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太平洋戦争開戦から84年…「同じ景色」を繰り返さないために

飯田和郎

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太平洋戦争開戦から84年を迎えた。東アジア情勢に詳しい、元RKB解説委員長で福岡女子大学副理事長の飯田和郎さんが、12月8日放送のRKBラジオ『田畑竜介 Grooooow Up』に出演し、開戦に至った歴史的背景を振り返り、現代の日中関係における世論の煽りと権力の暴走という教訓を繰り返さないためのメディアと私たち市民の役割について論じた。

中国侵略が招いた太平洋戦争

1941年(昭和16年)12月8日、日本はアメリカ海軍の基地があるハワイの真珠湾を奇襲し、同時にイギリスの植民地であったマレー半島も攻撃し、太平洋戦争の火ぶたが切られました。

この戦争は、中国やアジアへ軍隊を進めた日本と、これに反対し中国からの軍隊撤退を要求したアメリカ、イギリスなどとの対立によって起きたものです。太平洋戦争開戦のちょうど10年前、1931年の満州事変に端を発する中国東北部の占領、傀儡国家・満州国の建国、そして1937年の中国との全面戦争を経て、ついに4年後の太平洋戦争へと至りました。

当時、テレビもインターネットもない時代、新聞は世論に大きな影響力を持っていました。「戦争になれば新聞が売れる」と言われ、日中開戦以降、どの新聞も発行部数を伸ばしました。しかし、日本の華々しい戦果は長くは続きませんでした。新聞社の関係者は戦況の悪化を知っていながら、政府・軍部による言論統制のもと、事実と異なる「連戦連勝」といったウソを報道せざるを得ませんでした。

「竹槍事件」が示す権力の暴走

日本軍は南太平洋の島々では撤退に次ぐ撤退、または全滅に追い込まれました。北に目を移すと、アリューシャン列島のアッツ島では日本軍守備隊2500余人が玉砕しました。

敗色が濃厚になっていた1944年(昭和19年)2月23日、報道管制が厳しさを増す中で、ある“とんでもない”記事が東京日日新聞(現在の毎日新聞)の朝刊1面に掲載されました。

「今こそ我々は戦勢の実相を直視しなければならない。戦争は果たして勝っているのか」「敵が飛行機で攻めにくるのに、竹槍をもっては戦い得ないのだ」

この記事は、事実を知っていながらウソを報じてきたメディアが、後悔と葛藤の中で、当時の日本国内で広く行われていた竹槍訓練(アメリカ軍の戦闘機を市民が竹槍で撃退する訓練)を皮肉り、「精神論だけでは勝てない」と軍部を批判したものです。

歌手の美輪明宏さんは、戦時下の少年時代を回顧し、「原爆に竹やり。かなうわけがないでしょ」と語っています。

この記事に、時の総理だった陸軍出身の東条英機は激怒しました。記事を書いた記者はこのとき37歳でしたが、懲罰的に召集令状が届き、二等兵として入隊させられました。この記事が発端となった一連の出来事は、のちに「竹槍事件」と呼ばれます。

この事件は、メディアが世論をかき立て戦争に突き進み、その後、事実を報じられなくなったことへの反省から生まれたものでしたが、権力はそれを許さず、暴走しました。

現代の危機と「あいまいさ」の喪失

84年前に太平洋戦争が開戦し、今年は戦後80年の節目です。問題は、「もう、こんなことはあり得ない」と言い切れるかどうかです。私は言い切れない、と思います。

太平洋戦争は中国との戦争が端緒でしたが、今日、台湾有事を巡る高市早苗総理の国会答弁をきっかけに、その中国との関係は冷え込む一方です。

中国は、日本に対し歴史戦(=過去の歴史に関する戦い)を仕掛けています。国際社会に向け、「過去に日本の侵略を受けた被害者」として、また「戦争に勝った戦勝国」として、「日本の軍国主義復活」を、同じく被害者だったアジアの国々、同じく戦勝国だった米英、それにロシアなどの国々に対して宣伝して回っています。

高市総理が、自身の政治信条や「弱腰だ」と批判されるのを避けるため、発言を撤回しないことで、一部の世論は「中国はけしからん」と怒り、一部のメディアは「中国の脅しに屈するな」と総理を応援しています。

ここで思い出すべきは、日本の歴代総理が皆、台湾有事と「存立危機事態」の可能性についてあいまいにしてきた外交上の知恵です。外交では、敏感なテーマは白黒をつけず、「あいまい」にすることで落としどころを見いだすのが常套手段でした。しかし、高市総理はその「あいまいさ」を失わせ、中国は日本の「手の内」を知り、これに乗じて強硬姿勢をエスカレートさせています。

メディアと市民が持つべき冷静な視点

80数年前と違うのは、今日の中国は列強に蹂躙されていた「弱い中国」ではないこと、そして、情報伝達手段が数限りなくあることです。メディアまでが極端に走り、「売れるから」「ページビューを稼げるから」という理由で極端な方向に走れば、危険な方向が見えてきます。

「竹槍事件」の教訓が示すように、事実を知っていても報道できずにいたという反省から生まれた記事も、時すでに遅く、その1年半後の敗戦に至る流れを止めることはできませんでした。

トップに立つ人や影響力のある媒体が世論に迎合したり、世論を煽ったりすればどうなるか。過去の教訓は明確に語っています。今、外国人に対する排他的な風潮や他国への蔑視といった声が一部にありますが、過去の戦争前夜も、同じ風景がありました。

インターネットを通じて誰もが意見を発信できる時代だからこそ、私たち一人ひとりが、極端な言動に流されず、冷静になる必要があります。84年前の今日、太平洋戦争が開戦しました。この日が二度と来ないように、過去の教訓を改めて心に刻みたいと思います。

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この記事を書いたひと

飯田和郎

1960年生まれ。毎日新聞社で記者生活をスタートし佐賀、福岡両県での勤務を経て外信部へ。北京に計2回7年間、台北に3年間、特派員として駐在した。RKB毎日放送移籍後は報道局長、解説委員長などを歴任した。2025年4月から福岡女子大学副理事長を務める。