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映画『731』に見る、歴史上の数字と愛国主義のジレンマ

飯田和郎

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9月22日放送のRKBラジオ『田畑竜介 Grooooow Up』に、東アジア情勢に詳しい、元RKB解説委員長で福岡女子大学副理事長の飯田和郎さんが出演。旧日本軍の731部隊を題材にした中国映画の公開をきっかけに、「数字」にまつわる歴史の記憶と、中国が抱える愛国主義のジレンマについて語りました。

歴史を刻む数字「731」

アメリカで「9・11」といえば2001年の同時多発テロ、中国で「6・4」といえば1989年の天安門事件、台湾で「2・28」といえば軍が民衆を無差別殺戮した1947年の228事件。そして日本では2011年の東日本大震災の「3・11」。このように、私たちは出来事が起きた日付を数字で記憶し、その数字を聞くだけで、悲惨な出来事が脳裏に蘇ることがあります。

ですが、きょう取り上げる「731」は、日付ではありません。旧日本軍の細菌戦部隊の一つ、満州で中国人捕虜らに生体実験を行ったことで知られる731部隊です。作家・森村誠一が1981年に発表したノンフィクション『悪魔の飽食』でその実態が告発され、国内外に大きな衝撃を与えました。

この731部隊を題材にした中国映画『731』が、9月18日から中国全土で公開されました。毎日新聞の報道によると、初日の上映回数は26万回以上にも上り、その関心の高さが伺えます。

反日映画の連続公開が示すもの

習近平主席は今月3日、天安門広場で「抗日戦争勝利80周年」を記念する大規模な式典を開いたばかりです。この映画『731』もまた、この節目に合わせたキャンペーンの一環と見ていいでしょう。

予告編や、中国国内の映画館で盗撮され、違法に流出した映像を見たところ、映画『731』は生体実験の対象となった中国人捕虜の過酷な運命を描いており、残酷なシーンが次々と登場します。

今年は、日本軍が多くの中国人を殺害した「南京事件」を題材にした映画『南京写真館』や、日本軍の貨物船が沈没した際に中国人漁民が、捕虜としてこの貨物船に乗っていたイギリス兵を救出した実話に基づく映画『東極島』など、日本軍による中国市民や捕虜への暴力を描いた作品が次々と公開されています。

これらの映画に共通するのは、「日本の戦争行為を題材にするなら、なにをやってもいい」という、商業主義的な側面です。史実から逸脱し、過度な脚色を加えたエンタメ色が濃い作品も少なくありません。

「日本叩き」のジレンマ

習近平政権は、このような映画を奨励しているのでしょうか? 私は、奨励はしていないと思います。このような映画が公開されれば、日本人の対中感情はさらに悪化します。トランプ政権との関係が不透明な中、習近平政権は対日関係の悪化を望んでいないはずです。

一方で、「日本叩き」を大きく抑制できないのが実情ではないでしょうか。これまで「日本叩き」を利用してきた過去のツケが、今になってマイナスに働いているように感じます。

せめてもの抑制策として、映画の公開日の変更があったようです。当初、映画『731』はタイトルにちなんで7月31日に公開されると予告されていましたが、9月18日に変更されました。この「918」は、満州事変の発端となった柳条湖事件が起きた日であり、中国人にとっては今も「国辱の日」とされています。当局と映画制作者サイドの妥協点が、この9月18日だったのかもしれません。

公開初日に映画を見た人のSNS上のコメントには、「審査でカットされた場面が多くて、シーンがつながっていない」という声が目立ちました。私も映像を見ましたが、確かにストーリーがギクシャクした印象を受けました。

愛国主義という「プラスの財産」と「マイナスの財産」

中国は「愛国主義」を強調するために、今後も歴史問題を言い続けるのでしょうか? 私は、そこに中国の弱点があるように感じます。

習近平政権が最も重視するのは「国家の安全」、つまり共産党の支配体制を脅かす要素を徹底的に排除することです。そのためには、国民を統治する共産党の正統性が揺らいではいけません。

しかし、9月17日に発表された8月の雇用統計によると、16~24歳の失業率は18.9%と、若者の5人に1人に職がない状況です。このような数字一つをとっても、一党独裁の共産党の正統性が揺らぎ、「国家の安全」への不安要素にもなりかねません。

国内に難問が山積し、日本との関係を改善したい。しかし、「共産党の正統性」のためには、歴史問題において日本を利用し続けなければならない。中国は、このようなジレンマの渦中にあるのではないでしょうか。

9月18日の帰宅中のできごと

では、当の中国人たちは「反日」感情を抱いているのでしょうか? 一部を除いて、現実は反対ではないかと感じます。

先日、私は職場からバスで帰宅する途中、中国人家族と乗り合わせました。整理券の使い方がわからず困っていたので教えてあげると、バスの中で会話が弾みました。彼らは浙江省から九州観光に来たそうで、福岡市東区の水族館、マリンワールド海の中道からの帰りだったようです。後で気づいたのですが、その日は9月18日。柳条湖事件が起きた、中国人にとって「国辱の日」でした。

2025年8月に日本を訪れた外国人旅行者は343万人で、そのうち中国人は102万人と、インバウンドの3割を占めています。バスで出会った家族連れのように、「日本が嫌いですか?」「嫌いな日本に遊びに来るのですか?」と問えば、答えは自ずと分かるはずです。

「愛国主義」は、中国共産党にとって、プラスの財産であると同時に、マイナスの財産でもあるのではないでしょうか。中国共産党こそがジレンマの渦の中にあるのです。

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この記事を書いたひと

飯田和郎

1960年生まれ。毎日新聞社で記者生活をスタートし佐賀、福岡両県での勤務を経て外信部へ。北京に計2回7年間、台北に3年間、特派員として駐在した。RKB毎日放送移籍後は報道局長、解説委員長などを歴任した。2025年4月から福岡女子大学副理事長を務める。