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深圳の日本人児童殺害事件で“ズレる釈明”日本と中国で広がる感情の溝

飯田和郎

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中国・深圳で9月18日、日本人児童が殺害されるという事件が起きた。犯人の動機など、今もわからないことがたくさんある。東アジア情勢に詳しい、飯田和郎・元RKB解説委員長が9月26日、RKBラジオ『田畑竜介 Grooooow Up』に出演し、記者会見での中国外務省の対応について「日本の人々の感性に思いが至ってない」と批判した。

怒りを増幅させているような中国外務省の応答

中国・深圳の街並み

まずは事件を振り返ろう。9月18日朝、深圳の日本人学校からすぐ近くの路上で、親と一緒に歩いて登校していた10歳の男の子が、刃物を持った男性に突然、襲われた。男児は腹部を刺され、病院に運ばれたが、翌19日未明に死亡した。

44歳の犯人の男は現場近くで拘束された。過去に2回、警察に拘束された前歴があるという。中国で暮らす日本人コミュニティ、そして日本国内においても、大きな恐怖、怒りが渦巻いている。

「大きな怒りの渦」。それは事件そのものに対する怒りであると同時に、犯人の男の動機がわからない、それを中国当局が発表しないことに対する怒りもある。とくに中国外務省の記者会見のスポークスマンの応答によって、日本人の怒りを増幅させているように、私は思えてならない。

ホームページに掲載された会見内容を再現

中国外務省の記者会見は基本的に、平日は毎日、北京で開かれている。日本人を含む外国人特派員も、だれもが出席できるし、自由に質問もできる。この質疑応答は中国外務省のホームページに、中国語でアップされる。ただし、中国にとって都合の悪い話、紹介したくない質疑は、記者会見で実際にやりとりがあっても、ホームページには載せないことが多い。

だが、今回の深圳での事件は、児童が襲われた当日18日以降、外務省会見での突っ込んだ質問、スポークスマンの応答が連日、ホームページにかなり詳しく掲載されている。児童が死亡した翌日、9月20日の場面を再現しよう。米国通信社の記者が質問した。

「容疑者が身柄拘束されて2日が経っている。動機について何か説明できることはありませんか?」

スポークスマンはこう答えた。

「私の知る限り、関係部門が捜査を継続しています。具体的な情報については、関係当局に尋ねてほしい」

中国の外務省は本当に知らないのだろうか? 今年6月には江蘇省蘇州で、やはり日本人学校の児童とその母親が男に刃物で切りつけられる事件も起きている。3か月が過ぎたが、依然、犯人の動機がわからない。

記者会見で日本経済新聞の記者が、その蘇州の事件も指しながら、質問している。

「6月から捜査はどう進んでいますか。中国に住む日本人は深圳と蘇州、この二つの事件をとても心配している。中国はこの二つの事件の捜査が終了したら、犯人の動機や背景、事件の詳しい内容を公表するつもりはありますか?」

NHKの記者もこう迫った。

「犯人は、日本人を標的にしたのか? 外務省はどう考えているのですか?」。

これらの質問に、スポークスマンはこう答えた。

「日本側、そして、中国で暮らす日本人の懸念を、私は理解できます。説明できるのは、容疑者がすでに拘留されていること。犯行動機はどこにあるのか。詳しい捜査によって解明される。私は情報を持ち得ていないのです」

日本人だから狙ったのかどうか。6月の蘇州の事件も、今回の深圳の事件でも、中国側はいずれも容疑者は社会に不満を抱いていたり、犯罪の前歴があったりしたことを挙げ、「個別の事件だ」「偶発的事件だ」と説明した。「偶発的な個別の事案」と位置づけて、「日本人を狙った事件ではない」と火消しに回っている。

日中間の距離を広げるような発言

しかし、同じ20日の記者会見では、さきほどの米国の通信社記者は、その点を突いて、厳しい質問を続ける。

「犯行動機がつかめていないのなら、どうして『個別の事件』と断定できるのか? スポークスマン、あなたは『動機はわからない』と言いながら、一方で我々に『個別の事件だ』と説明した。これって、矛盾していないだろうか?」。

スポークスマンは苦しい答弁をせざるを得ない。

「『個別の事件』であるかどうかを判断するには、ほかにも多くの要因が関係しています。現在の情報から判断すると、これは『個別の事件』です。ただし、詳細は捜査結果を待つ必要があります」

私が驚くのは、このような質疑を外務省のホームページに載せたことだ。突っ込んだ質問、片や、答えになっていないような、スポークスマンの応答も掲載している。冒頭に紹介したように、これまで、知られたくない、また自分たちに都合の悪い質疑はホームページ上から外してきた。

ただ、深圳での日本人児童殺害事件は、日本をはじめ国際社会に、大きな影響が出ている。情報を伏せると、中国の閉鎖性が批判されるという警戒があるからではないか。だが、スポークスマンの発言が、日本社会で別の怒りを呼び起こしているようにもみえる。

児童が死亡した19日の記者会見に戻ろう。スポークスマンはこんなことを言っている。

「同じような事案はどの国でも起こり得ます」

「我々は、日本を含む各国の方々が観光、研究、ビジネスで中国に訪れ、また中国に居住することをいつも歓迎しています」

小さな子供が犠牲になった凶悪事件。火消しを急ぐあまり、「中国は安全ですよ」と強調するが、仮に不幸にも逆の事案、つまり「日本国内で外国人が日本人に殺害される」ケースが起きた場合、日本では「同じような事案はどの国でも起こる」なんて、絶対に言わない。「それは言い訳か」「『安全だから歓迎します』なんて今言うか!」との受け止めが普通だろう。

記者会見のやりとりを公開するのは結構だが、我が子を失った両親、同情を寄せる日本の人々の感性に思いが至ってない。このような発言も、日中間の距離を広げていないだろうか。

ただ、「罪を憎む」「罪を起こした、犯人を憎む」ことは当然としても、私は「中国人全体を『憎む』ということは、やってはいけない」と申し上げたい。

亡くなった男の子の両親は、それぞれ日本人、中国人だと公表されている。彼は日本人のアイデンティティと中国人のアイデンティティの両方を持つはずだ。想像してみたい。この子が日本人と中国人の二つの血を、身体に宿しながら、成長していったとしたら、この難しい二つの国の間で、どんな役割を果たしてくれたか――。そう考えると、本当に残念な事件だ。

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この記事を書いたひと

飯田和郎

1960年生まれ。毎日新聞社で記者生活をスタートし佐賀、福岡両県での勤務を経て外信部へ。北京に計2回7年間、台北に3年間、特派員として駐在した。RKB毎日放送移籍後は報道局長、解説委員長などを歴任した。