PageTopButton

“人口減少、豪雨災害に負けない”50年ぶりの日本酒「東峰一献」~高齢化進む村で誕生 福岡

九州北部豪雨の被災地・福岡県東峰村で地元産の日本酒が約50年ぶりに造られました。4月30日に蔵開きが行われます。


◆創業125年目の片岡酒造
福岡県東峰村です。福岡県で唯一、「平成の名水百選」に選ばれた岩屋湧水の軟水と、東峰村で育てられた酒米で日本酒造りが行われています。明治31年創業、今年で125年目を迎える老舗の酒蔵「片岡酒造」です。

4代目店主の片岡拓之さんと妻の和子さんです。東峰村で日本酒を造るのは約50年ぶりだと話します。(この約50年間は、自社での醸造を取りやめ外部に委託)

◆『是非とも酒造りを復活してほしい』
片岡酒造 片岡拓之店主「炭鉱も閉山になり人口減少等で、やはり採算が合わなくなったそうで、私が5~6歳でしたけど」

蔵の奥には使われていない貯蔵タンクなどが、そのまま残されています。なぜ、酒造りを復活することになったのでしょうか。

片岡酒造 片岡拓之店主「災害後にいろんな方に来ていただいて『是非とも酒造りを復活してほしい』」というお言葉をいただきまして、地元を元気づける意味でも、地の米と水で日本酒を復活させたいという思いになりました」


◆九州北部豪雨で被災
2017年、福岡県と大分県で40人が死亡し、2人が行方不明となった九州北部豪雨。東峰村でも土砂崩れや川の氾濫によって3人が死亡、約60の住宅が全半壊するなど甚大な被害が出ました。

RKB三浦良介「九州北部豪雨では、この川の水があふれ、大量の土砂と流木が酒蔵に流れ込みました」

片岡酒造 片岡和子さん「私の身長ぐらい水が入って来たんです。いろんなものがどんどん流れていって、家も蔵も水に飲み込まれるような感じだった」

酒やタンク、冷蔵庫などが水に流され、家や蔵には70センチほどの高さまで土砂が堆積しました。

片岡酒造 片岡和子さん「ここに住めるのかなっていう状態で、土砂はたくさんだったし、下りてくるところの道は陥没していたし、蔵の中に流木が突き刺さっていたし、村の方とかがたくさん来て下さって、暑い中、土砂をずっと運んで頂いて、ぐしゃぐしゃになった家財道具とかも全部運んで頂いて、本当に人ってすごいなって思ったですね」


◆子供の保護者グループで「東峰一献」
「復興の証しとして酒造りを再開し、支援してくれた友人やボランティアに恩返しをしたい」、そんな片岡さん夫婦の背中を押してくれたのは、子供の同級生の保護者たちでした。「せっかくなら東峰村でつくった米で酒を造ろう」と、3年前に保護者仲間13人で「東峰一献」というグループを立ち上げ、酒米づくりを始めました。

「東峰一献」 佐々木啓二代表「こちらの田んぼの地主さんたちが使っていた所を、高齢化のために自分たちでできないからと、酒米づくりのために自分たちが使わせてもらっている」


◆“東峰村の元気” 見せたい
高齢化率が46.1%と県内で最も高齢化が進む東峰村では、耕作放棄される田んぼが年々増えています。「東峰一献」のメンバーは借りた田んぼで酒米づくりを行い、稲刈りには村の住民以外も参加しました。

「東峰一献」 佐々木啓二代表「若い人たちも魅力があるとこだなと思って帰って来て、こういうことをしたりとか美味しいお酒を造って、みなさんに『東峰村は元気でやっていますよ』というところも見せたいなと」


◆純米酒「東峰一献」
メンバーは酒造りも手伝っています。

「東峰一献」メンバー 熊谷智恵さん「楽しいですね。素人なのに関わらせて頂いて本当にうれしいです。(Qできあがったお酒は飲みました?)ちょっとだけ。(Qお味は?)とてもおいしいです」

片岡酒造 片岡拓之店主「これは種麹です」

蒸した米に種麹を振りかけ、2日間寝かせます。日本酒造りで最も重要な工程です。その後、段仕込み、もろみ造りなどを経て、辛口が700本、甘口と濁り酒がそれぞれ500本ずつできあがりました。芳醇な風味と柔らかい舌触りが特徴です。

RKB三浦良介「飲んだ後に香りがすごくします。おいしいです」


◆蔵開きは4月30日
片岡酒造 片岡和子さん「私たち家族だけではできなかったことが、東峰村のみなさんとかお客様とかいろんなボランティアの方の言葉とか、いろいろなお手伝いでできたお酒かなとは思います」

村の素材だけを使用し、50年ぶりに誕生した正真正銘の東峰村の純米酒「東峰一献」のお披露目会と蔵開きは、4月30日の午前10時から行われます。

片岡酒造 片岡拓之店主「おいしいお酒ができました。地元のお米と名水で造った東峰村のお酒を是非とも飲みに来てください」

この記事はいかがでしたか?
リアクションで支援しよう