日中関係が急速に冷え込む中、人工繁殖で日本生まれ初のトキ「優優」が先週死んだ。東アジア情勢に詳しい、元RKB解説委員長で福岡女子大学副理事長の飯田和郎さんが、12月1日放送のRKBラジオ『田畑竜介 Grooooow Up』に出演し、このトキの死をきっかけに日中協力と友情の意義について考察した。
交流ストップと冷え込む両国民の感情
現在、日本と中国の関係は重苦しさが続いています。私が在籍する大学でも、中国政府系の組織が日本とのあらゆる交流をストップする措置を取ったため、招聘予定だった中国人研究者の来日が突然中止されました。また、日中のジャーナリストが協力して発行を予定していた刊行物も、中国側からの要請により2号連続でキャンセルされました。
このように、個人の力ではどうしようもない形で学術・文化交流に影響が広がっています。この風潮の中で、日中双方とも相手に抱く感情が損なわれがちです。私自身は、国際関係の講義で学生に「たとえある国家によくない印象を持っても、その国の一般の人たちまで悪い印象で決めつけないようにしよう」と繰り返し伝えています。
日中協力の象徴、トキ「優優」の死
そんな中、先週接したあるニュースから、日中関係について少し視点を変えて考えたいと思います。
「新潟県佐渡市の佐渡トキ保護センターで飼育していたオスのトキ、優優(ユウユウ)が11月24日に死にました。優優は中国から贈られたオスの友友(ヨウヨウ)とメスの洋洋(ヤンヤン)の間に生まれ、26歳でした。優優は日本で初めて、人工繁殖によって誕生した一羽でした」
トキは国の特別天然記念物ですが、一時は絶滅の危機にありました。この危機を日中が協力して脱する最初の第一歩が、この優優でした。優優は、まさに日中協力の象徴と言えます。日中関係がまさに「こんな時だからこそ」、この一羽のトキが遺した意義を考えたいのです。
江沢民主席からの贈り物
話は27年前に遡ります。1998年11月、中国の国家元首として初めて江沢民国家主席が日本を訪問しました。江主席は、天皇陛下(現在の上皇さま)との会見の席上、中国から日本へトキのつがいを贈呈すると表明しました。それが、当時2歳だった友友と洋洋のカップル、すなわち優優の両親です。
当時、江沢民主席は天皇陛下との会見や宮中晩餐会などで日中間の過去の歴史に繰り返し言及し、日本側に反省を強く要求したため、日本国内では大きな反発を招きました。しかし、この政治的なやり取りの後に、翌1999年1月、オスの友友とメスの洋洋のペアが日本へやってきたのです。
当時の日本は人工繁殖が一度も成功しておらず、2003年に最後の日本産トキが死に、国産トキは絶滅していました。この友友と洋洋が日本に来なければ、日本からトキは消えていたわけです。
優優の血が繋いだ朱鷺色の空
友友と洋洋のペアは相性がよかったのでしょう。彼らが日本に来てからわずか4か月後の1999年5月、佐渡トキ保護センターで生まれたのが、日本での人工繁殖第一号の優優でした。
優優の誕生を皮切りに、佐渡ではトキの数を増やし、自然界にトキを放す放鳥も進めました。その結果、現在は600羽近くが野生で暮らしています。優優自身もその後親鳥になり、なんと68羽もの子が巣立っています。佐渡の大空には、朱鷺色(ときいろ)といわれる淡い桃色の羽を広げて舞う、トキの姿が復活したのです。

国境を越える「生命(いのち)の伝承」
トキを日本に贈った中国側にも、対日関係をよくしたいという思惑はもちろんあったでしょう。しかし、トキは中国にしか生息しないパンダと違い、明治時代までは東アジア一帯に広く分布していました。このエリア全体の宝物なのです。国境を越えて、みんなで守り、世代をつなげることができるはずです。
優優の両親は中国から日本にやってきましたが、優優はその両親から日本で生まれ、優優の子孫も日本で生まれ、日本の空を今も舞っています。ルーツが中国のトキの舞う大空には、「日本だ」「中国だ」なんて、狭い感情は存在しません。相手を非難・蔑視するだけでは、なんら生産的なものは生まれません。
日中関係が冷え込む今、日本と中国をつないだ、トキの優優という存在が教えてくれるように、私たちが学ぶことは少なくないように思います。
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この記事を書いたひと

飯田和郎
1960年生まれ。毎日新聞社で記者生活をスタートし佐賀、福岡両県での勤務を経て外信部へ。北京に計2回7年間、台北に3年間、特派員として駐在した。RKB毎日放送移籍後は報道局長、解説委員長などを歴任した。2025年4月から福岡女子大学副理事長を務める。






















