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野球部内で部員が別の部員に暴行を加えていたことが発覚した広陵高校が、夏の全国高校野球大会の出場を途中辞退しました。8月13日にRKBラジオ『田畑竜介 Grooooow Up』に出演した、スポーツ文化評論家の玉木正之さんはこの問題について、根底にある高野連の認識不足や教育方針の課題を指摘しました。
イチロー氏が語った「地獄」の高校時代
高校野球の暴力問題の根深さを示す一例として、週刊新潮に掲載されたイチローさんの高校時代の証言を紹介します。イチローさんはアメリカ野球殿堂入りの前日の記者会見の中で、高校時代を「これ以上ない地獄だった」と振り返ったと語っています。
具体的には、4年後輩の元野球部員が明かしたところによると、グラウンドにボールが1、2個落ちていただけで、深夜に下級生全員が呼び出され「鉄拳制裁」を受けたそうです。さらに「伝統」とされたのは「ゴミ箱正座」で、鉄製のゴミ箱の上に正座をさせられ、先輩の機嫌が悪い時には深夜まで延々と続けられ、膝から血が滴り落ちるほどの暴力行為があったと語られています。
当時の監督は、イチローさんが入部した際に、彼を守るために「ボディーガードをつけた」とコメントしていますが、私は監督であればボディーガードをつける以前に、部内のことをきちんと指導し、教育すべきだったと考えています。
高野連の「処分」ではなく「指導」の必要性
広陵高校の事件後、私はマスコミからたくさん取材を受けました。その時に、取材をしている人が異口同音に「今回の処分が正しいでしょうか」と尋ねてくることに、ものすごく違和感を覚えました。
私は「処分なんてありえない」と考えています。高校がすべきは「指導」です。この暴力をなくすために「どうしたらいいのか」という指導こそが必要であり、その指導を一番しなきゃいけないのは、主催者の高野連です。暴力事件が「延々と続いている」ということは、高野連の指導が「失敗してきた」ということを認めなければならないですよね。
そもそも、週刊新潮にイチローさんの証言のような記事が出たところで、高野連は反応しません。もし内容がでっちあげだったら「けしからんじゃないか」と言わなければいけないし、それが事実だったら「こんなことがあったのかと過去にこういうことがあったのを直さないといけない」ということを言わないといけないでしょう。
文部科学大臣も「暴力はやめましょう」と呼びかけていますが、そんなことで通るのかと私は思います。スポーツの本質を理解した指導こそが必要です。
スポーツは「反暴力」から生まれた文化
私はこの番組でも何度も喋っていますが、「スポーツは反暴力から生まれた、そういう暴力反対から生まれた文化である」という考え方です。
「暴力を振るえば、自分たちのやっている野球を否定することになる」という本質的な認識が、私はこれまで高野連から聞いたことがありません。
高野連は処分を下すことはあっても、「未来への指針や教育方針というものをきちんと打ち出した」のは聞いたことがありません。要するに処分なんていう言葉を、全部高校生に対して使うべきではないと私は強く思います。
私は、高野連が掲げる「三つのF」、すなわち「フレンドシップ」「フェアプレー」そして「ファイティングスピリット」についても疑問に思っています。特に「ファイティングスピリット」についてですが、ボクシングなんかでもレフェリーのかけ声は「ボックス」であって、「ファイト」とは言いませんよね。
このファイティングスピリットという言葉が本当に正しいのか、私は問いかけたい。大谷選手のホームランを見ていて、あれはファイティングスピリットから生まれたものなのか、とも疑問に思います。
だから、高野連自体が、考え方を根本的に見直してほしいと思っています。スポーツとは何か。要するに、暴力の中から(民主主義社会の中から)生まれた、暴力反対の文化であると、これをね、やっぱり高校生に言わないと駄目ですよ。
ただ「殴っちゃいけないよ、暴力はいけないよ」と言うだけでは通じません。「5発は駄目だけど、1発や2発は構わないだろう」と思っている人はまだいるみたいですからね、私はその現状を憂いています。
誤訳された「健全な精神は健全な肉体に宿る」
高野連のホームページを見てみたら、戦後すぐに野球が復活した時に、「健全な精神は健全な肉体に宿る」という理念のもとに、みんなで野球をやりましょうとか書いてあるんですよ。
ところが、私の考えでは、この「健全な精神は健全な肉体に宿る」という言葉は「翻訳の間違い」です。そもそも、今そんなこと言ったら叱られますよ。私も怒ります。「そんな言い方ないだろう」と。
健全な精神は健全な肉体と関係なく、やっぱり磨かなければいけないし、健全な肉体が欲しいならば「自由で健康的な肉体」と言うべきだと私は考えます。
そのあたりの高野連の認識が「鈍すぎる」。だから暴力事件が何度も何度も続くんです。その学校の監督とか部長さんが、本当に暴力はいけないという理由がわかっているのかどうかも疑問です。
要するに「暴力はいけないんだけれども、スポーツならばもっといけないんだと、自分たちのやるスポーツを否定することになるんだ」ということを、もう一度勉強し直してほしいと思います。
転校選手の出場禁止ルールが示す高野連の課題
今回、広陵高校で被害を受けた人は既に転校したらしいんですが、転校したら「1年間は出場禁止」なんですよ。これ、高野連のルールで決まっています。なぜだと思いますか?
もし他校に移ってすぐに出られるようにすれば、系列校が選手のやり取りをするというんです。要するに、余っている選手を系列の学校にわざと出して、まるでプロがトレードされるような感じですよね。
こんなルールを決めている高野連が、暴力はなぜいけないかということすら喋れないということ、それに方針の中にファイティングスピリットを入れているということを、やっぱりもう一度考え直してほしいと強く訴えたいです。
スポーツ界全体への提言
私自身もかつて高校野球の取材をしていましたが、暴力の現場は何度も見ました。監督が選手を殴っているところを、朝日新聞の記者と一緒に見たこともあります。そういう経験を経て、やはり私自身も反省して、「どこが悪かったのか、なぜ暴力が起こるのか」ということを考えた結果、「スポーツが反暴力の文化であるということが行き渡っていない」というところに私は行き着きました。
今回の事件でつくづくそれ(暴力問題)を思いました。イチローさんのこのコメントからずっともう考え続けて、「もうちょっとこれは私の一生の仕事になるのかな」と思うぐらいですね。これからも機会があったら喋っていきたいと思います。最後に、私は高野連自体に「健全な精神が宿るために体質改善が必要」だと強く感じています。
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