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石垣島はもはや過去の歴史の舞台ではない~28歳の青年はなぜ戦争犯罪人となったのか【連載:あるBC級戦犯の遺書】#19

1945年4月に米兵捕虜3人が日本海軍によって殺害された「石垣島事件」。当時、石垣島はどんな状況だったのか。ジャーナリストの森口豁さんに古くからのご友人を紹介してもらった。画家の潮平(しおひら)正道さん。空襲の様子や疎開先でマラリアに罹患して亡くなる大量の人たちを見たという。

石垣島で進む軍備増強

山里節子さん(当時83歳 2020年10月)

 

石垣島の戦時中の話を聞くために、もう一人、地元の方にお会いした。山里節子さん。8歳になる年に終戦を迎えた。8人家族のうち、半分を戦争で失ったという。予科練を志願した兄は、乗っていた船が撃沈され戦死した。幼い妹は栄養失調で防空壕の中で息絶えた。日本軍の強制移動命令で山の中へ移動したが、弟以外の全員がマラリアに罹患。祖父と母が亡くなった。この経験から山里さんは「いのちと暮らしを守るオバーたちの会」の世話人を務めていた。2020年10月当時、石垣島では自衛隊基地の建設が進んでいた。山里さんに近くを案内してもらった。

 

建設が進む陸自石垣駐屯地(民家から撮影 2020年12月)


(山里節子さん)
「この集落から100メートル離れていないところに、弾薬庫がいくつもあって。半分くらいが石垣市の土地です。もう少し人気のない離れたところだと思っていたのに。地図には民家があるのに、敢えてここにもってきちゃって。だから住民がみんな怒って」

「自分の目の開いているうちは戦争なんて二度と見たくない思いでいるのに。いつも戦争で犠牲になるのは無辜の民っていうか、お年寄りや女子供たちで、罪のない人たちの命を虫けら同然に奪っていくしね。そういうのは耐えられないですね」

基地があれば標的に

石垣駐屯地建設反対の抗議活動(2020年12月)

 

山里さんは「基地があれば、標的にされかねない。新型兵器がもたらされて頭上で炸裂すれば島ごと破壊される。」という。そういう運命と共にさせられることが目前に迫っているかと思うと、いてもたってもいられないと不安な表情をみせた。「オバーたちの会」は、工事車両が出入りする入り口で抗議活動を行っていたが、2023年3月、石垣駐屯地が開設された。「守る」ためのミサイルだけではなく、「攻撃する」ための長射程ミサイルが配備される可能性もある。

なぜ、78年前の「石垣島事件」のような戦争にまつわることを今更、検証して報道するかと言えば、戦争を繰り返さないためなのだが、いまや石垣島は過去の戦争の舞台というよりも、中国をにらんだ国防の最前線であり、反撃能力を持つことすら想定される軍備拡張の現場そのものだったー。
(12月8日公開のエピソード20に続く)


*本エピソードは第19話です。

ほかのエピソードは次のリンクからご覧頂けます。

【あるBC級戦犯の遺書】28歳の青年・藤中松雄はなぜ戦争犯罪人となったのか

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1950年4月7日に執行されたスガモプリズン最後の死刑。福岡県出身の藤中松雄はBC級戦犯として28歳で命を奪われた。なぜ松雄は戦犯となったのか。松雄が関わった米兵の捕虜殺害事件、「石垣島事件」や横浜裁判の経過、スガモプリズンの日々を、日本とアメリカに残る公文書や松雄自身が記した遺書、手紙などの資料から読み解いていく。

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この記事を書いたひと

大村由紀子

RKB毎日放送 ディレクター 1989年入社 司法、戦争等をテーマにしたドキュメンタリーを制作。2021年「永遠の平和を あるBC級戦犯の遺書」(テレビ・ラジオ)で石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞奨励賞、平和・協同ジャーナリスト基金賞審査委員特別賞、放送文化基金賞優秀賞、独・ワールドメディアフェスティバル銀賞など受賞。

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