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台湾前総統が訪日「ニュースにならないニュース」から見える日台関係の今

飯田和郎

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台湾の前総統、蔡英文氏の日本訪問が「ニュースにならなくなった」―――。9月15日放送のRKBラジオ『田畑竜介 Grooooow Up』に、東アジア情勢に詳しい元RKB解説委員長で福岡女子大学副理事長の飯田和郎さんが出演し、日本と台湾の外交関係の現在地について解説しました。


 

台湾前総統、24年前とは違う日本訪問

台湾の前総統、蔡英文氏が9月9日から12日までの4日間、日本を訪問しました。退任後初めての訪日でしたが、日本国内では大きく報道されませんでした。これは「ニュースにならなくなったニュース」と言えるでしょう。

24年前、2001年のことです。台湾の総統を退任した李登輝氏が心臓病の治療のために日本へのビザ発給を求めた際、日本政府は当初、中国の反発を恐れて消極的でした。しかし、「人道的措置」を求める世論に押される形でビザを発給し、訪日が実現しました。当時は「なぜ総統経験者の訪日が問題になるのか?」という声も多数ありましたが、当時の日本と台湾、日本と中国の関係は今とは大きく異なっていたのです。

今や、台湾人の日本訪問にビザは不要となり、総統経験者であっても退任後の訪日を問題視する声はほとんど聞かれず、むしろ歓迎するムードが主流です。この24年間で、日本と台湾の関係は大きく発展し、成熟したと言えるでしょう。

「サプライズなし」の穏健政策

蔡英文氏は昨年2024年まで8年間、台湾初の女性総統を務めました。もともと法学者である彼女は、李登輝・元総統時代から政府の仕事に携わり、高く評価されていました。

蔡英文氏が総統を務めた8年間、台湾と中国の関係は穏健でした。中国を刺激しないよう、また台湾の後ろ盾であるアメリカや日本との安定した関係を維持するため、穏やかな対中政策を続けたように見えます。

その背景には、日本の外交官の存在があったかもしれません。2023年末まで3年余り中国大使を務めた垂秀夫氏(現在は立命館大学教授)は、最近上梓した『日中外交秘録――垂秀夫駐中国大使の闘い』(文藝春秋社)の中で、蔡英文氏が2016年に総統に初当選した翌日、秘密裏に面会し、こう伝えたと記しています。

「最も重要なメッセージは『今後、日本と台湾の当局間で、サプライズはなしにしましょう』ということだった。(同じ民進党の総統だった)陳水扁(ちん・すいへん)は独立志向が強く、ブレークスルー(つまり突破)を狙って目新しいことをやろうとする傾向が強かった。

そういうことがある度に中国側の反発を誘発し、逆に具体的な日台関係事務が滞ってしまうことが多かった。そこで今度はサプライズなしで安定した日台関係を構築することが重要だと伝える必要があったのだ」

このアドバイスが、蔡英文氏の穏健な対中政策に影響を与えたのかもしれません。

蔡英文氏が握るカギと中国の反応

垂秀夫氏は、現在の頼清徳総統についても言及しています。

「頼清徳は筋金入りの『台湾独立派』である。アメリカは確実にそう認識しているし、日本政府もそう考えている」

頼総統は3月、中国を「敵対勢力」と明言し、台湾近海での中国の軍事演習は蔡英文政権時代より頻繁に行われ、圧力は強まっています。このような状況下で、退任したとはいえ蔡英文氏が現政権への抑え役としてカギを握る可能性があります。

垂氏は、「『習近平中国』と対峙する台湾にとって、外交・安全保障政策は最重要課題だが、その分野について蔡英文氏の影響力が残ることは間違いない」と分析しています。私も同意見で、蔡英文氏の影響力が残らないと、中台関係が危険水域に入るという懸念も感じています。

今回の蔡英文氏の日本訪問は「プライベート」とされましたが、中国外務省のスポークスマンは「いかなる台湾独立分子が、いかなる名目であれ、中国と国交を持つ国を訪れることに断固反対する」と述べました。

しかし、これは型通りの反対表明に過ぎず、中国は打つ手がないのかもしれません。24年前、李登輝氏の訪日が大騒ぎになったのに対し、今回は「ニュースにならないニュース」となったことこそが、この間の日台関係の発展と成熟を物語っています。

蔡英文氏が「日本びいき」であることを考えれば、彼女はまた日本を訪れるでしょう。そのうち、垂氏のような外交官経験者や日本の政治家とも交流し、意見交換を行う機会も増えるはずです。それこそが、垂氏が本で指摘した「蔡英文氏が残す影響力」の一端なのでしょう。

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この記事を書いたひと

飯田和郎

1960年生まれ。毎日新聞社で記者生活をスタートし佐賀、福岡両県での勤務を経て外信部へ。北京に計2回7年間、台北に3年間、特派員として駐在した。RKB毎日放送移籍後は報道局長、解説委員長などを歴任した。2025年4月から福岡女子大学副理事長を務める。