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「ざーっと大雨が降るような音がした」終戦4日前に行われた空襲 当時14歳の少女は炎の中を走った 今91歳 

78年前の8月11日に福岡県久留米市を襲った空襲。214人の命が奪われました。終戦の4日前、燃えさかる炎の中を逃げた女性は、90歳を超えてなお、その体験を語り続けています。

78年前の8月11日におきた久留米空襲

11日、福岡県久留米市で開かれた慰霊式。78年前に起きた久留米空襲を体験した人やその遺族などが参列しました。

久留米市内では空襲に関する展示

久留米市内ではパネル展『カメラがとらえた久留米の100年-平和への祈り編-』が開かれ、空襲の前と後で変化したの街の様子や当時の生活が分かる写真などが展示されています。
そして会場には、当時この空襲を体験した人の声も紹介されていました。

「怖いの何の。頭の上1メートル位上を飛んでいるような音ですよ」

空襲を経験した91歳の女性を訪ねた

久留米市荘島町に住む坂井幸子さん・91歳です。
当時の話をさらに詳しく聞きたいと、坂井さんの自宅を訪ねました。

坂井さんは当時14歳、現在の明善高校の前身、久留米高等女学校の2年生でした。

坂井幸子さん「ざーっと大雨が降るような音がして焼夷弾が落ちてくるんです。横が燃えているからね、家の形が見えないくらい炎が吹き上げてくるわけ。熱くてしようがないんですよ。でも我慢してね必死に走りました」
 

4506軒の家が焼け214人が亡くなった

アメリカ軍の爆撃機の編隊が2度、久留米市上空に飛来し、大量の焼夷弾を投下。4506軒の住宅が焼失し214人の市民が犠牲になりました。

 

坂井幸子さん
「空襲の後、見えたのはね、デパート、その筋向かいの銀行、また手前の方にね第一勧業銀行というのがある、3つのビルだけ。あとはみーんな焼けていました。木造ですから」

 

坂井幸子さん
「我が家もね影も形もない。本当に愕然としましたね。あまりの悔しさと悲しさで涙も出ませんでしたよ」

神社に残る「顔のない狛犬」 

一面焼け野原となった久留米市。戦後78年が経過し、今は30万人が暮らす福岡第3の都市です。復興した街の中心部に久留米空襲の爪痕を残す遺跡が残されています。

 

久留米市文化財保護課 小澤太郎さん
「焼夷弾が3000メートル上空から直撃してそれで顔面が落ちたという風に考えられています」

 

焼夷弾が直撃し顔が無くなった狛犬。台座には、焼夷弾から出た油の跡も残っています。壊れた部分には、戦争の記憶を後世に残そうと、氏子の手によって空襲のいきさつが彫り込まれています。

 

久留米市文化財保護課 小澤太郎さん
「78年前の空襲の痕跡がしっかりと残っているということですね。ここに平和の願いが込められていると思うんですよね」

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この記事を書いたひと

小畠健太

1983年生まれ、岡山県出身。2008年入社。「寄り添った取材」をモットーに10年以上取材に取り組む。3児の父 趣味は釣りと楽器演奏

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