5月20日、台湾の新しい総統に、頼清徳氏が就任した。東アジア情勢に詳しい、飯田和郎・元RKB解説委員長が5月23日に出演した『田畑竜介 Grooooow Up』で、就任式典、就任演説から読み取れる新政権の行方、とりわけ日本との今後の関係を占った。
「自分たちは中国共産党政権とは違う」示した就任演説
台湾に存在する中華民国の第16代総統になった頼清徳氏は64歳。もともと医師だった頼氏は、政界に転じて日本の国会議員に相当する立法委員、台湾南部の台南市長、さらに日本の総理大臣に相当する行政院長を務めた。前任の総統、蔡英文氏のもとでは8年間副総統を務め、台湾総統になった。着実にキャリアアップし、最高指導者に上り詰めたといえる。
蔡英文氏の2期と合わせて、台湾で初めて民進党が3期連続で総統の座を維持することになる。民進党といえば、中国と距離を置く政策を取ってきた。それだけに新総統の就任で注目を集めたのが、就任演説だった。
中国サイドは、頼清徳氏が当選して以来、さまざまな圧力をかけてきた。頼清徳氏が前任の蔡英文氏と比べ、中国との距離を広げ、台湾の独自カラーをさらに打ち出すと警戒してきたためだ。圧力の目的の一つが就任演説で、これ以上台湾の自主路線を宣言するようなことがないように、意図したものだった。その注目の就任演説のポイントをピックアップしよう。
「我々は世界に向けて宣言する。民主と自由。それは揺らぐことなく、台湾が堅持するものである、と」
「中華民国と中華人民共和国は互いに隷属しない」
頼清徳氏は、日本やアメリカの不信を招かないようにという配慮から、中国を過度に刺激する表現は避け、「現状を維持する」と強調した。この「民主と自由」、国際社会は今の中国に欠けているという認識だ。そして、「互いに隷属しない」というのは、中国大陸も、台湾もどちらも「一つの中国」に属する、という北京側の原則は受け入れない、という宣言だ。文言以上に、「自分たちは中国共産党政権とは違う」と強い姿勢を示したと言えるのではないか。
ところで、この演説の中では、日本という国の名前は出なかった。ただ、日本の政府、日本人、そして国際社会から共感を得ようというメッセージはちりばめられていた。中国から受ける圧力を強調し、先ほど紹介した「民主」「自由」という価値観こそ、台湾は日米と共有できる、といった自負だろう。
安倍元首相の言葉を引用したことに中国が猛反発
中国はこんな見方をしている。「頼清徳は日本に頼り、一方の日本はその台湾を操っている」と。ここが、今後の中台関係、日中関係のポイントになる。
中国が「新総統と日本が連携、連動している」と見ている理由は大きく分けて二つある。一つは日本の台湾統治(=台湾支配)が終わって来年で80年になろうとしているのに、根強い日本と台湾の関係に対し、中国が抱くジレンマだ。そして、もう一つは、頼清徳氏個人の経歴に由来している。その二つが絡み合っている。そのことに、中国の警戒、苛立ちが募っているように思える。
総統就任前の5月8日、頼清徳氏は公の場で「日本とは経済や安全保障の分野で関係強化を期待している」と語り、「台湾有事は日本有事。日本有事は台湾有事」とも述べている。この言葉は安倍晋三元首相が生前、発言したもので、それをわざわざ引用したのだ。
しかも、頼清徳氏がどこで述べたかということも中国の怒りを買うようだ。戦前の台湾でダム建設に尽力した日本人技師、八田與一の慰霊祭が台南市であり、頼清徳氏も出席した。このダムの完成によって、一帯は豊かな穀倉地帯になった。ダムは日本人技師のおかげ――。台湾の多くの人は感謝している。
だが、中国からすれば、日本という支配者の時代の出来事だ。中国サイドからすれば、同じ中国人である台湾の人たちが、いまだに統治時代に感謝していることは容認できない。しかも、ダムを造った日本人技師の慰霊祭が今も開かれ、総統になる人物がそれに出席し、その場で「台湾有事は日本有事。日本有事は台湾有事だ」と言う。だから、許せない――と。
中国は早速、この頼清徳氏の言動を猛烈に非難している。中国の国営メディアに14日、こんな論評が掲載されていた。
「頼清徳が言い回っていることは、日本に媚びへつらい、日本を後ろ盾とし、中国に抵抗するため、日本と手を結ぼうという、この男の考え方を表している」
もう一つ。これは、日本が台湾統治した時代を説明したうえの論評だ。
「今日、台湾の政治家の中には、この時代の歴史を忘れ、腑抜けとなっている。歴史を忘れることは裏切りを意味する。日本の植民地支配によって、抑圧され、流れた台湾の血と涙の歴史が、頼清徳をはじめ、一部の台湾独立分子によって忘れ去られてしまったのだ。忘れたばかりか、泥棒を父親と認め、日本に媚びて日本というオオカミと結託して協力し合う。恥知らずとはまさにこのことである」
「台湾を搾取した泥棒、つまり日本を父親のように尊重・尊敬する」と、激しい表現が並ぶ。
台湾総統府は日本の統治時代の建造物
就任式典は、台北中心部の台湾総統府の前の広場で行われた。この台湾総統府は、先ほど紹介した台南のダムと同様、日本の台湾支配時代の台湾総督府の建物をそのまま使っている。台湾観光の名所の一つにもなっている。
かつての台湾総督府は、日清戦争後、当時の清国から割譲された台湾を統治するため、設置された日本の出先官庁だ。庁舎は1919年(=大正8年)に完成した。この庁舎は、吹き抜けの中庭が二つあり、その二つの庭の間には廊下がある。上からみると、庁舎は「日」の文字になっている。これは日本国の「日」。しかも、庁舎正面が向き合う方向は、はるか海を隔てた東京の皇居。頼清徳総統もここで執務をする。
日本の台湾統治の中心が、今も台湾政治の中心。台湾には日本の影が色濃い――。中国は、そのように受け取る。
頼氏の「日本との距離の近さ」を警戒する中国
先ほど、中国が「新総統と日本が連携、連動している」とみているもう一つの理由として、頼清徳氏個人の経歴や考え方に対しても、日本との距離の近さがある、と説明した。
頼清徳氏は台南市長時代に、日本の地方自治体との交流を積極的に進めた。2016年の熊本地震発生後は、被災地を訪問し、義援金を届けた。また、2022年には、銃撃され死去した安倍晋三氏の葬儀に参列するため、日本へ来た。現職の副総統としては異例の訪問だ。
これらも、中国からすれば、「日本の媚びへつらい、日本を後ろ盾にしようとする」行為に見えるわけだ。そして、一方の日本側もその台湾との連携強化に動いている、と警戒する。
就任式があった20日、中国の呉江浩駐日大使が、中国の分裂に日本が加担すれば「日本の民衆が火の中に引きずり込まれる」と発言した。総統就任式典に、日本の国会議員が多数出席したことに対しての警告だ。日本政府は「極めて不適切だ」と中国側に抗議したが、「台湾問題に関与するな」という中国の苛立ちがよくわかる。
一方で、台湾海峡の緊張、さらに東シナ海、南シナ海で、中国の海洋進出が続く今日、日本とアメリカ、それに関係国を加えた安全保障上の連携が広がる。そして、その連携の輪の中に、非公式な形で台湾も含まれていく。
日本との関係強化を目指す頼清徳新総統の誕生は、日本と中国の関係において、新たな要素をもたらしたのは、間違いない。
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この記事を書いたひと
飯田和郎
1960年生まれ。毎日新聞社で記者生活をスタートし佐賀、福岡両県での勤務を経て外信部へ。北京に計2回7年間、台北に3年間、特派員として駐在した。RKB毎日放送移籍後は報道局長、解説委員長などを歴任した。