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東海道新幹線開業60周年…海の向こうで見えた「リーダーの先見性」

飯田和郎

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新幹線が開業して2024年10月、60周年を迎えた。かつては「夢の超特急」と呼ばれた新幹線。多くの人にそれぞれ、新幹線の思い出があるはず。近年ではインバウンド客が新幹線を利用しているが、安全、正確な新幹線は、日本のイメージアップに貢献している。10月7日、RKBラジオ『田畑竜介 Grooooow Up』に出演した、飯田和郎・元RKB解説委員長が「新幹線の外国への輸出」をテーマにコメントした。

インド「日本の新幹線」導入の手本となった台湾

東海道新幹線はきょうまでの60年間、「乗車中の客が死亡する列車事故ゼロ」が続いている。きょうは、その新幹線の外国への輸出をテーマに話したい。日本とその輸出先との関係に、新幹線がどのような影響をもたらしてきたのだろうか。

インドでいま、日本の新幹線方式を採用した高速鉄道が建設中だ。日本はインドに対し、円借款や技術面で支援している。ただ、用地の買収が難航しており、開業は当初予定した2027年から数年、延びそうだ。一方、同じアジアでも、インドネシアで建設中の高速鉄道は、中国との受注競争に日本は負けた。

安全保障の観点から、日本とインドは連携を強めている。当然、新幹線方式の輸出は、その戦略も関係しているだろう。インドの高速鉄道のお手本となったのが、台湾新幹線だ。日本の新幹線システムを導入して、台湾初の高速鉄道が営業を開始したのが2007年。今年で開業から17年目だ。最速時速300m/h。台北と台湾第二の都市・高雄の間350kmを最速96分で結んでいる。

台湾新幹線

その台湾新幹線が新しい時代に入る。新型車両12編成、合わせて144両の製造を、日本のメーカー2社が約1200億円で受注した。新幹線の「N700S」をベースにした車両で、再来年2026年から順次、納入される。

親日家の総統による「政治的決断」

ただ、台湾で、日本の新幹線技術が採用されるまでには、かなりの紆余曲折があった。説明しよう。日本の新幹線システムが台湾初の高速鉄道に導入されることが決まったのは今から25年前の1999年。このとき、一度はドイツ・フランス連合の受注にほぼ決まっていたのを、ひっくり返している。

事前の入札では、フランスとドイツの企業の連合体が優先交渉権を獲得していた。価格の面で、日本側はとても太刀打ちできなかったからで、ヨーロッパの鉄道運行システムの導入で、いったんは内定した。

それを一転させたのは、時の台湾のトップ、李登輝総統だった。彼はそのころ出版した自著で、台湾新幹線について触れている。高速鉄道の導入条件としてこんなことを挙げていた。

「第一が価格、第二が安全性、第三が政治的配慮。政治的配慮とは、日本政府にも姿勢を示してもらいたいということだ」

「日本政府に示してもらいたい政治的配慮」―――。ヨーロッパ方式が採用される前後、ドイツは担当する閣僚が台湾を訪れ、ヨーロッパ方式の採用を、売り込んでいた。もちろん、価格面も大切だが、ドイツ政府の熱心さに比べ、日本は政府が新幹線を売り込むようなことはしなかった。それは、中国に配慮してのことだった。そういう日本のやり方に、李登輝氏は不満を持っていた。

台湾で大地震が起きたのが1999年、その前の年の1998年にはドイツの高速鉄道で脱線事故も起きた。李登輝氏が高速鉄道の導入条件の二番目に挙げた「安全性」を、重視したという側面もあるが、日本政府も水面下で動き、台湾側にその「政治的配慮」を示していた。そして、台湾のトップである李登輝氏が政治的決断をして、日本の新幹線の導入が決まったのだろう。

李登輝氏は日本の統治時代に生まれ、育った。日本語を自由に操る、大の親日家だった。ただ、巨額を投じてのプロジェクト。「日本が好き」というだけで、ドイツ・フランス連合に内定していた台湾新幹線計画を、日本にひっくり返したのではないはず。したたかな李登輝氏には、その先の日本との関係を描いた決断だったのは間違いない。

台湾新幹線が築いた「数十年来で最も良い関係」

台湾新幹線

日本側の受注への大逆転が決まってから、今年で25年。四半世紀だ。今の日本と台湾の関係はどうだろう?

先日、台湾の新しい駐日代表(=駐日大使に相当)が赴任した。その代表は東京に到着し、こんな表現を使った。「台湾と日本の関係は数十年来で最も良い時期にあります。多くの分野で交流が史上最高レベルに達しています」。「数十年来で最も良い関係」――。台湾は以前から「親日」だったが、台湾新幹線の誕生が、その日台の関係をぐっと引き上げたといえないか。

台湾の人たちには、「自分たちのところにも同じ新幹線がある」という感覚だ。一方の日本人からすれば、日本の高い技術を集めた新幹線が「台湾でも走っている」という誇りになっている。もし、台湾の高速鉄道が、最初の入札のまま、ヨーロッパ方式が採用されていたら、日本と台湾の今の関係はなかっただろう。

入札結果をひっくり返したのは、時のリーダー、李登輝氏の政治判断だ。もちろん、したたかな政治家だっただけに、政治のつき合いも、台湾の市民と日本の市民の間の民意も、新幹線導入で、日本と台湾の距離を、ぐっと近づけるという計算があったはず。「将来において、何をもたらすか」という…。

日本と台湾は正式な外交関係はないが、それらが今日の安全保障をめぐる日台の事実上の連携に至っているのだろう。台湾の半導体メーカーも日本へ進出した。日本では石破茂首相が誕生し、アメリカでも来月、次の大統領が決まる。いま、どこの国でも「リーダーの資質」が問われている。私は新幹線開業60周年というニュースに触れ、李登輝氏の先見性、そしてシンカンセンという日本の財産の大きさを改めて感じている。

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この記事を書いたひと

飯田和郎

1960年生まれ。毎日新聞社で記者生活をスタートし佐賀、福岡両県での勤務を経て外信部へ。北京に計2回7年間、台北に3年間、特派員として駐在した。RKB毎日放送移籍後は報道局長、解説委員長などを歴任した。