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石垣島はもはや過去の歴史の舞台ではない~28歳の青年はなぜ戦争犯罪人となったのか【連載:あるBC級戦犯の遺書】#19

1945年4月に米兵捕虜3人が日本海軍によって殺害された「石垣島事件」。当時、石垣島はどんな状況だったのか。ジャーナリストの森口豁さんに古くからのご友人を紹介してもらった。画家の潮平(しおひら)正道さん。空襲の様子や疎開先でマラリアに罹患して亡くなる大量の人たちを見たという。

相手を殺した途端に自分は殺される側に

潮平正道さん(2020年10月取材 当時87)

 

取材当時87歳だった潮平さんは、戦争は無意味だと話した。

「いやもう、戦争を経験したものからみると、ナンセンスですよ。ほんとに国の犠牲でしょ。国の間違った政治の犠牲以外、なんにもないですよ。世界の歴史の中で、戦争して軍隊が行って、守って、豊かになった国ってありますか。ないですよね。なんやかんや悲劇がどこでもありますよね。だからナンセンスですよ、戦争は。だって自分の命を守るために他人を殺して、自分の命が守れるはずないやないですか。相手を殺した途端に自分は殺される側に回るわけでしょ。殺されてもいいような条件を自分でつくるわけですから」

潮平さんはこの取材の半年後、鬼籍に入られた。石垣島の公園には、潮平さんがデザインした「憲法9条の碑」が建つ。

沖縄の人の物差しは戦争だった

潮平さんがデザインした憲法9条の碑(石垣市・新栄公園)

 

(森口豁さん)
「沖縄の人は戦争体験がまずあって、そういう戦争体験で学んだ物差し、その物差しで物事を計っていくと。これは正しくない、これは正しい。基地の問題にしても何にしても全部物差しは戦争だったんです」

 

憲法9条の碑

 

石垣島事件で戦犯に問われた被告の中には、10代、20代の若者も多い。森口さんの著作「最後の学徒兵 BC級死刑囚・田口泰正の悲劇」(1993年講談社)の主人公、田口少尉もその一人だ。

(森口豁さん)
「事件当時、田口が22歳、田口が刀を振り下ろした米兵が20歳だよね。この世に生まれて20年、一方はアメリカ、一方は北海道に生まれて初めて出会った接点がこの石垣島で。そしてやられて。戦争っていうのは、明日、自分がどういう状況か、何をさせられるか、全く見えない世界ですね」

 

森口豁さん

 

「若い学徒兵含めて、あの時代の軍隊にとられた若者たちが、この石垣島みたいなところで、空襲にあったり、敵兵の処刑があったり、人と人との殺し合いを初めて体験しているわけよね。初めに兵隊にとられる時だとか、石垣島の海軍に兵士として送り込まれるときは、敵の顔も見えないし、絶対日本は勝つんだって、それを信じて来ているわけじゃない。それが一年くらいの駐屯の間に、暗雲が垂れ込めて・・・」

「戦争っていうのは突然始まらない。国家権力っていうのは、もう何年も前から一つ、一つ法律を作っていって。法律ができて、初めて戦争ができる国になるわけでしょ。常に仮想敵国が示されて。そういう日常の中で、どんどん国の姿が変わっていく法律が出来ていることに気付かないと、ある日突然っていうことになる。その人にとっては突然なんだけど、5年も10年も前から布石が打たれているんだよね。そういうことを学ばないと、戦争反対とか反戦だとか口先だけで言っても、戦争は止められない」

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この記事を書いたひと

大村由紀子

RKB毎日放送 ディレクター 1989年入社 司法、戦争等をテーマにしたドキュメンタリーを制作。2021年「永遠の平和を あるBC級戦犯の遺書」(テレビ・ラジオ)で石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞奨励賞、平和・協同ジャーナリスト基金賞審査委員特別賞、放送文化基金賞優秀賞、独・ワールドメディアフェスティバル銀賞など受賞。

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