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中国大使館侵入事件:現職自衛官の暴挙が中国に与えた「絶好の口実」

飯田和郎

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東アジア情勢に詳しい、元RKB解説委員長で福岡女子大学副理事長の飯田和郎さんが、3月30日放送のRKBラジオ『田畑竜介 Grooooow Up』に出演。先週発生した「現職自衛官による中国大使館侵入事件」を取り上げ、冷え切った日中関係の中でこの事件が中国側にどのような「攻撃材料」を与えてしまったのか、その外交的余波を分析しました。

六本木のど真ん中で起きた「刃物持参」の侵入劇

3月24日午前9時ごろ、東京・港区にある中国大使館の塀を乗り越え、一人の男が侵入しました。男はその場で大使館関係者に取り押さえられ、建造物侵入の容疑で逮捕されました。

ひと言で言うと、中国政府は「怒ったふりをしながら、ほくそ笑んでいる」。一方の日本政府は、侵入した男に対し「なにやっているんだよ。いらんことをしやがって」――。そんな思いではないでしょうか。中国にとっての「得点」になってしまったということです。

東京の中国大使館は六本木ヒルズから近くに位置し、周囲は高級マンションや邸宅が並んでいます。私も取材や大使館員との面談で何度も中に入りましたが、首都のど真ん中とは思えない静かさに包まれています。

衝撃的だったのは、逮捕された男が宮崎県・陸上自衛隊えびの駐屯地に勤務する23歳の3等陸尉(現職自衛官)であり、さらに刃渡り約18センチの刃物を所持していたことです。男は調べに対し、高市政権の対中政策に反発する中国側の発言を念頭に「強硬な発言を控えてほしかった」「大使の前で自決して相手を驚かせようとした」という趣旨の供述をしています。

この「強硬な発言」とは、台湾有事に関する高市総理答弁(昨年11月)に反発する、大使を含む中国サイドの一連の発言を指します。日本と中国が緊張関係にあるさなか、「外国」である大使館に許可なく侵入した先は、その中国の在外公館。しかも、現役の自衛官が刃物を持参し、自決を図ろうとしたとなれば、中国側には「かつての日本軍国主義が用いたやり方」と映るでしょう。

中国のロジック:事件を「新型軍国主義」に結びつける

この事件を受け、中国政府は反日キャンペーンを強めています。中国外務省のスポークスマンは、早くも以下のようなロジックで日本を攻め立てています。

「今回の事件は、大使館職員の安全を著しく脅かし、大使館の平穏を乱し、大使館の尊厳を傷つけた。日本がウィーン条約に基づく義務を真摯に履行していないことを示している」

ウィーン条約とは、外交関係に関する基本的な多国間条約です。今回の事件に当てはめれば「日本は、中国大使館や大使館員の利益を保護する」義務があります。ただ、ウィーン条約を持ち出した中国も、かつて2005年、2010年、2012年に、時の小泉総理の靖国神社参拝や尖閣諸島の国有化に際し、各地で激しい反日デモの嵐が吹き荒れました。

当時は日本の大使館や総領事館、日系企業のオフィスへの投石、大使の公用車襲撃などが相次ぎましたが、中国政府はこれらの破壊行為に対して「大衆の義憤は理解できる」と擁護する発言もしていました。

今回の侵入事件に話を戻すと、中国のスポークスマンは続けて、日本をこう非難しています。

「今回の事件は、日本国内における極右思想とその勢力の蔓延、そして『新型軍国主義』が勢いを増すことを改めて示した。歴史や台湾といった核心的な問題に関する日本政府の誤った政策が、根深い悪影響を及ぼしていることを露呈した」

特に中国側が多用し始めたのが「新型軍国主義」という言葉です。高市政権下での防衛力増強や憲法改正の動きを「侵略の足音」と位置づけ、今回の事件をその「証拠」として宣伝し始めています。今回の不法侵入を、自衛官個人の暴走ではなく「日本政府の方針と無関係ではない」と言い切っている点が非常に厄介なのです。

木原稔官房長官は「誠に遺憾だ」と述べていますが、中国側は「不十分だ」とはねつけています。まさに、中国に絶好の攻撃材料を与えてしまったと言わざるを得ません。

「ぶつかり族」キャンペーンと連動する日本の「危険性」

中国大使館は今月に入り、日本に滞在する中国人に対し「日本で『ぶつかり族(意図的な体当たり行為)』が多発している」と注意を呼びかけています。

「東京の池袋、渋谷、大阪の心斎橋、道頓堀などの人混みで、外国人観光客らを狙って意図的に体当たりをし、素早く逃走する行為が多発している」

ネット上で動画が拡散されていますが、その行為が意図的なのか偶然なのかは不明です。ただ確かなのは、中国政府が進める「日本は危険な国だ。渡航を控えるべきだ」という宣伝活動に、こうした動画が利用されているということです。

今回の自衛官による大使館侵入は、皮肉にもその宣伝活動を裏付ける結果を招いてしまいました。まさに「相手を利する行為」だったということです。

私たちが今、守るべき「日本人の尊厳」とは

外交がこじれ、相手国への不満が募る時こそ、私たちは冷静でなければなりません。重要なのは、国家の体制や方針と、その国民を同一視しないことです。

国が憎いからといって、個人の暴走で国民まで敵視し、過激な行動を起こせば、それは相手に攻撃の材料を与えるだけです。冷静に対処することこそが、結果として日本という国と、日本人の尊厳を守ることに繋がります。

相手の土俵に乗らず、法の支配と理性を保つこと。そのことが結局、相手に付け入る隙を与えない、最も強い防衛策になるのです。

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この記事を書いたひと

飯田和郎

1960年生まれ。毎日新聞社で記者生活をスタートし佐賀、福岡両県での勤務を経て外信部へ。北京に計2回7年間、台北に3年間、特派員として駐在した。RKB毎日放送移籍後は報道局長、解説委員長などを歴任した。2025年4月から福岡女子大学副理事長を務める。