【ソフトバンク】秋は”ビールかけ”の季節 優勝祝賀会・恒例行事の元祖はホークス? 4年ぶりのパリーグ優勝近づく
目次
ダイエー時代には”炭酸水かけ”も
福岡移転後に初めて優勝したダイエー時代はというと、1999年、選手全員がやはり背番号付きの白いシャツを着用。言うまでもなく、ほとんどの選手が初めての体験だったわけで、要領も何もあったものではなかっただろう。
翌年2000年は類いまれな年。選手が掛け合ったのはビールではなく、なんと炭酸水だった。緑色のペットボトルに「優勝水」と書かれたラベル。
当時の親会社ダイエーの「ビールを商品として扱う以上、それを飲まずに掛けるなんて」そんな考えからだそうだが、これでは酔えない。今となっては不思議な思い出となっている。
かつてはユニホーム姿で乾杯→立食→”ビールかけ”
1980年代にさかのぼると、ある球団でこんな祝勝会の流れがあったと記憶している。
まず球団の上層部や監督が挨拶し、やがて乾杯の音頭。すると、ごく普通に紙コップに注がれたビールで「乾杯!」のあと立食へ。今ならこの時点で即、”ビールかけ”スタートとなるが、実に静かな祝勝会の始まり。
程なくして主力選手たちがテレビ局のインタビューを受け始める。選手たちの服装はと言うと、試合と全く同じユニフォーム姿。
当時はこれが普通で、いつしか優勝記念ロゴの入ったTシャツやキャップを身に付けるようになっていった。
しばらく経って選手会長が「そろそろ行こうか?」と合図をすると、ようやく”ビールかけ”がスタート。祝勝会の前半は、随分と落ち着いたものだったのだ。
”ビールかけ”元祖はホークス?
今や恒例となった優勝祝賀会での”ビールかけ”。一体いつごろ始まったのか?
ビール大手・キリンホールディングスのHPによると、日本で初めて”ビールかけ”を行ったのは、1959年(昭和34年)に初めて日本シリーズを制した時の「南海ホークス」だった、という説がある。
当時の南海は、4度日本シリーズへ出場しながら、セ・リーグ王者の巨人にことごとく日本一を阻まれている。1959年は、3度目ならぬ5度目の正直で初めて巨人を破った年。
当時南海に所属していた選手がアメリカでのプレー経験をもとに「シャンパンファイト」ならぬ「ビールファイト」のアイディアを提案し喜びを分かち合ったのだそうだ。
優勝は4年ぶりも”ビールかけ”は5年ぶり
この説にのっとると、日本プロ野球のビールかけ“元祖”となるホークス。
優勝すれば4年ぶりだが、”ビールかけ”は2019年の日本一以来、5年ぶりとなる。未経験選手もいる。
小久保監督は、監督としては初めて美酒を体で味わうことになる。さぞ盛り上がることだろう。
ファンもその光景を楽しみに待っている。
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