福岡市の中心部で、革鞄の製作・販売をしている「ポルコロッソ」。安価なナイロン製カバンが大量生産されるこの時代にあって、“20年後息子に譲るもの”をコンセプトに、修理しながら次世代に受け継ぐモノ作りが信条だ。店の白い外観の洒落たお店に1歩足を踏み入れると、20~30代の若者たちが鞄を製作する風景を目の当たりにできる。本皮となれば決して安くはない。使うレザーは、天然のタンニンなめしで作られる栃木レザー。手作りのぬくもりと経年変化を楽しめるシンプルなデザイン、1枚皮をそのままに裏布や余計な装飾は施さない。
しかし、ファッション基地天神からの発信として、商品はハイセンスでなくてはならない。アパレル出身の池田達明社長(53)のイメージを形にするのは、デザイナー池田宜弘さん(32)と職人チーフの日高聡生さん(32)の同級生コンビだ。現在のテーマは、“自転車に合う革カバン”。
20年前、百貨店の催事場の1コーナーから始まり、5年前に自社ブランドを立ち上げ、今や市内に4店舗。今春、大阪に2店舗進出した。日本の革、福岡発のブランドで、世界に肩を並べたい。その渾身の鞄作りに密着する。
しかし、ファッション基地天神からの発信として、商品はハイセンスでなくてはならない。アパレル出身の池田達明社長(53)のイメージを形にするのは、デザイナー池田宜弘さん(32)と職人チーフの日高聡生さん(32)の同級生コンビだ。現在のテーマは、“自転車に合う革カバン”。
20年前、百貨店の催事場の1コーナーから始まり、5年前に自社ブランドを立ち上げ、今や市内に4店舗。今春、大阪に2店舗進出した。日本の革、福岡発のブランドで、世界に肩を並べたい。その渾身の鞄作りに密着する。
取材後記
まだネット通販が始まったばかりの20年前、いち早く参入し次々と商品をヒットさせた池田社長は、ただHPを作って、店舗に来たお客さんに案内をしたかっただけなのだと、”ネット参入”という言葉を大袈裟だと朗らかに否定する。
しかし彼の直感は鋭い。小売り時代も、昔のごっつい鞄が今流行るんじゃないかと目を付け、この鞄はここをアレンジすると受けるんじゃないかと製造元に掛け合い、その直感で数々の鞄をプロデュースしてきた人だ。
5年前に自社ブランドを立ち上げたときはすでに、「職人が作って売る店」というビジョンを持っていた。番組では伝えきれなかった部分が沢山あるのでいくつか紹介したい。「自転車に合う鞄」を作っていた2人は、実はデザイン学校時代の同級生。2人共もちろん、鞄も作るし販売も手掛ける。職人として紹介した日高さんは、革のにおいが好きだと言っていた。
そのにおいを嗅ぐと落ち着くのだという。この道10年の彼のもとには、沢山の若手職人が相談に訪れていた。無口であまり感情を出さないが、真摯に仕事に向き合う姿が印象的だった。デザイナーの池田宣弘さんは、ハキハキと笑顔で丁寧に説明してくれる稀に見る好青年だ(因みに社長と同じ池田姓だが、何の関係もない)。
番組の会議のシーンでは、社長がダメ出しをしているだけのように見えたかもしれないが、社長の意見を尊重しつつ、代案を出したり、逆に提案をしたりと、とにかく前向きだ。2人のカバンつくりに対する姿勢は細やかで、画面ではわかりにくいので割愛したが、実はミリ単位で高さや幅を調整している。30代と50代の意見が合う鞄なのだから、年齢層が幅広く支持されるも頷ける。実は、革の鞄は高いし、そう売れないんじゃないだろうかと心配していたが、店に張り付いている延べ5時間くらいの間にも、大小合わせて5、6個は売れただろうか。。初めての来店で、大きな買い物をした人も居た。なぜ買ったのかと聞けば、長く使って欲しいのでと答えてくれた。デザインはもちろん、革の質がいいのだと言う。その栃木レザーも印象的だった。栃木レザーは世界的にも注目されている数少ないタンナーである。皮を加工する現場という、あまり見たことのない世界。水を含んだ牛の皮は1枚50キロもするという。それを見事に真ん中から真っ二つに裂く職人技。5段階に分けた石灰槽に順に浸けて毛を除去し、繊維を破壊しないで丈夫な革に仕上げる技法は、栃木レザーならではという。
タンニン鞣しのピット槽は100以上もあり、ここだけでも1か月半かける。化学薬品を使ったクロム鞣しが3日程度で生地にできる所を、ここでは3か月から半年かけて作るのだ。身体全体を使って皮と格闘するその姿は圧巻で、職人魂の神髄を見たような気がした。意外に女性や若い職人達も多く、こういう仕事ぶりを本当はもっと見てもらいたい。
昔ながらの製法を守る栃木レザーと、ポルコロッソの池田社長の考え方はどこか被る。大量生産、大量消費の時代に逆らい、同じ革、同じ色(4色)を使い続け、1つ1つ手作りする鞄。あまり儲からないかもしれないが、自分の経験から、せっかく経年変化が出てきてこれからと思った時に、修理してくれる店がない。
靴は修理しながら20年くらい履いてるのに鞄はどうしてできないのだろうかと思ったことがきっかけだったそうだ。(靴をそうやって履いていることは意外だったが)。東京に会社を移すのではなく、起点はあくまで福岡。そのスタイルは海外進出したとしても変わらない。
現地の職人さんを指導して、現地で作ってもらい現地で消費してもらいたいという。単に売るだけなら今のネット販売で事足りるのだ。工房だって、本当は地価の安いところに構えた方が効率はいい。しかし、社長のこだわりは都心に店を構えること。なぜなら若い人達が最先端の流行に触れながら仕事ができるからだ。彼ら自身がおしゃれに敏感で、お洒落な鞄を作って欲しい、そしてそんな彼ら丸ごとをお客さんに見てもらいたいと願っているのだ。
一見怖そうに見えた池田社長だったが、笑うとキュートで話し方も柔らかい。アパレル出身だけあって、登場するシーンごとの服装が私的にツボだった。紹介し切れなかったが、オーダー鞄を手掛け出した時から、20年間陰で支えながら尽力してきた人物も居たし、現在の6店舗全体を取り仕切る人物もいた。店で働いている多くは、モノを作りたくて集まったいという若者達だったが、中でも「今までは自分の製作スキルが上がっていくことが楽しみだったが、今は、自分の接客した人のために作れるということが楽しい」という一言はぜひ紹介したかった。他にも取材しすぎて泣く泣く落としたシーンが沢山あり、この場を借りてお詫び申し上げたい。また栃木レザーの取材で間に立ってくれた伊藤登商店さんにも御礼申し上げます。
5年の節目を迎え、ポルコロッソは今まさにブランディングを固めなおしている最中だという。因みに小物であれば3000円台から置いている。ふらっと立ち寄ってみるのも面白いかもしれない。
しかし彼の直感は鋭い。小売り時代も、昔のごっつい鞄が今流行るんじゃないかと目を付け、この鞄はここをアレンジすると受けるんじゃないかと製造元に掛け合い、その直感で数々の鞄をプロデュースしてきた人だ。
5年前に自社ブランドを立ち上げたときはすでに、「職人が作って売る店」というビジョンを持っていた。番組では伝えきれなかった部分が沢山あるのでいくつか紹介したい。「自転車に合う鞄」を作っていた2人は、実はデザイン学校時代の同級生。2人共もちろん、鞄も作るし販売も手掛ける。職人として紹介した日高さんは、革のにおいが好きだと言っていた。
そのにおいを嗅ぐと落ち着くのだという。この道10年の彼のもとには、沢山の若手職人が相談に訪れていた。無口であまり感情を出さないが、真摯に仕事に向き合う姿が印象的だった。デザイナーの池田宣弘さんは、ハキハキと笑顔で丁寧に説明してくれる稀に見る好青年だ(因みに社長と同じ池田姓だが、何の関係もない)。
番組の会議のシーンでは、社長がダメ出しをしているだけのように見えたかもしれないが、社長の意見を尊重しつつ、代案を出したり、逆に提案をしたりと、とにかく前向きだ。2人のカバンつくりに対する姿勢は細やかで、画面ではわかりにくいので割愛したが、実はミリ単位で高さや幅を調整している。30代と50代の意見が合う鞄なのだから、年齢層が幅広く支持されるも頷ける。実は、革の鞄は高いし、そう売れないんじゃないだろうかと心配していたが、店に張り付いている延べ5時間くらいの間にも、大小合わせて5、6個は売れただろうか。。初めての来店で、大きな買い物をした人も居た。なぜ買ったのかと聞けば、長く使って欲しいのでと答えてくれた。デザインはもちろん、革の質がいいのだと言う。その栃木レザーも印象的だった。栃木レザーは世界的にも注目されている数少ないタンナーである。皮を加工する現場という、あまり見たことのない世界。水を含んだ牛の皮は1枚50キロもするという。それを見事に真ん中から真っ二つに裂く職人技。5段階に分けた石灰槽に順に浸けて毛を除去し、繊維を破壊しないで丈夫な革に仕上げる技法は、栃木レザーならではという。
タンニン鞣しのピット槽は100以上もあり、ここだけでも1か月半かける。化学薬品を使ったクロム鞣しが3日程度で生地にできる所を、ここでは3か月から半年かけて作るのだ。身体全体を使って皮と格闘するその姿は圧巻で、職人魂の神髄を見たような気がした。意外に女性や若い職人達も多く、こういう仕事ぶりを本当はもっと見てもらいたい。
昔ながらの製法を守る栃木レザーと、ポルコロッソの池田社長の考え方はどこか被る。大量生産、大量消費の時代に逆らい、同じ革、同じ色(4色)を使い続け、1つ1つ手作りする鞄。あまり儲からないかもしれないが、自分の経験から、せっかく経年変化が出てきてこれからと思った時に、修理してくれる店がない。
靴は修理しながら20年くらい履いてるのに鞄はどうしてできないのだろうかと思ったことがきっかけだったそうだ。(靴をそうやって履いていることは意外だったが)。東京に会社を移すのではなく、起点はあくまで福岡。そのスタイルは海外進出したとしても変わらない。
現地の職人さんを指導して、現地で作ってもらい現地で消費してもらいたいという。単に売るだけなら今のネット販売で事足りるのだ。工房だって、本当は地価の安いところに構えた方が効率はいい。しかし、社長のこだわりは都心に店を構えること。なぜなら若い人達が最先端の流行に触れながら仕事ができるからだ。彼ら自身がおしゃれに敏感で、お洒落な鞄を作って欲しい、そしてそんな彼ら丸ごとをお客さんに見てもらいたいと願っているのだ。
一見怖そうに見えた池田社長だったが、笑うとキュートで話し方も柔らかい。アパレル出身だけあって、登場するシーンごとの服装が私的にツボだった。紹介し切れなかったが、オーダー鞄を手掛け出した時から、20年間陰で支えながら尽力してきた人物も居たし、現在の6店舗全体を取り仕切る人物もいた。店で働いている多くは、モノを作りたくて集まったいという若者達だったが、中でも「今までは自分の製作スキルが上がっていくことが楽しみだったが、今は、自分の接客した人のために作れるということが楽しい」という一言はぜひ紹介したかった。他にも取材しすぎて泣く泣く落としたシーンが沢山あり、この場を借りてお詫び申し上げたい。また栃木レザーの取材で間に立ってくれた伊藤登商店さんにも御礼申し上げます。
5年の節目を迎え、ポルコロッソは今まさにブランディングを固めなおしている最中だという。因みに小物であれば3000円台から置いている。ふらっと立ち寄ってみるのも面白いかもしれない。
担当:RKB毎日放送 松村恵里子
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