東アジア情勢に詳しい、元RKB解説委員長で福岡女子大学副理事長の飯田和郎さんが、10月13日放送のRKBラジオ『田畑竜介 Grooooow Up』に出演し、北朝鮮の朝鮮労働党創立80周年祝賀行事における中朝露3か国の連携強化の演出と、その陰で静かに変化しつつある中国の対北朝鮮政策について分析しました。
派遣要人の「格上げ」に見る北朝鮮重視
10月10日、北朝鮮の首都・平壌で朝鮮労働党創立80周年の軍事パレード祝賀が開催されました。朝鮮労働党は1945年のこの日に誕生し、一党独裁体制を敷く「金王朝」の礎となってきました。
この祝賀行事には、中国から李強首相が派遣されました。中国首相の北朝鮮公式訪問は16年ぶりです。李強首相は中国共産党の序列でナンバー2であり、中国が過去の周年イベントに派遣した要人の序列(2015年の朝鮮労働党創建70周年のときはナンバー5、2018年の北朝鮮建国70周年のときはナンバー3)と比較すると、今回は明確に「北朝鮮重視」を打ち出したと言えます。
また、ロシアはメドベージェフ前大統領を送り込み、10日夜の軍事パレードでは、金正恩総書記を中心に、李強首相とメドベージェフ氏が左右に並び立ちました。これは、9月3日に北京で行われた中国の「抗日戦争勝利80周年記念式典」で、習近平主席を中央に、プーチン大統領と金正恩総書記が並び立った構図と酷似しており、中朝露3か国の蜜月を改めて演出してみせた形です。
「共に戦った英雄」の血筋という共通認識
中朝関係の緊密化は、この1か月で急速に進みました。9月には北京での「抗日戦争勝利80周年記念式典」の後に、6年ぶりとなる習近平主席と金正恩総書記による中朝首脳会談が行われました。
習主席はこの会談で、金総書記の式典出席について「中国と北朝鮮のさらなる友好協力関係を発展させる、そのきっかけを提供しました」と語っています。これは、金総書記の祖父・金日成氏が「抗日パルチザン」であり、習主席の父・習仲勲氏が日中戦争当時の革命拠点指導者だったという、「共に日本と戦った英雄の血を受け継ぐ」という共通認識を、両指導者が確認し合ったと読み解けます。
このトップ同士の確認を受け、北朝鮮の崔善姫外相は、金総書記の訪中に同行した後、同じ9月に再び北京を訪問しました。中国側の招待による4日間の滞在で、李強首相や王毅外相と会談しました。王毅外相が「私たちの責任は、両国の最高指導者が達成した重要な共通認識を徹底することだ」と語ったように、中国首相の16年ぶりの北朝鮮訪問も、このトップ間の共通認識の徹底が目的だったと言えます。
韓国への接近と「くさびを打つ好機」
一方で、中国は韓国との関係改善にも動いています。9月には韓国の趙顕外相が訪中し、王毅外相と会談しました。尹錫悦前政権時代に悪化した日米韓の安全保障協力を巡る対立から、李在明現政権は対中関係の改善を目指しています。
韓国は10月末から自国でAPEC首脳会議を開催し、習近平主席を迎える立場にあります。また、9月末には、韓国政府が中国人団体観光客への入国ビザを8年ぶりに免除するなど、李在明政権の中国への融和的な姿勢が顕著です。これは、お金を落としてくれる中国の団体観光客を呼び込みたいという実利的な側面もあるのでしょう。
中国にとっても、トランプ政権が同盟国の韓国に負担増を求めて圧力をかけている「今」が、米韓の間にくさびを打つ好機と映っているはずです。
しかし、北朝鮮外相への厚遇と、韓国外相への対応を比べれば、中国が北朝鮮をより重視しているのは明らかです。この「格差」を差し引いても、中国が北朝鮮との記念行事を祝い、同時に韓国への接近を仕掛ける一連の事象は、朝鮮半島問題で中国がよりリーダーシップを発揮しようとする思惑を見て取ることができます。
懸念される「非核化」の放棄
ここで気になるのが、中国の首脳や要人がこれまで繰り返し主張してきた「朝鮮半島の非核化」という表現が、このところ言われなくなったことです。
金正恩総書記は9月、「非核化は絶対にあり得ない」「核の盾と剣を絶えず研ぎ、更新しなければならない」と宣言し、北朝鮮の外務次官も国連総会で「我々は核を絶対に放棄しない」と訴えました。核開発をさらに進める姿勢を明確にしています。
かつては北朝鮮の核問題を協議する6か国協議の議長国だった中国が、今や「非核化に向けて役割を果たす」と言わなくなったのは、「核の存在する北朝鮮、核の存在する朝鮮半島」を認めたうえで、周辺環境の安定を目指そうと舵を切ったのではないか、という懸念を抱かせます。
金正恩体制のもとで北朝鮮の核開発が進む中、中国のこの姿勢の変化が、のちの時代に「2025年が転換点だった」とならないか。日本としては、次の総理選びが混沌としている中で、周辺国が仕掛けてくる外交戦を冷静に注視し続ける必要があります。
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この記事を書いたひと

飯田和郎
1960年生まれ。毎日新聞社で記者生活をスタートし佐賀、福岡両県での勤務を経て外信部へ。北京に計2回7年間、台北に3年間、特派員として駐在した。RKB毎日放送移籍後は報道局長、解説委員長などを歴任した。2025年4月から福岡女子大学副理事長を務める。





















