九州初の政令指定都市である北九州の"副都心"と呼ばれる黒崎。江戸時代には長崎街道の宿場街として賑わい、明治から昭和にかけては近隣に八幡製鉄所、安川電機、三菱化成などの工場が立地して周辺人口が増え、戦後の高度成長期には繁華街として大きく発展した。僕が子どもの頃には「S・O・G・O そごうに行こう♪」のコマーシャルソングとともに九州最大級のデパート「黒崎そごう」が華々しくオープンし、小倉、福岡に肩を並べる商業地として飛ぶ鳥を落とす勢いだった。
しかし、時代の流れとともに徐々に減退して駅前アーケードもシャッターが目立つようになり、人の行き来もすっかり少なくなった現在、かつての賑わいを知る身としては淋しい限りではある。そんな黒崎の街の盛衰を見守りながら、その片隅で半世紀にわたって看板を灯し続けてきた名店が「焼鳥 ほり」だ。
大将の堀道彦さんは昭和21年生まれで、箱崎にあった伝説的な焼鳥店「藤よし」創業者・早川清一氏の薫陶を受けた数少ない直系弟子の一人である。今や福岡の焼鳥屋で鶏のほかに豚や牛、内臓系の食材がネタとして焼かれるのは当たり前だが、最初に提供したのが戦後間もなく創業した「藤よし」といわれている。堀さんは住み込みで働きながら腕を磨き、昭和50年代の初めに地元の黒崎で開業。以来半世紀を超え、齢80歳になった今も現役を張る、僕がリスペクトしてやまない焼鳥職人である。
この店では四の五の言わずにおまかせで頼むのが上策で、いつも朗らかな笑顔で迎えてくれる女将さん手作りの「がめ煮」でまずはビールを一杯。その間、黙々と焼き場に立つ大将の姿は頑固一徹にも見えるが、口を開けばユーモアのある軽妙洒脱な語り口で和ませてくれる。
おまかせの焼鳥はタレ焼きからで、この日は「黒豚肩ロース」「黒毛和牛サーロイン」「鶏きも」「べんてん」の4本。炭火で焼いた黒豚、黒毛和牛が旨いのは言わずもがなだが、特筆すべきは名物の「べんてん」だ。豚の大腸から生殖器にかけての部位を5時間もかけてじっくり煮込んでおり、口の中で蕩けるような柔らかさはなんとも官能的。この1本を食べるだけでも、黒崎を訪れる価値がある。
続いて塩焼きは、「黒豚バラ」「砂ずり」「鶏もも」の3種類。塩加減、焼き加減ともに絶妙で、時折団扇で風を送りながら火力を調整して焼き上げる技術はまさに名人の領域だ。現在は息子の智享さんも焼き場に立ち、その技と味を受け継いでいる。
半世紀にわたって仕入先との信頼関係を築き、鶏は「名古屋コーチン」、豚は鹿児島の「六白黒豚」、牛は宮崎産黒毛和牛の「都萬牛」など、極上の食材だけを厳選。最高の食材と卓越した技が織りなす焼鳥の旨さは、筆舌に尽くしがたい。
「きのこ雑炊」で締めた後、手作りの浅漬けをつまみに焼酎を飲みながら女将さんと談笑していると、「私たちもう今年で81歳やけね、そんなに長くはできんと思うわぁ」とポツリ。そうなのである。これまでも後継者がおらず、惜しまれながら閉店した店は数多く見てきた。しかし、幸いにして跡継ぎに恵まれたこの店には、未来がある。大将が学んできた志と技が一子相伝で受け継がれ、黒崎の街に看板が灯り続けることを願ってやまない。
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