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バングラデシュの貧困とそれを救う福岡の企業(前編)

2020年2月。東京都で新型コロナ新規感染者数がまだ1日0~10人を推移していた頃。僕はバングラデシュにいました。今となっては貴重な機会、3泊4日での海外取材中でした。

取材相手は本社を福岡に構え、本牛革製品を製造・販売する企業「ビジネスレザーファクトリー」。その工場がバングラデシュにあり、貧困問題に取り組んでいるということで訪問させていただきました。ビジネスレザーファクトリーは以前のコラムでもご紹介した社会問題をビジネスで解決している「ボーダレス・ジャパン」のグループ企業です。

工場では200人以上の現地スタッフが働いています。その多くは、シングルマザーだったり読み書きが出来ない人だったり身体に障がいを持つ人だったり。つまり「他の工場では働けない人」が優先的に雇用されているのです。

ビジネスレザーファクトリーは「バングラデシュの貧困問題の解決」を目標に掲げ、現地で産業を創り出し雇用を生み出すことで、その目標を達成しようとしているのです。現地でお宅にまで招いてくださりインタビューに答えてくれた従業員さんは、高齢のため仕事がない両親を持つ14歳の女の子でした。その本人や家族は、バングラデシュには、先進国に本社がある様々なジャンルの企業の工場が存在し、その中には生活できないほどの低賃金だったり、賃金の未払いなどがあったりしていると教えてくれました。さらに女性には性暴力の被害もあるそうです。

そもそもバングラデシュは、国土が日本の4割ほどの大きさなのに対し、人口は1億6千万人以上いることもあり、失業率の高さが問題となっています。その上、働いても低賃金、未払い、重労働などの問題もあり、多くの国民は明日の生活もままならず、その日暮らしの生活を続けざるを得ないのが現状です。

取材中は首都であるダッカに宿泊したのですが、朝街に出てみると仕事を求める人が溢れかえっていました。それらの問題を解決すべく、ビジネスレザーファクトリーが着目したのは、バングラデシュで行われるお祭り「イード(犠牲祭)」。「イード」とは、イスラム教の信仰者が多い国々で年に1度開催される最大の行事の一つで、神様へ牛を献上するという儀式です。

その際に牛肉は貧しい人々などに分け与えるのですが、牛の皮は主にヨーロッパへ輸出しているのだそうです。それを知ったビジネスレザーファクトリーのスタッフは「せっかく材料があるのにもったいない」ということで、牛の皮を使って製品化までして輸出すれば現地に雇用を作り出すことができる!と考えたのです。

それがビジネスレザーファクトリーという企業や社名が誕生したきっかけです。しかし、雇用を生み出すだけでは貧困は解決しません。ビジネスレザーファクトリーでは、いかに現地の従業員が人間らしく生活していけるのかという考えがビジネスの根底にあるため、他の工場で常態化している低賃金や賃金未払いはなく、また従業員は女性が多いので託児所を併設するなど福利厚生も充実させています。そのため、工場には設立から8年が経った今でもなお、評判を聞きつけて雇用を求める現地の人々が列をなしているそうです。

ビジネスレザーファクトリーの本気度

取材中、現地工場の従業員さんがいかに充実した働き方、生き方をされているのかが分かるエピソードが大きく2つありました。撮影スタッフは僕単身で、日本から原口瑛子社長を含め約10名の日本人スタッフの現地視察に同行しました。

首都ダッカから車に揺られること約1時間。車窓から見える景色は、中心地を離れても多くの人々、砂埃が舞う道路に散乱するごみ。そして舗装されていないデコボコの道路に入り数十分。最後の角を曲がった瞬間、感動の光景が目の前に広がりました。

200名以上いるスタッフが幅5mほどの道路の両側にずらりと列をなし、日本から来た我々を歓迎してくれたのです。その中を、社長を先頭に日本人スタッフが進んでいくと両側からフラワーシャワーも。現地の方々はみんな笑顔です。

そして工場内部を見学し、いくつかのインタビューを終え、あっという間に夜に。工場内では、年に1度のビジネスレザーファクトリー日本人スタッフの視察ツアーでの恒例行事が始まりました。ダンスパーティーです。普段は物静かなバングラデシュ人ですが、音楽がなり始めると自然と体が動き出すようです。

工場の一角で、現地メンバーが大きな輪を作り、中心では何人もの人が代わる代わる踊っています。女性も男性も踊っている人も見ている人もみんな心からの笑顔です。それを撮影しながら気がついたら僕の頬に、ひとすじの涙が伝っていました。照れ臭い表現ですが、「涙が出た」そんな文章では伝えられないほどの感動があったのです。今目の前で笑顔で踊っている人々は、この工場で働く前までは明日が見えない生活を強いられていた人たちです。

取材中、インタビューさせて頂いた数人みなさんが口にしていたことは「将来の夢が出来た」という言葉です。内容は「お金を貯めて親孝行をしたい」「自分の家を建てたい」など。日本にいると特別なことではないことが彼らにとっては夢なのです。そんな夢さえ持てず、明日自分がどうなるか分からないような生活を想像すると、そのダンス見て涙を流しながらも僕は同時に恐怖を覚えました。

全員プロの牛革加工職人

ビジネスレザーファクトリーを引っ張るのは、30代半ばの原口瑛子社長です。通称「はなみち」さん。ビジネスレザーファクトリーではニックネームで呼び合うのがルールです。全国に15以上ある店舗で働く人たちにも全員ニックネームがあります。(僕も取材中はニックネームで呼んでもらいました。自称オダギリジョー似なので「ジョーさん」。今でもそう呼んでもらっています笑)

原口社長はフィリピンで見た「スモーキー・マウンテン」と呼ばれる東南アジア最大のスラム街で、ごみを集めて生活している子どもたちを見て、貧困問題解決に人生を捧げることを決意したそうです。その熱意は凄まじく、バングラデシュの工場をコロナ禍で操業停止せざるを得なくなった状況でも、現地の従業員へ賃金を払い続けたのです。

そんな原口社長はバングラデシュの従業員のことを「職人」と呼びます。バングラデシュで作られた製品は日本で販売しているのですが、店舗を覗いてみても「バングラデシュ製」や「貧困問題を救うための製品」などという言葉は目につきません。「可哀想な人たちが作ったもの」という見せ方をしていないのです。それを知った時、僕は「これはなかなかできることではないな」と心が引き締まりました。

多くのサステナブルな企業や商品を取材してきましたが、海外の貧困を救う商品の多くはそのことを謳ってあるものが多いように感じます。そうはせずに、この商品を日本で普通に売れるものにすることで、結果的にバングラデシュの雇用を創出するだけでなく、持続可能な雇用にする、その覚悟が現れていると感じました。

次回はビジネスレザーファクトリーを通して知った、バングラデシュで知った日本との差について書こうと思います。

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