐに全身に包帯が巻かれた。皮膚のバリア機能が弱いため、感染症にかかりやすい。命にも関わるため、生後1年間は、滅菌処理をしたバスタオルで包んで直接触れないようにした上で、さらに手袋を装着しないと、抱くこともできなかったという。
「親が強い気持ちを持っていないと、魚鱗癬の子は育てられないよ」
「魚鱗癬の会」で会長を務める千鶴さんには、魚鱗癬の赤ちゃんが生まれると、全国の医療機関から連絡がきて、親たちの相談にのり、サポートもしている。
(梅本千鶴さん)
「赤ちゃんが生まれて、私のところに連絡がきたときに、私がみんなに言うのは、『大丈夫だよ、何も心配しなくてもいいよっていう安易な言葉はかけられないよ』って、まず最初に言うんですね。幼稚園、小学校に上がるまでに、色んな好奇の目で見られるし、偏見にもさらされる。だから、強い気持ちをお母さんが持ってないと、魚鱗癬の子供たちを育てることはできないよって。そう言うと、お母さんも泣くし、私も泣くんですけど。」
遼さんが小さいときには、人から見られることが辛かったという千鶴さん。好奇の目をむけられ、魚鱗癬という病気が知られていないことから、偏見にさらされたという。遼さんと同じエレベーターに乗ると、年上の子たちが遼さんをじっと見て、距離をとることもあった。
(梅本千鶴さん)
「それだけ、やっぱり見た目でわかる病気って、そんなに簡単に理解してもらえないし、魚鱗癬は特に皮膚も落ちるので、色々なところで制限される。外食に行ったら、皮膚が落ちるので、いつも私はそこで『すみません、皮膚の病気で皮膚が散らかっているんですけど、掃除をおねがいします』って言いますし、泊りに行けば、ホテルの人にも、それは絶対言います。」
「でも仲間はいる。ひとりで悩まないで」
千鶴さんは、親として経験してきた、厳しい現実の話はするものの、悩んでいるのはひとりではない、ということも伝える。
(梅本千鶴さん)
「『簡単に魚鱗癬のこどもは育てられないよ』って、今でも赤ちゃんが生まれたら、まず私はそれを言います。これからもずっとそれは言い続けると思うんですね。それでも仲間はいるから、全国に仲間はいるから、いつでも相談してねって。ひとりで悩まないで、っていうのが私のモットーでもあるし、私の考えです。」
「魚鱗癬の会」では、毎年、患者とその家族が集う交流会を開いている。2024年は6月22日~23日に宗像グローバルアリーナ(福岡県)、11月30日~12月1日にあおぞら共和国(山梨県北杜市)で開催を予定している。
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