中国の軍用機が日本の領空を侵犯をしたという事件。中国がいくつか、言葉の反撃に出てきている。そして、それらに共通しているのは、「過去の歴史問題」だ。東アジア情勢に詳しい、飯田和郎・元RKB解説委員長は9月5日に出演したRKBラジオ『田畑竜介 Grooooow Up』で、「日本政府からの抗議に対し、歴史問題を持ち出して、打って出た形だ」とコメントした。
国防省の記者会見で国営メディア記者が“質問”
中国軍の情報収集用航空機が8月26日、長崎県の男女群島沖で日本の領空を侵犯し、自衛隊の戦闘機がスクランブル=緊急発進をかけた。中国軍機による侵犯は初めてだった。
中国側の反応はというと、その直後に訪中した日本の日中友好議員連盟のメンバーに対し、中国の国会議長は「意図的ではなかった」と説明した。同じ29日に、中国国防省の月例会見があった。侵犯について質問を受けたスポークスマンはこう答えている。
「中国はこれまで、常に各国の主権を尊重してきた。過度に解釈しないよう望む」
記者会見というオープンの場では、領空侵犯の事実関係を「確認しない」「認めない」、そして「謝らない」――ということだろう。ここまでは想定したとおりだ。
ただ、私の想定を超えた動きが出始めている。「過去の歴史問題」をカードにした中国側の“反撃”だ。同じ、この日の国防省の記者会見で、中国の国営メディアの記者から、こんな質問が出た。おそらく、国防省から指示されて、行った質問だろう。
「かつて日本軍の731部隊に所属した元隊員が先日、部隊による犯罪を確かめ、謝罪するため、731部隊の資料展示館や、部隊の跡地を訪れました。731部隊の行為に関連する作業の進捗状況を説明してください」
旧日本軍の第731部隊とは、実戦で使うことを目的に、細菌兵器=毒ガスの研究・開発を進めた部隊。中国人の捕虜たちに人体実験をしたといわれる。
731部隊資料展示館は、旧満州、現在の中国東北部・黒竜江省のハルピンにある。旧日本軍が遺した細菌研究の医学的な資料や、人体実験の道具などが展示されている。731部隊の少年隊員だった94歳の日本人男性が8月、この資料館を訪れていた。
化学兵器の開発・生産・貯蔵・使用を禁止する取り決めに化学兵器禁止条約がある。この条約によって、日本政府は旧日本軍が中国に遺した化学兵器を廃棄する義務がある。日本は中国国内に施設を造って処理作業を進めるが、かなりの年数がかかる。会見で質問した記者が言った「731部隊の行為に関連する作業」とは、この毒ガスの処理作業を指す。
中国大陸に捨てられた、毒ガス兵器は40万発分以上残っているとされ、戦後も住民に被害が出ている。これは現実に起きている事実ではある。中国メディアの質問に、国防省のスポークスマンはこうも述べている。
「日本が遺棄した化学兵器は、日本軍国主義が中国侵略によって、引き起こされた重大な歴史的懸案であり、現実的な問題です。第2次大戦中、中国を侵略した日本軍は、中国人民に対し凶悪な細菌戦を仕掛けました。おびただしい数の軍人・民間人を死傷させ、人道に反する重大な罪を犯しました」
「遺棄化学兵器の撤去は、日本が避けることのできない歴史的、政治的、法的責任です。日本側は過去の歴史に正面から向き合い、心から謝罪し、国際条約や二国間覚書に基づく義務を真摯に果たさなくてはなりません」
「日本は、遺棄化学兵器の処理プロセスを加速させるため、あらゆる努力をすること。そして汚染のないきれいな土地を、一日も早く中国人民に返すことを求めます」
元731部隊の隊員だった日本人の資料館訪問も実際にあったこと。ただし、それに合わせ、日本の過去の責任を追及した。だが、中国軍機の領空侵犯が起きた直後に、この遺棄化学兵器問題を持ち出すと、領空侵犯との関連を考えてしまう。
反論に歴史問題を持ち出す中国大使
同じようなケースがもう一つある。こちらは、フィリピンが舞台だ。南シナ海でフィリピンの巡視船と中国の海洋警察局の船による衝突が、繰り返し起きている。ここはフィリピンのEEZ(=排他的経済水域)だが、中国も領有権を主張し、緊張が高まっている。
衝突に対し、フィリピン駐在の日本大使、遠藤和也大使がSNSにこのような投稿をした。
「日本は、力や威圧による、いかなる一方的な現状変更の試みにも反対します。日本は、フィリピンと共に立ち、海洋における法の支配を支持します」。
南シナ海に関する中国の主権・主張は国連海洋法条約の規定に基づいていない、という内容だ。同じ内容は外務省本省も表明している。日本はアメリカ、それにフィリピンなどとともに、安全保障上の連携を強めている。いずれも、中国の海洋進出を念頭に置いたものだ。
中国は、これに反応した。同じフィリピンに駐在する中国の大使が遠藤大使のコメントを「無責任な発言」、また「南シナ海でことが起きると、日本大使はいつもすぐに目立つ発言をし、真実を無視し、中国に対して根拠のない非難をする」と反論している。そして、ここでも歴史問題を取り上げた。
「日本大使は、第二次大戦中、日本がフィリピンを侵略し、マニラを破壊し、10万人以上の民間人を殺害したマニラ大虐殺も忘れているのだろうか」
「『バターン 死の行進』、そして、サンティアゴ要塞の地下室において、日本兵の軍刀の下で、悲劇的な死を遂げた何万もの人々の、浮かばれぬ魂を忘れたのか」
「バターン 死の行進」が起きたのは1942年。フィリピン・ルソン島のバターン半島を占領した日本軍は、疲弊したアメリカ人、フィリピン人の捕虜を徒歩で長距離、移動させた。途中、日本兵による捕虜への暴行もあった。このため多数の死傷者が出た=死の行進=ことを指す。
サンティアゴ要塞は、今もマニラ中心部に残る観光名所だ。かつて日本軍が司令部を置いた。数百人の市民をスパイなどの疑いで投獄し拷問を加え、処刑などで多くが亡くなった。
「日本はかつてフィリピンで残虐行為を繰り返した。そのフィリピンのことに口出しするな」――。歴史問題においては、中国国内だけではなく、東南アジアの国も、同じ日本の被害者だ、ということなのだろう。
中国にとっても利益にならない
歴史問題から離れるが、このフィリピン駐在の中国大使は反論の中で、福島第一原発の処理水問題も槍玉に挙げている。「日本はなぜ、人々の命や健康を無視し、太平洋を下水道とするのか? 福島から汚染水を排出することで、近隣諸国の懸念を無視しているのか? 説明してほしい」と。
そして、南シナ海でのフィリピンと中国の摩擦について、「中国が国連海洋法条約の規定に基づいていないというなら、福島第一原発の処理水問題は、海洋法条約に違反している。ダブルスタンダードでしょ」と言うわけだ。
きょうは中国軍機の領空侵犯から、中国が歴史問題を取り上げ、反撃に出てきた、という私の見方を紹介した。かつて日本軍が製造した化学兵器の話。フィリピンへの過去の侵略・残虐行為を持ち出すのは、領空侵犯事件と連動しているように思える。
中国の対日外交を振り返ると、歴史問題は強弱、濃淡はあれ、日本への外交カードであり続けた。我々は過去の歴史から目を背けてはいけないが、あまり関係のないテーマで、持ち出されると、日本人の対中感情はどのようになるか。中国にとっても利益にならないのではないか。
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この記事を書いたひと
飯田和郎
1960年生まれ。毎日新聞社で記者生活をスタートし佐賀、福岡両県での勤務を経て外信部へ。北京に計2回7年間、台北に3年間、特派員として駐在した。RKB毎日放送移籍後は報道局長、解説委員長などを歴任した。