PageTopButton

吉野ヶ里遺跡“謎エリア”の墓から赤い顔料、有力者であれば邪馬台国につながる発見の可能性も

邪馬台国につながる「世紀の発見」となるのでしょうか。 弥生時代後期のものとみられる石棺墓が見つかった佐賀県の国指定特別史跡「吉野ヶ里遺跡」では5日、ふたが開けられ内部の調査が始まりました。

200キロのふたの下に“赤色顔料”

国内最大規模の弥生時代の環濠集落跡が残る佐賀県の吉野ヶ里遺跡。神社があったため発掘調査ができなかったいわゆる「謎のエリア」で今年4月に見つかった石棺墓の調査がついに始まりました。石棺墓の上部に置かれた4枚の石のふたのうち3枚を建設機械を使って開けていきます。ふたの重さは最大200キロで、下の土には赤色の顔料が付着しているのが確認されました。

佐賀県文化財保護活用室・白木原宜室長「非常にわずかですけど、赤色顔料。朱なんでしょうけど、赤色顔料が少々見えました。石棺の中が赤く塗られている可能性がある。弥生時代で赤色顔料を用いるとなると割と高貴な有力者の墓が多いのかなと思ってます」

石棺墓は穴の大きさが3.2メートルかける1.7メートルでこれまでに吉野ヶ里遺跡で見つかった18基の石棺墓の中で最も大きなものです。
 

◆王などの有力者の墓の可能性

密閉状態にするために粘土が敷き詰められていてふたの上には埋葬者を封じ込める意味がある「線刻」と呼ばれる記号が多数刻まれています。また、見晴らしのいい場所にあることから長年、吉野ヶ里遺跡を研究する考古学者の高島忠平さんは王など有力者の墓の可能性が高いとみています。

論争続く“邪馬台国”どこにあった?


弥生時代後期の2世紀から3世紀にあったとされる邪馬台国。中国の歴史書「魏志」倭人伝には邪馬台国へのルートが記されていますが、不明な点が多く、所在地については「九州説」「近畿説」などこれまで論争が繰り広げられてきました。吉野ヶ里遺跡では、これまでに弥生時代後期の有力者の墓は見つかっていません。

高島忠平さん「(有力な手掛かりが見つかれば)広域な地域を対象にした政治の拠点がちょうど邪馬台国時代に吉野ヶ里遺跡で整備されている。吉野ヶ里遺跡の周辺にクニという20か30くらいの集落の遺跡がある。その一つが邪馬台国じゃないかと言えるようになるかもしれない」

佐賀県は石棺墓の中に入っている土を取り除き今後1週間ほどかけて副葬品などがあるか調べる予定です。

この記事はいかがでしたか?
リアクションで支援しよう