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習近平主席がヨーロッパ3国を訪問~東欧に映るウクライナ戦争への思惑

飯田和郎

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中国の習近平主席がヨーロッパを訪問している。新型コロナウイルス禍の前以来、実に5年ぶりとなった習主席の欧州歴訪は、フランスと東欧のセルビア、ハンガリー。なぜこの3国だったのか? 東アジア情勢に詳しい、飯田和郎・元RKB解説委員長が5月9日に出演したRKBラジオ『田畑竜介 Grooooow Up』で解説した。

西側諸国で中国とは特別な関係のフランス

習主席は5月10日までフランス、それにセルビア、ハンガリーを回っている。5年ぶりの欧州訪問ということもあり、練りに練った外遊に感じる。なぜ、この3つの国なのかを考えたい。先週のこのコーナーで「中国は節目を大切にする」と話した。今回の訪問先選びにも、それが生きている。

フランスは、伝統的に独自の外交を展開してきた。フランスと中国は今年、国交樹立60周年。中国とアメリカの国交正常化は今年45年、日本とは今年52年。日米が台湾にある中華民国を承認していた時代から、フランスは台湾ではなく、現在の中国を承認していた。西側といわれる国の中で、中国と最初に国交を結んだ国がフランスだ。

フランスはアメリカとは協調しつつも、一方で一線を画す。また「大国同士の外交」という意味では、フランスも中国も共に、国連安保理の常任理事国に名を連ねている。中国はアメリカとの難しい関係を視野に入れながら、フランスを選んだということだ。

中国経済とも関係が深いセルビア

フランスには今月、岸田首相も訪れている。岸田首相とマクロン大統領の首脳会談が現地時間の2日、習近平主席との首脳会談が直後の6日。岸田首相はその後、大西洋を越えてブラジル、パラグアイへ渡ったが、習主席はフランスの次に、セルビアを訪問している。

セルビア、ハンガリーは共に、中国と良好な関係を築いている。どちらも、中国が提唱する広域経済圏構想「一帯一路」に加わり、ヨーロッパにおいて「一帯一路」のキーになる国だ。

セルビアに、スメデレヴォという都市がある。ここには100年以上の歴史を持つ製鉄所があるが、この製鉄所は国際競争力が弱く、近年、倒産の危機にあった。それが、今から8年前、中国の国営企業が多額の投資をし、また技術支援によって立ち直った。現在はこの中国企業の傘下にある。これは「一帯一路」プロジェクトの一環だ。投資も中国政府の指示によるものだろう。ハンガリー国内を走る高速道路の建設も、中国企業が請け負った。これはヨーロッパでは最初のケースだった。

ハンガリーはヨーロッパ戦略の「入り口」

習近平主席の最後の訪問国はハンガリー。ここも中国との関係が緊密だ。ハンガリーもほかの東欧諸国同様、旧ソ連の衛星国から生まれ変わり、自由という価値観を取り戻した国だが、現在の指導者、オルバン首相は長期政権を続けるともに、強権的な手法を隠さない。ある意味、習近平氏と似た指導者といえる。

やはり、ハンガリーでも「一帯一路」プロジェクトが進み、中央ヨーロッパ、東ヨーロッパにおいて、中国企業が最も投資している国がこのハンガリーだ。中国のヨーロッパ戦略の「入り口」という表現をしてもよい。

この3か国の中で、習近平主席の訪問先として、メディアのもっとも注目度が高いのはフランスのように思える。マクロン大統領との首脳会談、それにEU(欧州連合)のフォンデアライエン欧州委員長を交えての三者会談の報道が目についた。そんな中で、私はフランスではなく、セルビア、ハンガリーへの訪問が気になった。

セルビアの人口は680万人。ハンガリーの人口は960万人。フランスに比べて、国力は圧倒的に小さな国だが、なぜ、この二つの国へ習主席は行ったのか。経済関係も大切だが、一方で、ウクライナとロシアの戦争の影がくっきり浮かび上がる。

セルビアの惨事から25年の節目

まずセルビアについて話したい。バルカン半島に、かつてユーゴスラビアという国が存在した。セルビアを含む連邦体としてユーゴは構成されていたが、解体された。民族、宗教が異なり、モザイク国家と呼ばれたユーゴスラビアが解体された原因こそ、この民族、宗教紛争だった。

現在のセルビアの形になったのは2006年。首都はユーゴ時代からベオグラードだ。ユーゴ紛争当時の1999年、NATO(北大西洋条約機構)の主力であるアメリカの戦闘機がベオグラードにあった中国大使館を誤って爆撃するという事件が起きた。建物は破壊され、中にいた中国の国営通信社の記者3人が犠牲になっている。

大使館の敷地の中の主権は中国だ。誤った爆撃だったとしても、中国からしたら、重大な主権侵害にあたる。

当時、私は新聞社の北京特派員だった。仕事場から近い、北京のアメリカ大使館には連日、大勢のデモ隊が押しかけ、大使館に向かって投石が続いたのを取材した。当局が主導する官製デモだが、参加者の目は真から怒りに燃えていたのを、記憶している。北京だけではなく、中国各地のアメリカの領事館、また世界各地にアメリカ大使館へ中国系住民がデモを繰り返した。

冒頭「中国共産党は節目を大切にする」と紹介したが、このベオグラードの中国大使館誤爆事件が起きたのが1999年5月7日。つまり、事件からちょうど25年が経つ節目の今年5月7日に、習近平氏はフランスからベオグラードに入った。

周到に準備をしたのだろう。中国側が希望し、中国と良好な関係を維持するセルビア側もお膳立てしたはずだ。このことから気になるのが、中国のウクライナ危機へのスタンスだ。今から2年前の5月6日、ベオグラードの中国大使館誤爆事件の「あの日」がまた巡ってきたタイミングで、中国外務省のスポークスマンは、こう言っている。

「中国人民は1999年5月9日を永遠に忘れない。NATOによるこの野蛮な暴挙を永遠に忘れない」

「中華民族が受けた屈辱を、心に刻み続ける」という宣言だ。この発言のあと、このスポークスマンは続けてこう述べている。

「NATOは、主権国家に対して戦争を仕掛け、平和を損ない、多くの無辜の市民を死に至らしめてきた。そして、冷戦終結以降、5回も東へ東へと拡大をした。これは、ヨーロッパをより安全にするどころか、ロシアとウクライナの紛争の種を蒔き、ヨーロッパ大陸における新たな戦争につながっている」

中国外務省はユーゴでの紛争とウクライナ危機を重ね合わせている。この発言は、ロシアによるウクライナ侵攻が始まって2か月あまり経過したころだ。つまり、「アメリカを中心としたNATOという組織が膨らみ、ユーゴ紛争、ひいてはウクライナ戦争に至った」という論理だ。

もちろん、ウクライナで起きている戦争について、中国は現在も、ロシアと同一歩調を取っているわけではない。だが、ウクライナ侵攻を、NATOのせいにする、というのはロシアのプーチン大統領と同じだ。ウクライナ戦争を機に、アメリカ、そしてアメリカが主導するNATOを非難する材料にしている。

中国と似通った立場にあるNATO加盟国

そのセルビアはNATOには加盟していない。一方で、習近平主席のその次の訪問先、ハンガリーはNATOに加盟している。

「中国が大切にする節目」の話に戻れば、ハンガリーと中国は今年、国交樹立75周年。今年は共産党による中華人民共和国誕生75周年。つまり、ハンガリーは現在の中国が生まれると即座に、国交を樹立した「古くからの友人」であるわけだ。ハンガリーには、世界最大の電気自動車(EV)メーカーBYD(比亜迪)など中国企業が多数、進出している。

ウクライナとの関係でいえば、ハンガリーはウクライナと国境を接している。国境に近いウクライナ西部には、ハンガリー語を日常的に話すハンガリー系の住民が多数住んでいる。ハンガリーのオルバン首相の専制的な手法を支えているのが、民族主義だ。ウクライナ西部のハンガリー系住民に自治権を持たせるよう主張してきた。それは現在のウクライナ政権の考えと対立する。オルバン首相はウクライナ危機を利用しながら、民族意識の高揚、自らの求心力を高まることを目指しているように見える。

なにより、ハンガリーはNATO加盟国でありながら、NATOがウクライナへ武器を提供することに反対している。述べてきたように、NATO、それにウクライナというテーマにおいて、ハンガリーは中国とある意味、似通った立場にあると言ってもいいかもしれない。

セルビアにしてもハンガリーにしても、中国は歴史的な結びつき、経済的な結びつきが強い。それをテコに、2国間の関係にとどまらず、ヨーロッパへの浸透を図る。そして、そこにはウクライナ紛争へのスタンス、そしてロシアやNATOへのスタンスも、中国は計算に入れている。

中国は、アメリカとの関係が順調にいくとは考えていない。ロシアとは同床異夢だが、習近平主席がいま、ヨーロッパで行っている外遊は、結果として、ロシアを利すことになり、アメリカを揺さぶることになっているのではないか。私にはそうみえる。

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この記事を書いたひと

飯田和郎

1960年生まれ。毎日新聞社で記者生活をスタートし佐賀、福岡両県での勤務を経て外信部へ。北京に計2回7年間、台北に3年間、特派員として駐在した。RKB毎日放送移籍後は報道局長、解説委員長などを歴任した。